死狂生

OROCHI@PLEC

死狂生

 満月が頭上に輝く夜に、私は月光を反射してキラキラ光る、アスファルトの道を歩いていた。


 コツ、コツ、コツ。


 靴が地面を蹴り、心地良い音を奏でる。


 コツ、コツ、コツコツ。


 思ったより塾が長引いてしまった。

 何とか夕飯までには帰れるかな。


 コツ、コツコツ、コツコツ。


 今日は帰ったら何やろっかな。

 久しぶりに妹とゲームでもやるか。


 コツコツ、コツコツ、コツコツ。


 家の前に着く。

 中からはカレーの美味しそうな匂いと家族の楽しそうな笑い声がする。

 バッグのサイドポケットから鍵を出し、カチャリとドアを開けようとする。


 何故か鍵が回らなかった。

 体に力が入らないのだ。


 ふっと違和感を感じて下を見る。

 自分の腹から、銀色に鈍く光る何かが突き出ていた。

 それを自覚した瞬間、鋭い痛みを感じる。


 私は刺されたのだ。

 驚きと焦りが同時に押し寄せる。

 刺された時どうするんだっけ。

 確か刃物は抜かないまま……


 そんなことを考えている間にずぶり、とそれは引き抜かれる。

 支えを失った私はそのまま地面に倒れ込む。

 力を振り絞り背後を見ると、黒い服に身を包んだ何者かが月光を背に、真っ赤な血を浴びて立っていた。


 奴は私をドアの前から足でどかし、ドアに刺さったままとなっている鍵を回す。

 カチャリ。


 家の中には家族がいる。

 あいつは私の家族も殺すつもりだ。

 私の妹も。

 奴は鍵を抜き、下の錠に挿す。

 愛しい人を守るために、叫ぼうとする。


 結局、口から出たのは、掠れた嘆きだけだった。

 鍵を回す音が聞こえる。

 私はそれを止めようと、必死に手を伸ばす。


 だが、体は冷え切り、どうやっても手は動かなかった。

 痛みはもう感じなくなっていた。


 ああ、このまま私は死ぬのだろうか。

 何も出来ずに、愛しい人すら守れずに。

 己の無力感が心を占める。


 お願いです、神様。

 どうか私の愛しい家族を守って下さい。

 そう祈り、目を閉じる。

 私には祈ることしかできなかった。

 私の物語はここで終わった。


 ……だが、俺の物語は終わらない。

 私であっただろう体がゆっくり起き上がる。

 人には表の自分と裏の自分がいると言われている。


 誰もが知る外の世界の自分と誰も知らない心の中の自分。

 内なる自分は外に現れることがない。

 表の自分が壊れない限りは。


 俺は、裏だ。

 表の私がずっと抑圧していた裏の自分だ。

 私が隠し、表に出すことがなかった自分だ。


 今、表の私は眠りにつき、裏の俺を邪魔するものは何もない。

 俺も、もうすぐ永遠の眠りに堕ちるだろう。

 だが、生命の灯火は消える瞬間にこそ激しく燃え上がる。

 最後の無駄な足掻きかもしれない。

 それでも、私の願いは俺が叶えよう。


 俺が立ち上がった音で、黒ずくめの奴が振り向く。

 奴は驚きを顔に浮かべながらも、躊躇なくナイフを私に突き出す。

 明らかに手慣れている。


 刃は蛇の様にうねり、俺の腹を目がけて伸びる。

 俺はそれを躊躇なく右腕で受ける。

 自分の肉が、神経が切り裂かれ、掻き乱され、ぐちゃぐちゃになる音が聞こえる。

 痛い。


 だが止まらない。

 そんなことよりやることがある。

 奴がナイフを引き抜く前に腹に一発蹴りを入れる。

 そして足を抜いた反動を利用して左手で思いっきり腹を殴る。


 感触が鋼鉄の様に硬い。

 明らかに鍛えてある。

 実際、奴は顔を顰めすらしない。

 ならばこうする。


 奴がナイフを引き抜くと同時に一気に距離をつめ、ナイフを持っている右手に思いっきり噛み付く。

 人の噛む力は、骨をも砕けるほど強い。


 予想通り奴はナイフを手放し、呆気に取られた顔をしている。

 俺は噛み付くのを止め、代わりに顎へと拳を突き出す。

 どんな強者だとしても脳震盪は無くせない弱点だ。


 だが、不幸なことに、それは読まれていた。

 奴はそうくるのは分かっていたかの様に俺の拳を軽く避け、それによって伸びた腕を掴み、そのまま俺を投げ飛ばす。

 宙に体が浮くのを感じる。

 周りがスローモーションになり、思わず死を実感する。


 奴は、笑っていた。


 受け身も取れずに地面に体が打ちつけられ、強い衝撃で動けなくなる。

 何をやっても体は動かなかった。


 奴が落ちたナイフを拾い、こちらに向かって歩いてくるのが目の端にうつる。

 不思議と走馬灯が見えてくる。


 俺はずっと己を隠してきた。

 本当は俺として振る舞いたかったのに、周りの目ばかり気にして私として振る舞った。

 好きな人に好きって伝えたかったのに、失敗した後のことばかり考えて何も言えなかった。

 誰かに相談したかったのに、誰も信頼することができず、ずっと一人で我慢してきた。


 今も俺は痛み、そして死への恐怖を我慢し、生きることを諦め、愛する人の命ですらも諦めようとしている。


 俺の人生はこんな終わり方なのか?

 最後の最後まで本当の自分を隠して、我慢し、諦めるだけの人生なのか?


 そんなのは嫌だ。

 そんな人生で終わらせたくない。

 まだ生きたい。


 生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい。

 俺はまだ死んではいけない。

 俺はまだ生きなくてはいけない。

 生きるためにはどうすれば良いのか。


 やられる前にやれば良い。


 そう思った瞬間、奴は腕を振り上げ、そのままナイフを俺に振り下ろす。

 まるで狼が哀れな仔羊に牙を突き立てるが如く。


 俺はなんとか避けようとする。

 だが、避けるには遅すぎた。

 無情にもその牙は寸分狂わず心臓に突き刺さる。


 今まで感じたことのない激痛が身体中を駆け巡る。

 苦しい。

 生きなくてはいけない。


 そう思いながらも、俺は死の瞬間が目の前まで来ていることを実感する。

 奴が少し安心した様子でナイフを手放して身体を起こすのがぼやけて目に映る。

 そして俺はゆっくりと目を瞑った。


 もう一度この言葉を使おう。


 生命の灯火は消える瞬間にこそ激しく燃え上がる。


 心臓が、最後の鼓動を一つする。

 血が身体中をかけ巡る。

 ほんの数秒だけでも良い。

 体よ動け。


 俺は地面から跳ね起き、心臓からナイフを引き抜く。

 血が水のように溢れる。

 俺はそのまま、前へと倒れ込むように地を蹴る。


 奴が狼だとしたら、俺はハイエナだ。

 どんなに傷ついても立ち上がり、生きることを諦めない。

 最後の最後まで命を燃やす。


 俺は何も考えない。

 心にあるのは生きる意思だけ。

 目指すは奴の命のみ。


 奴は驚きと恐怖が混ざりあった表情を浮かべながらも、こちらに向かって殴りかかってきた。

 だけども遅い。

 俺は身体を捻り拳を透かす。


 目の前を拳が通り過ぎ、風圧が顔を撫でる。

 だが、恐怖は感じない。

 死の方がもっと恐ろしい。


 その勢いのままナイフを振りかぶり、俺は笑みを浮かべる。

 そして、ただ一言だけ呟く。


「死ね」


 月明かりを背に、笑みを浮かべている俺はきっと狂気に満ちていただろう。

 俺はそのまま刃を奴の眉間へと突き刺す。

 奴は恐怖を顔に浮かべたままゆっくりと倒れ、痙攣を何回かした後、動くことはなかった。


 俺もそのまま仰向けに倒れる。

 血は相変わらず湯水の如く溢れ出ている。

 敵を倒したからといってなんとかなる世界ではない。


 仰向けになると空がよく見える。

 空には星が煌めいていた。


 不思議なものだ。

 地球から見たら星が動いているように見えるが、宇宙から見たら地球もまた動いているのだ。


 俺が見ている空は星しか動いていない見かけ上の空でしかない。

 人々はこの空の方が美しいと言うだろう。

 本当の空は未知への恐怖で溢れているから。


 だが、その空も悪くはないのだ。

 どこまでも、どこまでも、無限に広がっていて、可能性で溢れているのだから。


 俺は地獄に行くかもしれない。

「後悔してるか」と聞かれたら、「後悔していない」とは言えない。

 だけど閻魔様にこう言えるだろう。


「俺は最後の最後にありのままの、何もない自分になれた。それだけは満足だ」


 星の輝きを目に焼き付けて、ゆっくりと目を閉じる。

 俺は俺。

 それ以外の何者でもない。


 次の日の朝、とある家庭でテレビがついていた。


「昨夜未明、XX県XX町で13歳の女子高生がナイフで刺殺されました。周辺には、ナイフで頭部を刺された容疑者と思わしき死体があったということが捜査関係者への取材から分かりました。女子高生は顔に笑みを浮かべていたということで、警察は捜査を進めています」


 その笑みは、家族を守れたという安心感からの笑みなのか。

 それとも、死を前にした狂気による笑みなのか。

 それとも……

 真相は彼女しか知らない。

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