第25話 ラズロルとの合流

「エリー!」


 ザングルの船着き場で、ラズロルが待ち構えていた。木の板で作られた桟橋に船が着くと、エリアノアの手を恭しくとる。そんな彼もまた、貴族然とした服装をしていた。


「ようこそ、我が姫君」

「ふふ。ラズも王子様みたいよ──きゃ」

「危ない」


 桟橋が揺れ、エリアノアの足元がふらつく。ラズロルは彼女の腰に手を回し、体を引き寄せる。そうしてそのまま抱き上げると、陸地に用意していた馬車まで彼女を連れて行った。

 二人が近付くタイミングで、御者が扉を開く。エリアノアを乗せ、その隣にラズロルが座った。

 共に従っていた侍女二人と、随従の二人はもう一台の馬車へ。他の随従は、そのまま船でボルシェアに向かうよう指示される。


「大丈夫?」

「いろいろな意味で、ドキドキしているわ」

「随分素直だね」


 くすりと笑うラズロルに、エリアノアは眉を下げ、小首を傾げた。


「もう隠しようもないくらい、体が近付いてしまったもの。──恥ずかしい」

「俺も、不作法に抱き上げてしまって申し訳ない。でも、転ばなくて良かった」

「助かりました。ありがとう」


 エリアノアが落ち着いたことを確認すると、ラズロルが剣の柄を天井に三度、コツコツコツとぶつける。それを合図に、馬車は動き出した。

 ザングルからボルシェアへの車中で、詳細な話を聞くことができた。

 バスムルクの虫害は酷く、特に被害の大きかった麦の村サナウは、一面に焼いた畑が広がっていたという。


「……そんなに」

「その時に大部数のバスムルクは焼死したようだけど、まだいるだろう」

「ええ。すぐにお父様を通して国に奏上しないと。それに、メイアルンにも」

「それが良い。それから、ツァルセン子爵から手紙鳥が来ている」


 手紙鳥が運んだ封筒をエリアノアに手渡す。封緘にはツァルセン子爵家の紋章が入っていた。子爵個人の紋ではなく、子爵家の紋章である。それをエリアノアが確認すると、再びラズロルが受け取り胸元から小さなナイフを取り出し、開封した。

 エリアノアが内容を確認する。読み終えた彼女は、ほっと息をいた。


「子爵の了解は取れたわ。あとは暴徒と化す前に、彼らを説得しないと」

「その為の舞台は用意してあるよ。ファトゥール公爵継嗣殿」


 以前にはメイアルン子爵とエリアノアを呼んだ彼は、今あえて、彼女をファトゥール公爵継嗣と呼ぶ。その意味は、彼女がこれから行うことが国一番の実力と財力、そして血統を持った『ファトゥール公爵家』として行うことであると、認識しているからであった。


「ラズがいてくれて助かったわ」

「言っただろ? 必ず君の力になるって」

「ふふ。本当ね」


 ラズロルはボルシェアに流入している難民を一か所にまとめ、滞在させた。ボルシェア中に同郷の者が散り散りになることは、彼らにとっても本意ではない。そこを利用し、ラズロルは助けが来る旨を告げ、難民を集合させたのだった。


「ボルシェアの民はなんと?」

「彼らは安定した政治の元、生活している領民だ。ゆとりがあるから、領主の指示さえあれば、彼らを受け入れる気持ちはある。ツァルセン子爵自身も、難民を助けたいと思っていたようで、すでに備蓄庫からの食糧援助は指示している」

「そう──」

「ただ、子爵がムールアト伯爵に申し入れをしているにも関わらず、伯爵からはもう数日間も返事がないと」


 その言葉に、エリアノアは眉をしかめる。


「ミレイのドレスは豪奢に支度させながら、領民の苦難に耳を貸さないばかりか、隣領の領主からの申し入れにも返事をしないなんて」


 深い溜め息を吐く。手にした扇子を開くと、顔を覆い窓の外を見た。

 民家が立ち並ぶ。食事の支度をしているのであろうか。家々の煙突からは煙が出ている。穏やかな生活がそこにはあった。


(ムールアトの麦農家の方だって、こうした穏やかな生活があったはずなのに)


 虫害で奪われた。それは自然のことだから仕方がないかもしれない。しかし、それに対応するのが領主であろう。領主が対応できないのであれば、国に助けを求めるべきだ。その為の国家であり、領主である。


(ムールアト伯爵は、何を考えている)


「エリー。もうすぐ到着する」


 ラズロルの言葉に、頷く。そんなエリアノアの手を取ると、ラズロルは指先に口付けをした。


「俺の心は、エリー。君と共に」


 その言葉に、エリアノアの胸は熱く燃える。


「──許します」


 馬車の中であるというのに、まるでそこが宮中であるようなやりとりを交わす。ゆっくりと馬車が止まり、ムールアトの難民が集う広場へと二人は降り立った。



*



 数百人は優にいるであろう難民が、ボルシェアの大きな広場に集められていた。中には小さな子どもや若い女性もいる。

 ムールアト領にあるシシュア、リンダス、アイドニアなどの穀倉地帯の農民たちだ。


 簡易的なテントを広場の周囲に張り、そこでキャンプをしている。先導していたミーシャたちが、彼らを広場の中央に呼び寄せていた。

 広場に設えられている高台に、ラズロルのエスコートの元、エリアノアが立つ。

 それまで方々を見ていた難民たちが、何事かと目を向けた。



「私は、ファトゥール公爵家継嗣けいしが一人、エリアノア・クルム・ファトゥールです」


 エリアノアの凛とした声に、ざわめきが消える。いくつもの瞳が、エリアノアを見つめた。


「ムールアトの皆さん。バスムルクによる苦難、本当に大変だったかとお察しいたします。今もここボルシェアの街のご尽力で、炊き出しが行われておりますが、ご心痛はいかばかりかと……」


 ここで、一度言葉を切る。ゆっくりと集まる難民を見つめ、再び口を開いた。


「ツァルセン子爵にお話しをいたしました。ボルシェアの一角に、しばらくの間の住居を用意してくださるそうです。衣食住に関しては、ファトゥール公爵家からも援助いたします。郷里に帰りたいお気持ちは重々承知しておりますが、今しばらく、ご辛抱ください」


 ゆっくりと膝を折り挨拶をすると、難民からはどよめきが起きた。今まで、ムールアトでは、貴族が庶民である農民に膝を折ることなどなかった。ムールアト伯爵は気位が高い。自分より下の身分に対して、丁寧な対応をすることなど一度もなかったのだ。

 それが、国一番と言われる公爵家の継嗣が、膝を折り辛抱してくれと口にする。難民の中には涙を流す者まで出た。


「小さな子どものいる家庭、病や怪我を持つ人のいる家庭、お腹に赤子を抱えている家庭は遠慮なく申し出て欲しい。ファトゥール公爵家とツァルセン子爵家が加えてサポートをしよう」


 ラズロルがエリアノアの言葉を補うように口を開く。その王子然とした姿に、難民たちはさらに感謝をした。

 高貴な人間が自分たちを見捨てていない。政を行う立場の人間が自分たちを見捨てていない。それだけで、この先の道が暗いものではないと彼らは思う。


 いつしか、拍手がさざ波のような大きさから強いうねりをもって沸き上がった。そんな彼らを優しく、慈しむような表情で迎えるエリアノアとラズロル。

 そこへ、かねてラズロルが手配していたボルシェアの街長まちおさが登場する。


「我がボルシェアの街は、皆さんを歓迎いたします。明日にでも仮住まいにご案内いたします」


 続け様の応対に、ムールアトの民はファトゥール公爵家とツァルセン子爵家、そしてボルシェアの街の人々に対し、深い尊敬の念を抱く。やがてそれは、小さな種から芽吹く大きな樹へと、育っていくのだった。

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