第24話 ツァルセン02 剣の祝福

 宿に戻ると、マルア、グルサムが控えていた。夕食をとった後、居間となる部屋でお茶を飲みながら、話をすすめる。


「では、その船が入るジョコダの港をご確認になると」

「そうね。とりあえず行ってみましょう。マルアの方は?」

「それがどうも、最近ボルシェアに人が溢れているらしく」

「ボルシェアに? 何か観光になるようなものでもあったかしら」


 エリアノアの疑問に、グルサムが声を一段低くして口を開いた。


「いえ、ムールアトからの難民らしく」

「難民ですって?」


 ここツァルセンと隣り合う領地がムールアト伯爵の治める、ムールアトだ。ボルシェアとは、その二つの領地の境にある、ツァルセン側の都市だった。


「詳細なことは、宿にいる人々からは分からないのですが」

「ジョコダの港よりも先にムールアトね。実際に行ってみないと」

「その前に俺が行ってくるよ」

「……ラズ?」


 エリアノアに向かい合う形で座っていたラズロルが、席を立つ。そうして、彼女の前に跪いた。


「何が起きているのか分からないのに、エリーを行かせることはできない」

「それなら、一緒に行って様子を見れば良いのでは?」

「駄目だ。危険な可能性もあるだろう」

「でも、あなたにだって危険が及ぶかもしれないわ」

「俺はこれでも、ある程度の剣の覚えはある。心配ならエリーの随従を一人貸してもらえれば」

「それは……構わないけれど……私も様子を見たいわ」

「エリー。君の領地はどこ?」


 ラズロルの言葉にエリアノアは、はっとする。


「エリーに万一のことがあったら、メイアルンの民はどうなる。俺は君を守り、無事にメイアルンまで送り届ける必要がある」


 ラズロルは彼女の手を握り、その甲を優しく撫でる。瞳を見つめれば、お互いの視線が絡み合った。

 窓の外の喧騒が遠くなる。時間がゆっくりと流れているような感覚。エリアノアの心臓がまるで早鐘を打つように、大きな音を立てる。

 手の甲に、ラズロルの唇がそっと触れた。通常一秒ほどで離れるそれは、随分と長い時間触れているままだ。


(手の甲から……指先から……なんだか力が抜けていくよう。それに、なんだか熱い……。まるで血液が沸騰しているような気がする)


 ゆっくりとその唇が離れ、再びエリアノアの瞳をじっと見つめる。


(笑えば良いのに。いつもみたいに、笑えば良いのに。わかっているのに、唇が震えてうまく笑えない……。こんな時はどうすれば良いのよ)


 ラズロルのライトグレーの瞳には、真っ赤になったエリアノアが映る。その瞳を三日月のように細め、笑いかけた。


「エリー、君はここで待っていて。ジョルジェと言ったね。俺と一緒に来てくれるか?」


 エリアノアがジョルジェに頷くと、彼はすっと立ち上がる。それを見て、ラズロルもその場で立ち上がった。

 ラズロルの足元に、ジョルジェが跪く。


「必ずや、お役に立ちましょう」

「ありがとう、心強いよ。──すぐで悪いが、今から支度をしてくれるか」

「かしこまりました」

「今から行くの?」


 すぐの出立を仄めかせたラズロルに、エリアノアが驚き立ち上がった。


「ああ。こういうのはすぐに動いた方が良いだろう?」

「そうだけど──」

「どうしたんだ。今日の君は、少し判断が鈍っているね。少し休んでいた方が良い。──ミーシャ」

「はい」

「エリーを頼む。今日は私の帰還を待たず、寝るように」

「せめて待たせてもらうくらい、させてくれないの?」

「エリー。今からムールアトに向かうんだ。どちらにしろ、戻りは明日になるだろう。ゆっくり休んで、俺を出迎えてくれないか」


 少しだけ戸惑いながら瞬きをするエリアノアの耳元へ、ラズロルはささやきかける。


「良いから任せておけって。俺を信じて」

「うん……。信じる」


 その言葉には、エリアノアも頷くしかない。そんなエリアノアにラズロルは自らの剣を手渡した。


「ラズ?」

「エリー。良かったら俺に、祝福を」


 剣の祝福は、王家の血が流れる女性が行う。一番格式の高い祝福は、神殿の姫巫女が行うものだが、その姫巫女になる資格のある王家の血の流れる女性であれば、可能だ。

 水の女神の加護を願い、その剣に女神の力を分霊わけみたまとし、宿す。その為の祈りは、水の女神カイアルファトゥールを始祖とする王家の血筋に近ければ近いほど、聞き届けられるとされていた。


 実際にどれほどの効力があるかは、誰も知らない。だが、国家としてそうである、とされることが大切なのだろう。

 エリアノアは剣を受け取る。彼女の前に、ラズロルが跪いた。


(美しい剣──)


 豪奢な鞘ではない。しかし、真っ直ぐにのびた鞘は、まるでラズロルの瞳のように美しく磨かれている。柄には水の女神のシンボルである蓮の花が掘られていた。剣自体はそこまで重くない。良い剣なのであろう。


「水の女神カイアルファトゥールの名に於いて、ラズロル・リードル・マイトファイアの道に慈悲と輝きがあらんことを。その剣の刃が、水の如き強さと鋭さと慈しみをもたらさんことを」


 ラズロルの肩に剣を置き、エリアノアが祈りを唱える。静かな室内に、月光が一筋。その光を、鞘がそっと受け止めた。



*



 翌日の朝。

 落ち着かない様子で窓の外を見ているエリアノアの元へ、一羽の鳥が到着した。


手紙鳥てがみとりです」


 足首に手紙の入った筒を括り付け、急ぎの手紙をやり取りする為の鳥だ。受取側に目印となる特殊な鈴を用意しておけば、どこにでも飛んでいける。

 グルサムが手にその鳥を止まらせて、手紙を取り出す。


「お嬢様」


 封緘に蓮の模様が押されている。ラズロルの剣に彫られていたものだ。それを確認したエリアノアは、グルサムに封を開けるよう指示をした。

 改めて手渡された手紙を見る。


「……麦に虫が?」

「おそれながら、それはバスムルクでございましょうか」

「グルサム、その通りよ」


 バスムルクとは、麦だけを襲う虫の名前だ。常には少量生息するだけだが、何らかの自然バランスにより、時折大量発生する。麦の穂を食べつくすそれは、大量に発生すると駆除をすることが難しく、畑を焼き尽くさないといけないことも多い。


「たしか、ムールアトの主産業は麦農業にございます」

「それでバスムルクが発生してたら、大変なことになるわね。でも」

「はい。王城にその情報はあがってきておりません」


 グルサムはファトゥール公爵家の文書管理を行っているが、ファトゥール公爵家の立場上、王城に上がってくる各地域の事象の複製も管理していた。

 虫の発生ともなれば、他の地域への影響もある。本来であればすぐに、領主である貴族から国に奏上されるべきものであった。


「ボルシェアに来ているのは農民なのでしょうか」

「ええ。ただ麦の他にも育てている方たちは、家を離れられていないそうよ。麦だけを育てていた方が、収穫もできず、税も払えず、食べるものもなく、ボルシェアに逃げてきたらしいわ」

「エリアノア様。どこの領地にも備蓄倉庫がある筈では」

「倉庫にも蓄えがなかった、と」


 国家法で、各領地には緊急の事態に対応できるように、備蓄倉庫を作ることが決められている。しかし、その中の管理までを国がチェックすることはない。

 正当な統治をしている領地であれば、それはきちんと運用できている筈だった。


「……逆に言えば、今ムールアトは正当な統治がされていない可能性があるわね」


 そこまで言うと、エリアノアは瞳を閉じる。


(ムールアトの民を味方に付ける。ツァルセンに負担をかけず、恩を売る。二つを両立させるには……)


「お嬢様、二羽目の手紙鳥です」

「構わないわ、開けてちょうだい」


 エリアノアの指示に、グルサムはすぐさま開封し、手渡す。それを受け取り、読み進むに連れ、彼女の瞳が大きく開いていく。


「暴動が起きる可能性がある、と」

「! それは……。確かに状況を伺うに、これまでの記録と照らし合わせても、暴徒と化す可能性が非常に高いですが」

「そうでしょう、グルサム」

「では、ラズロル様はお嬢様にこちらで待つように、と?」

「いいえ、マルア。彼はボルシェアに来るように書いてきているわ」

「暴動が起こるかもしれないというのにですか?」


 マルアの驚きも当然だろう。その場にいる他の二人も、同じ様に驚く。

 そんな彼らに、エリアノアは笑顔を見せる。


「ラズの考えと私の考えは、おそらく同じだわ」


 そう言うと、窓の外を見る。この宿からは、領主の館の屋根が微かに見えた。その屋根には、ツァルセン子爵家の紋章が記された旗が掲げられている。


「子爵は領地にいらっしゃるのね。だったら話は早いわ」


 領主が領内にいる場合には、領主の紋章旗が掲げられ、不在の場合は王国旗が掲げられることが、この国の決まりであった。


「グルサム。先ずはラズに、ボルシェアに向かうと手紙鳥を出して」

「他にお言付けは」

「彼らのように馬で向かうわけにはいかないから──馬車でどのくらいかしら」

「そうですね。馬車でしたら、船の方がお早いでしょう。三時間ほどで到着できるかと」

「そう──そうね。それなら、ボルシェアの手前の街で降りて、そこからラズたちと合流して馬車で行くのが良いわ」

「ボルシェアの手前ですと、ザングルとなります。ボルシェアより少し大きな街でございます」

「結構! ジョルジェに馬車を二台用意させるように。二頭立てと一頭立てよ」

「なるほど。二頭立ては一番豪華なものを用意するよう、書き添えます」


 グルサムの言葉に頷く。


「マルア、手紙の支度を。ミーシャ、の外出着を用意して」


 エリアノアのその言葉に、侍女二人も意図を汲み、すぐに公爵令嬢が外出の時に着るに相応しい衣装を用意する。合わせて靴と帽子も支度した。

 用意された外出着を身につける。絹でできた軽いものだ。青いスカートに、袖は白くゆったりとしたもの。大きなリボンが腰にあしらわれ、丈は床よりもほんの少しあがっているだけだった。髪の毛をハーフアップでまとめ、帽子を被れば、どこから見ても公爵令嬢と認識できる出で立ちになる。その美しさに、その場にいた三人は溜め息をつくほどだった。

 髪を結い上げる間にエリアノアがしたためた手紙を、早馬で領主の館へ運ばせる。


(ムールアトの状況如何では、先にメイアルンに向かった方が、良いのかもしれない)


 メイアルンでも麦の栽培を行っている。収穫間近のこの時期に、バスムルクが移動でもしてきたら、ひとたまりもない。状況を確認次第、メイアルンへ連絡を入れるべきだとエリアノアは確信していた。


「お嬢様、船の用意が整いました」


 船を操る随従が声をかける。その声を聞き、エリアノアが瞳を細めた。


「今からファトゥール公爵家継嗣けいしの一人として、ボルシェアに向かいます」

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