第40話 収穫祭
ホルトアからの手紙を受け取った翌日は、メイアルンの収穫祭だった。朝から街中が浮かれ、どこを歩いても音楽が聞こえてくる。
エリアノアが収穫祭の祈りの為の支度をしている間に、ラズロルはジョルジェと共にタジルを案内として、領内を散策することにした。
実りの季節とあって、領内はどこも美しく色づいている。道々には木の実や花、紅葉して色の変わった葉をあしらった飾りが、あちらこちらで見られた。
行き交う人々の表情は明るく、子どもたちは歌を口ずさみながら走り行く。遠くに見える山々は、赤や黄色を見せていた。
神殿と領主の館を中心に、領内の市街地は作られている。放射状に広がる街の各家や店の入り口には、ランタンがかけられていた。日が暮れてきたら火を点し、それが美しく浮かび上がるのだろう。
「少し遠出をしようと思うんだが」
「見てみたいものがございますか?」
「そうだな。タジルがこの領地で一番美しいと思う場所を」
「へっ」
「ラズロル様。まるで口説き文句です」
「まさか」
屈託なく笑うと、タジルが釣られるように笑う。
「まったく。無自覚系ですか」
「ラズロル様。私が男性で良かったですよ。その気のない女性には、そんなこと言ってはなりません」
「無自覚だなんて。私が女性を口説く時には、もっと本気になるだけさ」
「うっわ。怖いなぁ」
「無自覚どころか、自分の顔の良さや気品を十二分にわかってるタイプだった」
「本気でいきたいんだけどねぇ」
遠くの空を見ながらそう言うラズロルに、二人は顔を見合わせる。
「まぁ、貴族ってのはいろいろあるんでしょうね。エリアノア様は十分脈ありだと思いますけど」
「いや、そもそももう思いが通じ合っておられるのでは」
本人に直接言いたい気持ちはありつつも、その向こうの思惑があるのが貴族の婚姻だ。好きだの愛だのだけで動けるわけではない。ただ、その思惑と感情が重なれば、それは幸甚であると、そう思うだけだ。
二人はラズロルに言うことなく、お互いに小さな声でそんなことを口にしていた。
「それで、どこに連れて行ってくれる?」
「収穫祭の頃の朝に、一番美しくなるところへお連れいたしましょう」
タジルはラズロルを先導するように進む。
「すぐに辻馬車を回します」
「ああ、乗り合いで構わない」
「よろしいのでしょうか」
「こんなに領内が浮かれている日だ。同じ馬車で皆を見ていたい」
ラズロルの言葉に、タジルは破顔する。
(良い領主配になりそうなお方だ)
もしもエリアノアの夫となれば、メイアルンを共に治めることになるだろう。血の通った統治を期待できるラズロルの言動に、一人のメイアルンの民として、そう素直に嬉しく思った。
ガタタンガタタンとゆっくり走る乗り合いの馬車には、5歳ほどの少女と連れの老婆、妊婦の女性と手持ちランタンを五つも抱えた男性が乗っていた。
貴族服姿のラズロルが乗りこむと、皆驚いた顔をして礼を取ろうとする。
「そのままで。暫く道を共にさせていただく」
その礼を手で制し、笑う。元来、エリアノアも領民に無意味な礼を強いる質ではない。彼女は礼儀と礼は別のものであると考えており、礼を取るべき相手、場所も見極めている。貴族の間では貴族のルールを。領地内では気さくに挨拶をしあう。それがエリアノアの、そしてメイアルンの気質であった。
とは言え、領民もそれを通じさせる相手かどうかは、見極めている。メイアルンになじみのある公爵一家であれば、エリアノアと同じ対応をするが、ラズロルがどういう人間であるかは、まだ彼らは知らなかった。その為、貴族に対しての一般的な礼をとろうとしたのだ。
(穏やかで礼儀正しい。心地の良い領民と領地だな)
そんな彼らを穏やかに見つめるラズロルの足元に、少女がやってきた。
「これ、私の宝物なの。お兄ちゃんに、あげ、ます」
最後は照れてしまったのか、声が小さくなっていく。
「これを? 私にくれるのかい?」
少女の手から、形の良い葉にカイザールの花びらを一枚添えて布に縫い付けた栞を受け取る。
「私が作ったの。お兄ちゃん、王子様、みたいだから……」
言葉を口にのせる度に、みるみる顔が赤くなる少女に、向かいに座る老婆がにっこりと笑いかけた。
「ご無礼失礼いたします。お差し支えなければ、受け取っていただけませんか。絵本に出てくる王子様のよう、とこの子がさっきから嬉しそうで」
その言葉に、ラズロルは少女の手をそっと取る。たったそれだけの所作だというのに、まるでダンスの誘いをしているように見えてしまう。
「ありがとう。とても嬉しいよ。この贈り物も、あなたの気持ちも」
同じ馬車に乗っていた人間は、この小さな少女からおそらく齢八十は越えるであろう老婆まで、男女関係なく顔を赤くしていった。
「あーあ。やっぱり人たらしなんだから」
小さくジョルジェが呟いたが、それはラズロルの耳にしか届いていなかった。
*
タジルが連れてきた場所は、広い畑。そこには薄紫色の小さな花が咲き誇っていた。風が吹くと小さな花びらがゆらりゆらりと揺れる。
「これは……。美しい景色だな」
「そうでしょう。ラインネスという種類の穂畑です」
「ラインネス」
「ええ。メイアルンでしか採れない植物です。不思議なことに、他の土地に持っていって植えても、すぐに枯れてしまうのです。ここの気候と水、そして土でしか育たないのでしょう」
ラズロルはその言葉を聞き、改めて目を細めて畑を見た。
「ラインネスは麦穂のように実をつけ、この収穫祭の三日前に決まった節で刈り取ります。その刈り取った節が朝露を浴びると、こうして花が咲くのです。この花はきっかり十日間だけ、それも一日のうちで日が中天にのぼるまでの時間咲き、十日経つと枯れていきます。この花が咲くと、その苗は翌年も芽を出し、花がつかなくなったら、根から抜いて新しい苗を植えるのです」
「その十日間に雨が降った場合は?」
「それでも不思議なことに、きっかり十日です。今の季節は雨が殆ど降りませんから、十日間ずっと雨だったことは、記録を取るようになってからは、ないようです」
薄紫の花はラズロルの親指の爪程度だ。それが畑を埋め尽くしている。太陽の光を浴びると、わずかだが反射していた。
花弁にはうっすらと水分が浮かび、それが光を反射させている。聞けば、朝露がどうしてか蒸発せずに、花びらを覆っているという。
不意に、大きな風が吹いた。
ぶわりと花びらが一斉にめくれあがる。花弁の裏の白い色が、茶色い大地にやけに映えた。
太陽が中天に差し掛かると、花は次々にその花びらを畳む。そうしてあっという間にラインネス畑は真っ白な、まるで雪を積もらせたかのような姿に変わっていった。
「これはこれで美しい……」
「いつまででも見ていられるでしょう」
「ああ。いつまででも見ていられる」
「いつまでも見ていただきたいんですけどね、ラズロル様。そろそろ戻らないと、エリアノア様の祈りが始まります」
「もうそんな刻か」
「それはいけない! 申し訳ございません」
「いや、俺も見惚けてしまっていたからな」
「まあ仕方がないですよね。綺麗ですもん」
三人がそれぞれラインネス畑へと思いを寄せつつ、帰りは二輪馬車を呼び寄せ、急ぎ領主の館まで戻るのだった。
*
神殿の扉は大きく開け放たれ、多くの領民が神殿の中で、外で、跪き祭壇を見つめていた。
三時の鐘が鳴ると、神殿中の滝がぴたりと止まる。そうして、祭壇のある台座中央の階段からエリアノアが現れると、ウォーターハープが賛美の曲を奏でた。
エリアノアは白いエンパイアドレスに水の女神の花、カイザールを髪にあしらい、波打つ水のような銀色の髪を結ばずに揺らめかせている。祭壇の周りの水の道を素足で歩き、そのドレスの裾を水で濡らしていく。
やがて祭壇を一周するとその正面に向き合い、女神像に向け捧げられている多くの収穫物の名を一つ一つ、読み上げていった。
全てを読み上げると、ウォーターハープの調べにあわせ、高く美しい声で祈りを唱える。
祈り終えると、女神像が持つ水瓶からは光る水が大量に流れた。それが特別に作られた水路を通り、神殿を一周する水路へ合流すると、神殿内の滝が再び一斉に流れ始めた。
瞬間、神殿中の領民の口から「クールーン」と神への賛辞の結びの言葉が斉唱される。
「メイアルンの民よ。今日を無事に迎えられたことを幸いに思う。次なる
エリアノアが収穫祭の始まりを宣言する。
それを合図に神殿巫女が賛美の歌を奏で、エリアノアは滝の水を体に浴びながら、退場していった。
神殿の裏から領主の館へ戻ったエリアノアは、湯あみをして体を温め、支度を整える。
ドレスの色はラインネスの花色のような薄紫色。オーバードレスにはボルドーを組み合わせ、首元には木の実を模した宝石をつないだチョーカーが輝いていた。
領主の館と神殿は繋がっている。エリアノアの部屋からは、神殿の外の様子が見えるようになっていた。衣服を整えながら、神殿巫女の賛美歌にあわせて共に歌う領民を見ながら、今年も収穫の季節を無事に迎えることができたことに安堵する。
神殿での収穫の祈りは、宗教行事のようでいて、生活の行事であった。今年一年の豊作を感謝し、来年の実りを祈ることは、彼らの生活の上で大切な心の支えだ。
「エリー」
身支度を整えて部屋を出ると、繋ぎの間でラズロルが待っていた。
「祈りを見ていたよ。とても美しい光景だった」
「ありがとう。この領地の、この領民の心が、あなたが見た光景を作ったのだと思うわ」
ラズロルの差し出す掌に、自身のそれを重ね微笑む。エリアノアの言葉に、ラズロルは柔らかく笑みを返した。
「ところでメイアルン卿、このあとのご予定は?」
「今日はもう自由よ」
「では、俺とダンスを踊ってくれないだろうか」
「あら! ぜひお願いしたいわね」
太陽は随分と暮れ、外は薄明の美しさを漂わせている。街中のランタンに火が灯り、薄闇に浮かび上がっていた。
神殿の前の広場には舞台が作られ、楽団が演奏をしている。その曲にあわせ、人々が楽しそうに踊っていた。
「ねぇラズ。このメイアルンの踊りを教えてあげる」
ラズロルの手を引き、弾んだ声を上げる。その声に、表情に、何もかもに愛おしさを感じ、ラズロルの表情が緩む。
「いいね。ぜひ教えてくれないか」
エリアノアの体を支え、曲にあわせて踊り始める。周りの領民たちを見ては、見様見真似で体を動かすと、笑いながらエリアノアが「そうじゃないわ」「こっちよこっち」などと手を引き寄せた。
王城で踊るような、滑らかなワルツではない。おおらかで朗らかな、心弾むポルカのような曲調だ。時折跳ねるように体を弾かせ、足を鳴らす。くるくるとまわりながら、パートナーと手を合わせて音を生み出す。
「ふふっ。ラズも楽しそう」
「楽しいさ。こういうのは最高だな」
音楽に合わせて、誰かが歌い出す。その歌に他の誰かが声を重ねていく。少し調子外れの歌声も混ざるが、それすらも包み込む鷹揚な曲。
どんどんと曲が変わっていき、その度に広場には人が増える。
誰も彼もがくるくると踊り、まわり、笑顔が溢れていく。男も女も、老人も若人も、役人も有力者も、それ以外の人たちも。身分も年齢も性別も関係なく、誰もが髪にそれぞれの大切な花や実を付けて踊る。
(ラズと初めて踊った日の事を思い出すわね。なんだか、すいぶんと昔のような気がしてしまうけど)
あの時にも、ラズロルと踊る楽しさを感じていた。まるで幼い時に踊ったこの収穫祭の踊りのように、とても楽しいと感じていたのだ。
今、その収穫祭で彼と踊る。心の底から楽しくて、エリアノアは幸せで涙が溢れてきそうになるほどだった。
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