第32話 マイハルンのホルトア02

 マイハルンの港で入国の審査を受ける。入国通過証をカイザラント国王名で発行している為、すぐに入ることができた。

 港から乗り合い馬車で、街の中心部まで移動する。

 乗り合い馬車だと言うのに、他に人がいない。港からの移動は少ないのだろうか。


「道は舗装されていて綺麗ですね」

「人の服装も清潔だ」


 ユキアとザシオネの言葉に、ホルトアも頷く。窓の外に見える景色はいまだ木々ばかりで、人家はほとんどない。時折見える煙の下には、おそらく家があるのだろう。

 しばらく揺られていると、ようやく街に入る。


「草を干している家が多いな」


 各家の軒下には、様々な種類の草を干している竿が吊り下げられていた。採りたてのものもあれば、随分乾燥しているものもある。花もあれば草のものも、場合によっては枝や実のものもあった。


「この辺りは冬が長かったか?」

「あれは薬草ですね」


 ホルトアの言葉に、すぐ直前の停車場から乗ってきた男性が声をかける。


「失礼。隣に行っても?」

「あ、ああ勿論。どうぞ」


 男性はホルトアの隣に座を移す。年の頃は六十を前後する程度だろうか。臙脂色のマントは煤でうっすらと黒ずんでいた。


「旅の方ですか」

「はい。先程船で着きました」

「なるほど。このマイハルンは薬学に秀でた国であることは」

「存じております」

「結構。それは市井にまで行き渡っていて、ああして庭先で採れたものを干して自宅で使う薬草にしているのです」

「皆さんご自宅に薬草を?」

「殆どの人はそうです。そうすることで、医者にかかる手間や費用を抑えているのです。ただし、その他の場所での薬草の採取は制限されています」


 貧しくなればなるほど、医者にかかることは難しくなる。難易度の高い薬草は別にして、簡単に扱える薬草は軽度の病には効果を発した。


「皆さんその知識はどこから?」

「基本的には神殿から学ぶのですが、一般の人はそうもいかない。そこで、神殿で学んだ人が街々に住んで教えるわけです」

「ほう──。例えば、あなたのように?」

「おや、随分と私を買ってくださる」

「あなたのそのマントは、神殿の関係者の証でしょう」

「旅の方でもご存知でしたか」


 水の神の象徴となる色が青であるように、臙脂色は火の神の象徴である。そのマントを身にまとうということは、関係者である可能性が高かった。


「海から、ということはハイサリ教皇国からではないですよね」

「ええ……カイザラントから」

「ふぅん。どちらへ行かれるのですか」

「なに、ただの観光なので、街を見て回ろうかと」

「でしたら、もしお困りの事があれば、マイハレーニアの東14地区のガジュアトをお訪ねください。私と、私の弟子がお待ちしております」

「マイハレーニア東14地区のガジュアト殿ですね。ありがとうございます」

「では、私は次で降りますので」


 会釈をして馬車を降りる。林の中に消えていったので、おそらくは制限内での薬草を採りに行ったのだろう。


「何者でしょうか」

「ユキア、神殿関係者と貴族、あと軍部を調べてくれ」

「仰せつかりました」

「随分と隙のない御仁でしたね。貴族か武人としか」

「全くだよ。旅先早々にあんな人物に出会うなんて」


 再び三人だけになった馬車で、ホルトアは溜め息を吐いて天井を仰ぎ見た。



   *



 マイハルン王国の首都マイハレーニアには、驚くほど宿屋が少なかった。港からの馬車に人がいなかったことを考えれば、旅人自体が少ないのかもしれない。

 数少ない宿屋はどこも満室で、ホルトアたちが泊まる場所が見つからなかった。


「これは早速、ガジュアト殿を訪ねることになりそうだな」

「ユキアが戻ってくるまでは、待って欲しい」

「そうだね。さすがに何者かわからないところに、飛び込んで行くわけにはいかない」


 マイハレーニアの街はどこか静かで、一国の首都と言うには寂しさを感じる。かと言って、人がいないという訳でもなかった。行き交う人の身なりは清潔で、華美ではないがきちんとしている。ただし、時折肩で風を切るような粗野な人間が徒党を組んで歩くのを見かけた。


「彼らに怯えて静かにしているのか?」

「それは有り得そうだ。夜になったら俺が調べてくる」

「助かる。頼んだぞザシオネ」


 街の中心部に到着する。そこには大きな祭壇が築かれていた。中央には炎が灯り、時折パチパチと火の粉が爆ぜる。

 手前にはたくさんの花や食べ物などの供物が並べられ、その手前には大きな石の台が置かれていた。その台には、血の跡が残っている。


「……ザシオネ、行くぞ」


 それを見てわずかに瞳を曇らせたホルトアは、すぐにその場を離れる。その様子にザシオネは異を唱えることもなく、静かに従った。

 祭壇から数十メートル離れた所には階段があり、神官はそこから神殿に行けるようになっている。一般の人の為の入り口はさらに奥にあり、長い坂を登っていく。その先に火の神ハイサリの神殿があった。


「ホルト……」

「ユキアだ」


 ホルトアの視線の先、神殿へと続く坂道からユキアが降りてくる。互いが互いの姿を認めると、三人はそれぞれ離れて歩き、街はずれの川岸に集う。


「単刀直入に言うと、ガジュアト殿は侯爵家の人間です」

「侯爵家」

「更に言うと、元当主です」

「は? あの人が?!」

「ザシオネの気持ちもわかる。が、ユキアの報告を最後まで聞くぞ」

「あ、ああ。そうだな」

「名をガジュアト・ボフレイ・エゼックと言い、エゼック侯爵家の元当主。早々に息子にその地位を渡して、悠々自適に──と言うのかはわかりませんが、隠居生活をしています。住まいはホルトア様に伝えられた場所で間違いありません」

「マイハレーニア東14地区だな」

「はい。周囲に身分を隠しているようです」

「でも神殿のマントを着ているだろう」

「あのマントですが、神殿で薬学を学んだだけでは手に入らず、そこでかなりの結果を出すか、献金をするか、あるいは公侯爵家の出自であるか、などで得られるそうです」

「全然身分隠してないな?!」

「ザシオネの言う通りよ。ただし、あのマントをつけていると自由に薬草を採ることができる」

「なるほど。じゃあ市井ではつけてない可能性が高いのか」

「その通りです。市井での評判も悪くなく、偏屈な親父風という評判ではありますが、困った時に助けてもらったという声が多く聞かれました」

「偏屈な親父

「あれだろ。本人はそうブっているけど、実際は、って」

「またしてもザシオネ正解。結局は困った人を見捨てられないタイプの人間らしいね」


 ユキアの報告を受け、ホルトアは頷く。


「うん、ガジュアト殿を訪ねていこう」


 再び街中へと戻る。マイハレーニア東14地区は、神殿から遠い下町地区だった。夕飯時ということもあり、あちらこちらの家から良いにおいが漂ってくる。


「ここか」


 石とガラスでできた扉の前にある呼び鈴を鳴らす。

 がちゃりと扉が開き、若い男性が顔を出した。


「どちら様で──」

「昼間ガジュアト氏に世話になっ」

「ホルトア殿?」

「え……」


 突然名前を言われ驚くホルトアたちを、男性は急ぎ招き入れる。


「早く。とにかく中へ」

「あ、ああ。お前たちも」


 三人は扉の中に入ると、男性に続き奥へ向かう。ユキアとザシオネは静かに刀の柄に手を触れさせる。ぴりりと二人の空気が張り詰めた。


「もしや……ソラリアム殿か?」

「よくお気付きで」


 その返しに、ホルトアの空気もざわめく。


「二人共安心しろ。この方は、カイザラント国民だ。ただし──ムールアト伯爵の子息だが」

「ホルトア殿。みなさんも。お……私は両親から逃げるようにしてこちらに来たのです」


 ホルトアの言葉で更に殺気立った二人だったが、ソラリアムの思いがけない言葉に戸惑う。


「──なるほど。確かにあなたはムールアト伯爵ご夫妻とは少し違うようだ。お話を伺っても?」

「はい。その前に、私の師を改めてご紹介いたします」


 奥からガジュアトが顔を出し、手招きする。ユキアとザシオネがホルトアを挟むようにして、歩を進めた。


「あなた方がソラムの知り合いだったとはね。ということは私の正体もご存知ですか」

「ええ、軽く、ですが」

「ははは。改めて名乗らせてもらいます。ガジュアト・ボフレイ・エゼック。エゼック元侯爵です。今はただの薬草狂いの親父でして」


 ホルトアたちに座るよう勧める。床にクッションを置いて過ごす。それがこの国の一般的な生活習慣だった。思っていた以上に柔らかく、座り心地の良いクッションに体を委ねる。


「良い座り心地でしょう。これに慣れると、椅子に戻れないんですよ」

「ソラリアム殿の言う通りです。まったくこんなに心地良いとは」

「ソラムとお呼びください」

「では、私のこともホルトアと」

「いえ! 私とはお立場が異なりますから」

「旅先でのことだ。どうだろう」

「……では、お言葉に甘えまして」

「こちらはユキアとザシオネ。二人共従者ではあるが友人だ」


 お互いに挨拶を交わすと、ガジュアトから茶を振る舞われた。ユキア、ザシオネの順に飲み問題がないと判断すると、ホルトアが口にする。万一の事があった場合の戦力を考えて、先にユキアが飲むとかねてより決めてあった。


「美味しいお茶ですね」

「それは嬉しい。薬草茶です。疲れがとれると言われています」

「ソラムは薬草を学びに?」

「はい。ゆくゆくは王宮の薬室に勤めたいと思っておりまして」

「なるほど」

「とは言え、私はムールアト家を継ぐ立場。そこで、母の郷里がマイハルンであることを理由に、遊学という名の留学をしに来たのです」


 留学と言ってしまうと父親が反対すると思ったのであろう。領地運営の勉強と思わせたのは利口なやり方である。


「父も母もあまり賢くはないので、できるだけ早くお……私が」

「俺、で良いよ」

「ありがとうございます。慣れなくて」


 くすりと笑うその顔は、貴族というよりも市井の人々の作る自然な笑みだった。


「できるだけ早く俺がムールアトを継ぎ、領地運営の傍ら薬室に入りたいと思っています」

「それは本当に良い考えだと思う。今王都で何が起きてるか知って?」

「王都で? いえ、妹ができたことは、父からの手紙で知りましたが」

「その妹と第一王子が恋仲に」

「──は?」

「……その反応で助かったよ」


 どうやら彼は本当に蚊帳の外らしい、とホルトアが確信する。他の三人は、二人のやり取りを見守る。


「この先を、私が聞いていても良いのかな?」

「失礼ながらエゼック元侯爵」

「はいはい。私の家も私も、王宮とも神殿ともできるだけ疎遠でいたいと思っているタイプでね」

「ホルトア、それは俺が保証する」

「ではガジュアト殿。ぜひ話はご一緒に」


 卿、と呼ばないのは、ガジュアトの生き様を尊重したホルトアの配慮だった。それに気付き満足気に微笑むと、ガジュアトは奥からいくつかの食べ物を出す。


「腹が減っているだろう。大したものはないが、腹を満たしながら話をしよう」


 マイハルンの主食であるジャンビル豆のパンとゾルファ鳥のシチューだ。温かいシチューを流し込みながら、マイハレーニアの夜は更けていった。

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