第33話 ミランズ

 グルサムがグリアーノに残り、ダルシュ商会に潜入する。その為一行は、下手に商会の店頭に顔を出すことはせず、旅路をすすめることにした。

 グリアーノの河口からは、三つの川を遡ることができる。その中から、ミランズを経由してメイアルンへと辿り着く水路へ、船は入っていく。

 田園地帯が続き、やがて森が現れる。その森の中にマジャリの木が植えられていた。


「ここからがミランズですね。エリアノア様、甲板に出られますか?」

「ありがとうマルア。確かに、外に出て様子を見た方が良いわね」


 ドレスの裾を翻し、甲板へ向かう。すぐ近くにラズロルが寄り添い、いつの間にかエスコートをしていた。川を上る船である為さほどの揺れはないが、階段などはやはり助けが必要である。側にいるのが当たり前というように、ラズロルは彼女の手を取った。

 晴れた空の下、甲板に用意されたソファに座り、岸辺を眺める。


「ミランズは農耕が主な産業だったわよね」

「はい。山間やまあいに平野が広がる土地ですから、麦を多く作っているはずです」

「麦……。バスムルクは大丈夫なのかしら」

「ムールアトからミランズへは高い山を超えないといけない。大丈夫、だと信じたいが──」


 ラズロルは川辺を確認し、小さく頷いた。


「最悪の時の対策は、とれるようにしとくか」

「? ええ」

「エリーは心配しないで。君は君のやるべきことをやれば良い」


 片目を閉じて笑いかける。その表情に、エリアノアは戸惑ってしまう。


(ウインクなんて初めてされたんだけど! こういう時はどうすれば良いの? 笑って返せば良いの? ああ、物語にはそんなこと書いてなかったのに)


「お嬢様、そろそろ船が到着します」

「え、ええ……。判ったわ」

「さぁお姫様、お手を」

「ふふ。私が姫なら、あなたは王子様ね」

「あなたが望むなら」


 やわらかく微笑むラズロルに、エリアノアは同じように笑みを返す。ただそれだけで良い、とここに至り気が付いた。


(難しいことを考えては駄目なのね。でもそれが難しい……)


 船着き場までの間に見える麦畑は、美しい金色をしていた。しかしその穂は膨らみが足りず、どこか心許ない。


「とりあえずバスムルクの害は来ていないようだけど……」

「宿に着くまでの間、馬車から見ていこう」

「そうね。今日は辻馬車にして、少し遠回りをして貰える?」


 エリアノアの言葉を聞き、すぐに近くにいた辻馬車を回していた。数が少ないらしく、大きめの辻馬車が一台だけしか用意できい。とは言え、船周りの始末をする為の随従は、船着き場近くに宿をとる。エリアノアやラズロル、それに侍女と従者が乗れれば問題はなかった。

 馬車はゆっくりと田園地帯を走る。窓から見える麦畑は、どこも穂は黄金色をしているが実りは少ないように見えた。


「働いている方々も、どこか線が細いわね」

「はい。不衛生という感じはありませんが、どこか儚い印象を受けます」


 ミーシャがエリアノアの言葉を受ける。ラズロルも頷き、マルアに向き合った。


「あとで外出する時に、エリーのドレスは公爵家の人間とわかるものにして欲しい」

「かしこまりました」

「ラズ?」

「これは良い機会かもしれないよ、エリー」

「どういうこと?」

「君の王子様になる為に、俺を利用して欲しいんだ」

「またあなたはそういう言い方をして。判ったわ。ラズに何か思うところがあるのね」

「君にとっても、公爵家にとっても、このミランズの民にとっても良い結果になるとは思うよ」

「──信じるわ」

「ありがとう」


 やがて馬車は宿屋街に到着する。

 ドレスを公爵家の人間とわかるようにすると決めたので、それに見合った宿を取ることにした。

 宿屋街で一番格式が高い宿を選ぶ。その中でも、最も良い位置に作られた部屋に通された。


「すごい良い見晴らし!」

「穀倉地帯だから、余計に遠くまで見えるんだな」

「エリアノア様、ご休憩されますか?」

「働いている方が外にいる時間に周りたいわね。マルア、着いたばかりで申し訳ないけど、支度をして貰える?」

「勿論でございます。ミーシャが今お茶の用意をしておりますので、しばらくの間召し上がってください」

「ありがとう。ラズも」


 居間となる部屋で窓の外を見ていた二人は、すぐ近くに設えられたソファに座る。ミーシャが用意したお茶を手に、景色を眺め続けた。

 遠くには山が見える。


「あの山の向こうがメイアルンよ」

「もうすぐだね」

「ええ。メイアルンには」

「行ったことはない」

「きっとびっくりするわ。山を超えたらすぐにね、ふふ」

「山の向こうに何があるんだい」

「今は秘密よ。私の大好きな景色があるの」


 エリアノアが支度の為に奥の部屋に向かうと、ラズロルは嬉しそうな顔を浮かべ、エリアノアの座っていた場所を見つめた。


「危ない──。可愛すぎて、抱きしめてしまうとこだった」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、そう呟きながら。



*



 エリアノアのドレスは、ボリュームと露出を抑えたデザインだった。

 裾丈は歩きやすさを優先したが、その布地は絹の中でも特に軽いエヴァルンガ産のものを使用している。少しだけ濃い色調なのは、自然の中に出る為だ。麦の穂の金色にあうように、オレンジが主となるバランスになっている。


「準備は完璧だね、エリー」

「……あなたの準備も完璧なようね」


 エリアノアの前に現れたラズロルもまた、公爵令息として完璧とも言える出で立ちだった。濃紺のジャケットが、エリアノアのオレンジ色と美しいコントラストを見せる。


「ミランズで一番情報伝達が早いと言われている村が、すぐ近くにある。そこに行こう」

「あなたはいつの間にそんなことを調べているの」

「ジョルジェは足も耳も早いんだ」

「まぁ!」


 楽しげに笑いながら、馬車へと移動する。先程よりは少し早い速度で目的の村に到着すると、ラズロルが先に降りた。

 畑仕事をしている人たちは、突然現れた貴族の馬車に騒然とする。口々に、税の取り立てではないか、誰か何か悪いことでもしたのか、と恐れながらその場にひれ伏した。

 ラズロルの手を取り馬車から降り立ったエリアノアは、その光景を目にし、口を開く。


「皆さん、どうぞ顔をおあげになって。立ち上がってくださいませ」


 鈴のように通る美しい声を聞き、少しずつ、恐る恐る人々は顔を上げる。その視線の先には、見たこともないような美しい女性が、輝くような姿で立っていた。女神でも降り立ったのかと、彼らは驚く。


 エリアノアのすぐ横にいたラズロルが、畑の土を手にする。そうして「やはり」と零した。ラズロルのその仕草を確認し、彼の目線が己に渡ったことを感じると、エリアノアは軽く頷く。それを合図に、ラズロルが改めて人々の方に立ち向かい口を開いた。


「今、隣のムールアトの地で、バスムルクの害が広がっている」


 その言葉に、人々はざわめく。


「私はファトゥール公爵家継嗣が一人、エリアノア・クルム・ファトゥールです。王都カイザランティアから、領地メイアルンへの旅の途中、ムールアトを通ってまいりました」

「バスムルクの虫害は火を放ち落ち着いたが、いつこの地を訪れるかわからない。そして──この土地はなぜこうも痩せているのだ」


 不安を煽り、そして同時に彼らが不満に思っていることへと寄り添い、理解を示そうとしていることを提示する。遠い存在と思われている公爵家を、身近に寄り添う立場のように感じさせる方法だ。


「話しても構わないでしょうか」

「ええ、ええ、勿論ですわ。教えてくださる?」


 すぐ近くにいた年若い男性が口を開く。


「私たちにはわからないのです。領主様は、決められた税さえ収めればそれ以上のことは何も言いません。ですが、本当にそれだけなのです。私たちは、この土地をどうすれば富ませる事ができるかの情報が何も入手できない」

「この村はそれでも、若い者が多いので情報を入手する力はある方です。だから、この村で得た情報は周りの村にすぐさま共有する。けれど、その情報が──」

「入ってこない」


 エリアノアの言葉に、その場にいる人々が一斉に頷く。


(ミランズ男爵が情報規制をするような話は、今の所聞こえてこない。そもそも規制する必要すら特にないはず。領民が目に見えて虐げられている訳でもないけれど、必要な情報を渡すことを放棄しているのは、ある意味虐げているのと同じよ)


「情報入手に関して、すぐに手を打てるわけではないが、一つだけ」


 ラズロルは膝をつき、再び土を手にした。


「この土にウルツライネスの粉を混ぜなさい」

「ウルツライネス、って河原にたくさんあるあの石ですか?」

「ああ。最近の研究で、ウルツライネスにはバスムルクの他にも虫を忌避する力があると判明した。それに、麦に関して言えば、ウルツライネスに含まれる成分が、栄養を与えるということも判っている。石を砕き粉にして混ぜるだけで良い」

「栄養を? だったら麦の実りが多くなる」

「あの石なら、誰もがタダでもらえるものだ!」

「どのくらい混ぜれば良いのですか?」

「土と石の比率は十二対一で、多少石の塊が残る程度の砕き方で十分だ」


 彼がそう言うと、人々の顔が一気に明るくなる。中には涙を流している者もいた。


「これで生きていく以外にも、お金を回せるくらいの収穫ができるかもしれない」

「少しでも収穫が増えたら、よその領地の技術を学びに行きたい」

「子どもたちに勉強させてあげられるかも」


 口々にそう言う。


「子どもが教育を受けられていないの?」


 聞こえてきた声に、エリアノアが驚く。ここカイザラント王国では、子どもが15になるまでは国の決めた水準の学習をすることが義務となっている。富めるものは家庭教師を雇うが、市井では基本的に学校に通わせることが常だ。数年ごとに領主に学術習得証明を提出しなければならないはずである。ただし、領主から国に提出する必要はない為、こうしたことが起きている可能性は以前から示唆されていた。


(ミランズ男爵。一体これまで何をしていたの。王都に戻ったら、徹底的に締め上げてやるわ)


「ファトゥール公爵様」

「いいえ、私はまだ公爵ではないわ。でも、できる限り皆さんのことを忘れないようにしますからね」


 まるで慈悲の女神のように見えたのだろう。エリアノアに話しかけた老女の前に、彼女が膝をつく。そうして老女の手を握りしめると、瞬間、人々の口からファトゥール公爵家万歳、と歓喜の声が広がった。老女の頬には、涙が伝う。


「私は八十年生きてきて、貴族様をありがたいと思ったのは今が初めてです」

「それは、私からお詫び申し上げますわ。みなさんの力になる為に、私たちがあるのですから」


 歓喜の声は、やがて日が傾き始めるまで続いていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る