西方浄土
堂円高宣
西方浄土
こんな夢を見た。
いつの間に眠ってしまったのだろう。目が覚めると列車は知らない駅に停車していた。乗り過ごしてしまったようだ。車両は駅に止まったまま動かない。扉も開いたままだ。車内には他の乗客はいない、自分ひとりだけが乗っている。どうしたのだろう、回送車両となってしまったのか。
大事な約束があったはずなのに、なぜか慌てるという気持ちが起こらない。もう間に合わないなら、諦めるしかないと思うのだ。駅はとても静かだ。
ホームに出てみると駅名標に松浜辺とあった、聞いた事のない駅名だ。やや高台にある駅舎からは松林と砂浜、その向こうに海が広がっているのが見わたせた。海は西方にある。もうだいぶ傾いた太陽が水平線に近づいている。無人駅のようだ。改札にも誰もいない。発車標が設置されていないので、次の列車がいつくるのか分からない。おかしな事に時刻表も見当たらない。
浜辺の砂を踏んでみたくなり、仕事鞄を下げて駅舎を出て海に向かった。鞄がとても重い、何を入れていたのだろうか。大切なものだったと思うのだが、思い出せない。線路に平行して狭い舗装道路が走っている。人も車も通っていない。その道路を渡ると、松林を抜けて浜辺に降りる小道がある。小道に入って歩く。松の間をたどる土の道がいつの間にか砂地に変わり、海が目の前に広がった。左右に広がる砂浜は遠くで磯になっているようだ。砂浜を海に向かって歩いてみる。だんだん足が沈んで歩きにくくなる。波打ち際の手前で立ち止まって夕陽を見る。ほぼ真正面に太陽がある。雲はなく水平線がくっきりと見えている。日はだいぶ低くなって、波に長くその姿を映している。もうじき太陽は海に沈むだろう。風がゆるく吹いている。
風に乗って人の声が聞こえてきた。さきほど通ってきた小道を、十数人の人たちが行列をつくってこちらに向かって歩いてくるのが見える。先頭の人は僧侶のようだ、黒い僧服、編み笠を被って、錫杖を突いて歩いている。後に続く人たちは白い着物を着ている。声は読経のようだ。行列の人たちはお経を唱和して歩いている。行列はどんどん近づいてくる。唱和しているのは般若心経だ。巡礼の人たちだろうか。
行列が自分の近くを通り過ぎる時、その中に見知った顔が混じっているのに気が付いた。それは一昨年に亡くなった母親であった。「お母さん」思わず呼びかけてみる。だが、その人は気づいた様子もなく、変わらぬ歩みで進み続けているのだ。まっすぐに進み続ける一行、その先はもう海である。「お母さん、そっちへ行ってはだめだ、海に沈んでしまうよ」さっきより大きな声で呼びかけるが、こちらを向いてもくれない。太陽はもう、下の端が海に接している。行列は歩みを止めない、すでに先頭の僧侶の足は海に入っている。夕日に向かって歩き続ける人たち。だんだんと深いところに行くのだ。列の後ろのほうにいたお母さんも、もうすぐ海に入りそうだ。手を引いて止めようと思うのだが、なぜか足が動かない。見ている事しかできないのだ。もう僧侶は頭を残して全身が海の中だ、と思う間に波間にその頭も消えた。後の人たちもどんどん沈んでいく。お母さんも沈んでいく、西方の夕日の沈む場所に行ってしまう。太陽も、もう大半が海に没している。
西方浄土に行くのだ。自分も付いていこう、ふとそう決心して波打ち際まで行くが、そこで足が止まってしまう。海には踏み出せないのだ。やがて日輪の最後の輝きが海に沈んだ。
そこはどんな場所なのだろう。きっと静かで、果てしなく、明るくて、苦しみも悲しみもない世界なのだろう。いつか自分も、行くのだろうか。そんな事を考えて海辺に佇んでいると、辺りにはいつのまにか夜の帳が下りてきていた。ふと見ると駅舎に明かりが灯っている。そして、遠くから列車の走る音が聞こえてきた。ああ、列車が来る、乗り遅れないようにしなくては、私は急ぎ駅に向かって歩き始めた。
西方浄土 堂円高宣 @124737taka
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