第45話 王都へ向かう船/カイザランティアの神殿
通常の移動時に使う船よりも小型のものを用意した。その分乗れる人数を絞り、速度をあげることができる。
今回メイアルンへ向かうときに使った、各領を通る水路では時間がかかる為、他の水路を選ぶ。それでも通常一日半はかかるところを、半日で向かうというのだから、かなりの強行軍だ。
エリアノアとラズロル、侍女二人に従僕二人。それに船の操縦士二人の合計八人が乗り込んだ。
「それで、反乱軍の顔ぶれは──だいたい予想はついているけれど」
続報で届いた手紙を手にしたエリアノアを、ラズロルが促す。
「ええ。大方予想通りよ。グリニータ伯爵、ムールアト伯爵、ミランズ男爵、ザルフェノン男爵、それに──サノファ第一王子」
大きな溜め息と共に出された最後の王族の名前に、その場の全員がげんなりとした。
「私との婚約解消に伴う彼の行状については、王都の民は知っているけれど」
「他の領地への連絡は、各領主次第というところはあるよね。エリーとの婚約解消すら知らない可能性が高い」
「特にムールアトやミランズの民のあの情報量のなさを感じると、第一王子を擁したというだけで、大義名分がある程度整ってしまうわ」
「おそれながら……。反乱軍の狙いは何でしょうか」
マルアの言葉に、エリアノアが頷く。
「貴族たちの本心はわからないけれど、少なくともサノファ殿下に関しては、私は自信をもって言えるわ」
「どんな?」
ラズロルが前に組んだ手を顔に近付け、エリアノアを見た。
「簡単なことよ。父親である国王陛下や私を見返して認めさせる、というところでしょう」
「えっ」
「ふふ。びっくりするでしょう、ラズ。でもね、あの方はそういう方なの。端的に言うと、思慮の足りない方」
「それは──君は苦労したな」
「え、ええ」
サノファとの日々など、とうに忘れていた。思い出すのは、ラズロルと初めて会った夜のこと。二度目に会った夜のこと。
(そういえば、あの夜。ラズはグラフス王女殿下と、とても親し気だった。もし、第二王子殿下が立太子することとなれば、グラフス様は、ある程度の自由をもってご結婚できる筈。それってつまり──)
目の前に座る男を見る。美しい金髪にグレーの瞳。柔らかな表情は、エリアノアを見つめていた。
「どうした?」
「いいえ……なんでもないわ」
「心配だろうけど、今俺たちにできることは、対策をどうするかだけだ」
彼の言葉に素直に頷く。切り替えた筈なのに、心が苦しい。
(ミンドリアル王国の公爵家の方なら、王女殿下の……グラフス様のお相手として遜色ない)
知らなかった恋を知ってしまった。人を恋しいと思う気持ちを知ってしまった。それは、幼いころの憧れから生まれた小さな恋よりも、もっと強く激しい気持ちだ。
胸の中でいつまでも風化しないよう抱き続け嫁ぐには、大きすぎる思いが芽生えてしまっていた。
(第二王子殿下がどのような方は存じ上げないけれど……。グラフス様の弟君だもの。きっと素晴らしい方だわ。大丈夫)
窓の外を見る。メイアルンに向かう時よりも数倍のスピードで流れ行く景色に、目を細めた。
「あんなにも真面目に生活している領民たちを反乱軍として利用するなんて、なんという扱いをしているの」
「王都近くでその船に追いついたところで、船の中ではどうにもできない。上陸した後、彼らをどこかに集めて対応するしかない」
反乱軍と言えど、領民の意図が読めない限り、むやみに王都軍や貴族軍が攻撃するわけにはいかない。できるだけ首謀者となる貴族たちだけを拘束したい。
「第一王子が面倒だな。国王陛下に立太子を迫って、それでその場で退位に持ち込もうとでもいうのか」
「失礼いたします。続報が届きました」
船に乗るエリアノアを目指してきた手紙鳥を、ジョルジュが捕らえ手紙を渡す。それを開封したエリアノアの顔色が変わった。
「エリー?」
「反乱軍は神殿に向かっていると……。神殿にはグラフス様がいらっしゃるわ。やはり立太子を」
「神殿に──」
立太子の儀は王都の神殿で、当代の姫巫女、もしくは先代の姫巫女の手により行われる。グラフスが素直に応じるとは思えなかったが、武力行使をされてしまう可能性も否めない。
「ラズ?」
「いや……、うん。グラフス様が心配だ」
ラズロルの表情から笑みが消える。
(ラズ、やっぱりグラフス様が心配なのね。でもそれなら……。私の気持ちも切り替えることができるのかもしれない。彼に愛しいと思う相手がいるのであれば)
ラズロルの瞳が少しだけ暗くなった。思案する
幾度かのマジャリのオレンジを見た後、船は細い水路に入り込んだ。
──王都、カイザランティアである。
「エリー、あれを」
「あの船は」
「ああ。領民を連れてきた船だろうね」
乗り捨てられた船の中には、くたびれた上着や毛布が散乱しているのが見えた。船の窓枠が、わずかに赤く染まっている。
「窓が赤い……。まさか血を?」
「いや、あれは血の色じゃない。大丈夫だ」
その言葉に安堵の表情を見せるエリアノアの手を、ラズロルが包み込む。
「改めて申し上げます。この先、どうぞ俺にあなたをお守りさせてください」
(これは、反乱軍の只中に行くから。期待しては駄目。私は、私のするべきことを……)
「エリー?」
気付かないうちに潤む瞳を、ラズロルが見上げる。
(最後よ。これが終わったら、私は第二王子殿下の婚約者となるのだから。最後に、これを思い出にするの)
「……許します」
薄く笑い、心のうちを隠す。これまでしてきたように、優雅に、あでやかに己を見せる。
うまくできているのか。
エリアノアは初めて、不安になった。
*
王都カイザランティアの市街地の中心に、神殿はあった。
広大な敷地を持ち、祈りをささげる為の建物、つまり神殿自体のほかにも、国民が宿泊できる施設や、公民館的役割のもの、親を持たない子どもを預かる施設や炊き出しを行う施設、病を癒す為の施設、年老いた者の為の施設など、およそ福祉と思えるものがここに集まっていた。
神殿中央にある女神像の噴水から、流れる水路を張り巡らせた大きな広場もその一つで、普段は子どもたちが楽しく遊ぶ場として機能している。
その広場に、今はムールアトとミランズの領民が集まっていた。誰もが虚ろな瞳で目の前にある神殿に、詰めかけようとしている。
王都軍が、それをどうにか抑えていた。
「第一王子に王位を」
「サノファ殿下に栄光を」
口々にそう叫ぶ。だが、何か武器を持っているわけではないので、王都軍は攻撃を加えることもできない。
広場の周囲にある施設には王都の民が避難しており、開かれた窓からその様子を見ていた。
その場所から、領民たちの叫ぶ内容を聞き眉をしかめる。
「サノファ殿下? エリアノア様を裏切った?」
「愚鈍なことで有名な馬鹿王子でしょ」
「あんなのが王位を継いだら、この国はおしまいよ」
王宮が目の前にあるこの街では、国の動き、政治の動きがどこよりも伝わりやすい。彼らは、己の生活を動かしている為政者を良く観察していた。
「やはり操られていますね」
王都の民とは場所こそ違えど、同様に領民を見つめている瞳が複数。
神殿の隠し窓から外の様子を見たホルトアは、その場にいる国王、正妃、側妃、第一王女、それに自身の両親に向かい口を開いた。
「ソラリアム殿が、マイハルンの都であるマイハレーニアで診てきた、神殿花による洗脳の症状とよく似ております」
「では、彼らが自らの意思で反乱を起こそうとしている可能性は」
「限りなく低いでしょう」
国王の言葉に、ホルトアははっきりと答える。
「エリアノアの報告によれば、彼らは情報を得ることが非常に難しい生活をしているとか」
「お言葉の通りです、陛下」
「では全ての隊に伝えよ。よほどのことがない限り、領民を傷つけてはならぬ、と」
「──は」
すぐ後ろに控えていた側妃の兄、軍隊を管轄する立場にいるエヴァルンガ侯爵が急ぎ下がった。
部屋の扉が閉まると、室内が静かになる。
静けさの中で口を開いたのは第一王女グラフスだ。
「エリーたちはそろそろ到着するのかしら」
「先ほど、
「そう。ホルトアは迎えに行きたいでしょう」
「グラフス様、エリーには
「そうだったわね。──かわいそうな思いをさせたわ」
「この状況では仕方がないですよ」
「ええ……」
窓の外では、領民の叫びが続いていた。
ホルトアがすぐ横にいる父親に、大きな瓶を見せる。
「父上、これがソラリアムが作成した解毒剤です。水に溶かして体に触れさせれば、洗脳は解けます」
「なるほど。なかなか優秀な薬師だな、彼は」
「良き取り計らいを」
「ああ。そういえば彼は?」
「エリーたちにこれを渡す為、水路口に」
ホルトアの言葉に、ファトゥール公爵は頷く。ムールアト伯爵自体は処罰を受け、その領土は王家に接収されるだろう。だがその嫡男を廃することはせず、新たな叙爵を受ける約束が、この場でされたも同然だった。
窓の外を見ていた正妃が眉を上げる。
「あら、あれはサノファじゃないかしら」
その言葉に、その場にいる全員が窓の外を見る。廃嫡を宣言したわけではない。その為、神殿自体を守っている貴族軍は、彼を捕らえることができずにいたのだ。
ミレイを伴い、神殿へ上がってきている。
「思っていたより少し早いわね。サノファ側の貴族は──グリニータ伯爵たちはどこにいるのかしら」
「サノファの後ろにぞろぞろとついて来ているわよ、グラフス。下品すぎて目に入らなかったのではない?」
「まぁ本当だわ。お母様こそ、あんな下劣なものをよく見つけられましたわね」
嘲るように笑いながら、神殿にあがる彼らを見ていたが、やがて大きく溜め息を一つ吐いた。
「エリーたちが、そろそろこちらに到着するかしらね。サノファの相手を、先ずは私がしなければ」
「立太子の儀の支度もしておきなさい」
「ああそうだわ。サノファったら、勘違いするかもしれないわね」
国王の言葉に、眉を上げて困ったような表情を見せる。困ってなどいないことは、その場にいる全員がわかっているのだが。
「お父様たちは折をみて出ていらして。──ホルトア」
「ええ。お守りいたしますよ、王女殿下」
「ふふふ。あなたが騎士だと心許ないわ」
「言いますねぇ。まぁ、あなたの騎士様にはなれないでしょうけどね」
「あら、私のことがお好きだったの?」
「まさか」
「こういう時は、もう少し申し訳なさそうに言うものよ」
「それは大変失礼をば」
先ほどとは違う、楽し気な表情で一同が笑った。
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