ご恵贈

倉沢トモエ

前篇

 なぜ、僕なのだろう。


 僕は博士課程の空き時間に働いている本学の図書館アルバイトだ。

 シフトによってはカウンター業務もしているのだが、今日からは古文書整理担当一本となる。記念すべき初日は、刷毛で埃を落とすクリーニング作業。

 学長、大鷲谷おおわしたに先生からのご指名だった。先生のご専門は古代の官職・天文方の観測スキルと魔術の関係。

 当館には先生用の作業室があり、僕と先輩の金剛原こんごうはらさんはそこにこもってひたすら作業をしている。

 取り扱っているのは『天文方秘帖てんもんかたひちょう』全七巻。成立年不明。糸綴じ製本。ちつ入り。綴じ糸、帙の紐が切れていたのを補修した跡があり、ところどころそこだけ新しい。

 記されているのは、二千年前の禁術だ。天文の動きと人心の動きを連動させ、国の運命を変える。朝廷のいち官職であったところのかれらが敢えて表に背き用いたもの。

 用いたことで災厄を、具体的には政変と暗殺の応酬、戦乱をもたらした天文方の秘伝。すべて魔導文字で記されている。

 それをわざわざ読み解くという、寝た子を起こすような研究など、大鷲谷先生にのみ許された仕事である。

 この術の存在が当時の政治状況、特に駆け引きにどのような影響を与えることとなったのか。現時点での研究成果では術の内容を精査することなしに解けない点がいくつも存在する。全七巻が揃っているなんて。どんな恐ろしい秘密が記されているのだろう。

 そんな危険な仕事を扱うときのために、この作業室は造られたということだ。秘密保持はもちろん、ありとあらゆる魔力の攻撃、飛ばされる呪術に対抗できる特殊な部屋なのだ。

 重ねて言う。なぜ、僕なのだろうか。

 学内のみなさんも内心そう思っているだろう。魔力のない学生がなぜ? 大鷲谷先生には既に右腕の金剛原さんがいらっしゃるのに。僕だってそう思ってるさ。

 さて。僕の混乱した心を読んだのか、この高度魔術を修めた上に眉目秀麗、年齢不詳の偉大な先輩は、あっさりその事情を明かしてくれた。


「大鷲谷先生は、魔導文字が読めるゴールキーパーが欲しいとおっしゃってたんだよ。サッカーでもハンドボールでもいいんだけれど」


 なるほどそれなら納得なのだ。

 僕は高校ではサッカー部のゴールキーパーだった。その上、博士課程一年だがそこそこ魔導文字が読みこなせる。父が市役所魔法管理局の祐筆ゆうひつで、子供の頃から興味があったのが役に立った。

 祐筆というのは、魔導文字の文書もんじょや呪文を正しく書写したり、魔術書の写本を作ったり、お札を書いたり、魔力がなくても関われる魔法管理局の仕事のひとつである。

 ご存じの通り、魔術関連のすべての文書、書物はデジタルデータ化できない。どんなファイル形式でも文字化けする。いずれ解決される問題だろうけれど、魔術を書物に残すということはどれだけ慎重にされていたんだろうね。

 デジタル化できない問題が発生するより前は、フィルム化できないことが問題だった。フィルム化しようとすると、なぜか真っ白か真っ黒になったそうだ。

 おかげで祐筆の仕事はなくならず、僕はここまで育ててもらえたんだから、先人の用心深さについては何とも言えないところはある。おお、話がそれているぞ。


「キーパーとしてなら、ちょっとは自信ありますよ?」

 

 大先輩を前に、少し見栄を張ってみたくなった。


「PKになれば強かったですよ」

「じゃあ、その時は頼りにしてるよ。まったく先生のご希望通りなんだから、こんな幸運ないよね。そう思うよ」

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