第41話 ジョコダへの出立

 収穫祭の長い夜が過ぎる。

 毎年この日は夜通し騒ぎ、領民皆で新しい朝を迎えるのが習わしとなっていた。

 無事に朝を迎えると、収穫祭の終わりを女神に報告する祈りを、神殿で行う。そうして最後に領主であるエリアノアが、今年の収穫祭の無事の終了を領民に告げ、各自が家に戻っていく。

 収穫祭終了の日と翌日は、領地全てがゆっくりと過ごす日となっている。


「エリアノア様お疲れ様でございます」

「エリアノア様、早くお休みになられては」

「エリアノア様」


 館の中を歩くたびに、皆が労う。その都度エリアノアも、皆に労いの言葉をかけていった。


「エリー、大仕事お疲れ様」

「ラズ」


 一足先に屋敷に戻っていたラズロルが、エリアノアを私室近くで出迎える。

 手には手紙を一通。


「ゆっくり休んで、と言いたいところだけどね。ジョコダの港にいるグルサムから、手紙鳥が届いた」

「あなた宛てに?」

「君宛てだ。神殿での祈りの最中だったから、こちらで引き取った」


 封のあいていないそれを、エリアノアに手渡す。

 受け取り、ラズロルをすぐ近くの執務室に誘った。側には、ミーシャとマルアが控える。

 執務室のソファに座り、口を切った封筒をミーシャがトレイにのせて、エリアノアに改めて手渡す。マルアは二人に紅茶を用意した。

 その内容を確認し、ラズロルにも見せる。


「へぇ、イルダ侯爵子息が」

「彼の事、ご存じだったかしら」

「確か、第一王子の側近だったよな。夜会で何度か、顔は見ている」

「どうした関係かは分からないけれど、側近を辞して今ジョコダにいるだなんて」

「あの王子に嫌気がさして自ら側近を辞めたのか、父侯爵が機運を読んだうえで辞めさせたのかはわからないけれど、ちょうど良いね」

「ええ。グルサムが証拠を揃えてくれた上に、ジョコダ伯爵家の本家嫡男がその領地にいるなんて」

「俺が現地に行ってくるよ」

「ラズが?」

「ゼトファ侯爵家が出てくる以上、君が登場するわけにはいかないだろう」


 ジョコダ伯爵家はゼトファ侯爵家の分家筋にあたる。その為、領地運営についても、ある程度の権限をもってゼトファ侯爵家が対応することが可能だ。

 だがそこに他家の姿が見えると、一気に政治的判断が難しくなってしまう。実際に事を運ぶには、水面下での取引が重要となる。存在を表出するには、全て事を済ませてからが望ましい。


「そうね……。昨日の今日で疲れているかもしれないけど、お願いして良い?」

「疲れているのは君だろう、エリー。それにこういう時には、一言こう言えば良いんだ」

「一言?」

「行ってこい、とね」


 ラズロルの言葉に、エリアノアは素直に頷く。任せられる人間に任せておく。それも上に立つ者として、必要な判断であった。


「じゃぁ、俺はすぐに向かうよ。またジョルジェを借りて良いかな」

「勿論よ。──マルア、タジルにラズの出立を伝えて、支度をさせて」

「かしこまりました」


 マルアが部屋を出るのを見届け、改めて紅茶を飲む。ふう、と溜め息を吐きラズロルを見た。


「なんだか私、あなたに頼ってばかりね」

「その為に俺がいるんだよ。それに、頼って貰えるのは嬉しいんだ。君に認めて貰えてるっていうことだからね」


 片目を瞑り、ウインクをするラズロルにエリアノアは瞬きをする。

 戸惑いを表に出さないよう誤魔化したが、明らかに回数の多いエリアノアの瞬きが、ラズロルの微笑みを呼んだ。


「さて、それじゃあ行こうか。あぁ、密かに発った方が良いと思うから、見送りは不要だ」


 頷き、執務机から何かを取り出した。


「ラズ。これをあなたに」


 エリアノアが差し出したのは、目の粗いリネンで作られた小さな巾着袋だった。


「これは」

「中にはカイアリアが入っているわ。何か必要になったら、して」


 カイアリアはメイアルンの洞窟でとれる光苔だ。国内の全ての神殿の女神像が持つ瓶に仕掛けられ、光る水を作りだし奇跡を演出している。

 この苔を使って光る水を作り出していることを知っているのは、各神殿の長と王家、それにメイアルンの限られた人間だけだ。

 国民にとっては、この光る水は信仰の一つだった。


「──わかった」


 奇跡を生み出すことのできる苔を、エリアノアから受け取る。


「それを使わないで済むことが一番だわ」

「ああ、元気に戻ってくるさ」


 立ち上がるエリアノアの足元に、脇に携えていた剣を床に置き、ラズロルが跪く。


「ラズ?」

「御手を」


 その言い回しに、挨拶をするのだと気付き、手を差し出す。その手を恭しく戴き、ラズロルはその指先にそっと唇を触れさせた。

 そのままエリアノアを見つめ、目礼をする。


「──ご武運を」


 小さくエリアノアが口にすると、ラズロルは立ち上がり、深く礼をした。カチャリ、と剣を脇に下げ直す音を立て、部屋を後にする。

 静かになった執務室の中、エリアノアはラズロルが触れた指先を見つめ、もう片方の手でそっと包み込んだ。

 窓の外を見る。遠くに山が見え、その先にミランズ、そしてジョコダがある。

 鳥が羽ばたく音がした。


「ラズ……」


 執務室に、エリアノアの声がわずかに響いた。



   *



 馬を駆ける。

 通常移動には水路を使うが、急ぐ場合馬を利用することがある。男二人の移動であれば、そしてそれが武に長けたものであれば、馬を使う方が早かった。


「この峠を越えれば、ジョコダのグリアーノ港だ」

「随分と無茶をなさいますね」


 ジョルジェが苦笑する。入り組んだ領地境を何度も通り、その度にマジャリのオレンジを目にした。最短距離でのルートを選んだラズロルは、ジョルジェのその言葉にくしゃりと笑う。


「音を上げたか」

「まさか! ラズロル様こそ、まるで騎士のような逞しさです」


 貴族の男子は、概ね剣を学ぶ。しかし下級貴族とは異なり、公爵家ともなれば前線に出ることは少なく、戦略知略に重きを置いた学びとなる。日々の鍛錬もそこまで多く課されることもない。

 無論、一般の国民に比べたら十二分に剣技はあり、体力もあるのだが。


「ホルトアはどうだった」

「そうですね。筋は悪くないです。他の公侯爵家の方よりも太刀筋も技量もあります。ですがやはり王位継承権のあるお方ですからね。周りが無理をさせませんでした」

「なるほど。それはさぞ、不満を」

「ええ、お小さい頃はよく文句を言ってらっしゃいました。それがまた可愛らしくて」


 思い出したのか、柔らかな表情を浮かべる。


「これはホルトア様には内緒にしてくださいね。とは言え、公爵家の者は皆知っている話ですし、ご本人もその話題になると、少し拗ねながらも良い思い出としているみたいですが」

「ああ。俺も似たような覚えがあるから、わかるさ」


 ラズロルもミンドリアル王家の流れをくむ公爵家の人間だ。ある程度の束縛はあったのだろう。だが、次男というところで、武官を志し剣技に力をいれた、とジョルジェは理解した。


 貴族の嫡男はその家の跡取り。次男はそのスペアとなり、それ以降の男子は国の為の機関で働く。そうして、嫡男が無事成長すれば、次男も他の男子と同様に国家機関に出仕することとなるのが通常であった。


 国家機関は文官武官とあるが、公侯爵家の出であればある程度の地位にはあがれる為、本人の向き不向きで早々に専門分野を決める。

 おそらくラズロルは武官を志したのであろう。


「さて、おしゃべりはここまでだ。グリアーノでは我らの到着を、今かと待ちわびている筈の彼が待っている」

「待ちわびてくれていれば、良いのですけどね」

「寂しいことを言ってくれるなよ」


 すっかり打ち解けている二人が軽口を交わしながら、馬の腹を蹴る。ヒン、と小さくいななくと、馬は再び峠を走り出した。



   *



「お久しゅうございます、ラズロル様」


 イルダの滞在する宿に、ラズロルとジョルジョが到着する。

 久しぶりに会う同郷人に、ほっとしたのであろうグルサムが、笑顔で出迎えた。

 部屋はイルダの隣をおさえてある。


「少しやつれたな。大変だったろう」


 部屋に入り、グルサムの顔を改めて見たラズロルが、労いの言葉をかけた。その言葉に感銘を受けたのか、グルサムの瞳は涙ぐむ。


「その言葉だけで十分でございます。彼らの所業は全てこちらに」


 手渡された資料を見て、ラズロルは唇に親指をかけた。何かを考えているようだ。


「マイハルンの武器商人が、釣れました」

「ほう」

「武器商人グイナス・エイル。エイル商会を一代で起こした野心家です」

「なるほど。死の商人には良い金になっただろうな。──この国で必要以上の武器を密輸した罪、後悔させてやる」


 ラズロルのその言葉に、グルサムは驚く。それに気付き、表情を崩して笑いかけた。


「すまない。この武器が引き起こすことを考えたら、つい」

「いえ──。民としては、そのお言葉嬉しく存じます」

「不安にしてすまなかった。この件、イルダ殿には」

「先ずはラズロル様に、と思いまして」

「ありがとう。先ずはイルダ殿との対面だな」


 すでにエリアノアより手紙を届けているので、スムーズにラズロルとイルダの挨拶を進めることができた。万一を考え、ラズロルたちの部屋での会談とした。


「ゼトファ侯爵が嫡男、イルダ・ロンガ・ゼトファです」

「ミンドリアル王国マイトファイア公爵家ラズロル・リードル・マイトファイアだ。イルダ殿、お見知りおきを」


 握手をし、互いにソファに座る。


「先にエリアノア様より手紙を頂いておりますので、大枠は存じております」

「それで」

「無論、ラズロル殿に協力を惜しまぬつもりです」


 ラズロルはイルダの瞳を見つめた。深いグレーの髪の毛と同じグレーの瞳には、濁りがない。


「ありがとうございます。ところでイルダ殿。貴殿はたしか第一王子の側近だったかと」


 何故その職を辞して、そしてこの領地にいるのか。それを問われていると気付き、イルダは彼の侍女が出した茶を飲むと、深呼吸をした。


「ほとほと第一王子に呆れまして」


 予想以上の単語が出たことに、ラズロルは目を瞠る。無論、第一王子が呆れられる程度では済まない愚か者であることは、この場にいる誰もが知るところではあったのだが。


「──ほう。ここにきてそれを?」


 ラズロルの声が少しだけ低くなる。それを受け、イルダは腹を括ったかのように溜め息を一つ。そうして、改めてラズロルを見た。


「実は、殿下があまりにも考えなしな手紙を、エリアノア様にお書きになって」


 あの日の手紙の内容と、自らの罪を話し始めた。

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