第21話 メイアルンへの旅立ち
カイザラント王国は水の女神を祀るだけあり、水量の豊富な王国だ。それは国内に張り巡らされた水路網でも良くわかる。交通の要も水路であり、陸路以上に発達していた。
王都カイザランティアからエリアノアの治めるメイアルンまでも、水路を使った旅となる。メイアルンの方がカイザランティアよりも標高が高い為、言葉としては下るというが、実際には川を上っていくことになる。
メイアルンからカイザランティアに向かう時には三日、カイザランティアからメイアルンに向かう時には流れに逆らうことになる為、通常四日はかかった。
「では、途中いくつかの街に立ち寄るということで」
「ラズには長い時間、協力してもらうことになるけど」
「構わないよ。せっかくの旅路だ。たくさん話をしよう」
ラズロルの言葉に、エリアノアは小さく頷く。嬉しくて勢いよく返事をしてしまいそうになる自分をおさえたら、頷くことしかできなかったのだ。
「エリー、収穫祭の頃にはそっちにいくからね」
「ええ。ホルトアも気を付けて……。特にあちらでは」
「ありがとう。──ラズ、エリーを頼む」
「ああ、任せてくれ。君の大切な姉君には、傷一つ付けさせないさ」
「二人ともおおげさねぇ。そんなに危険なことはないわ」
「エリーは可愛いからね。心配なのさ」
「もう、ホルトアったら」
額に挨拶のキスを落とし、ホルトアは笑って「それじゃあ」などと手を挙げて馬車に乗り込んだ。ラズロルも同乗する。
彼らのすぐ後ろにも馬車が連なり、そちらにエリアノアと侍女が二人付き添った。
馬車を見送るのは、二人の両親と執事、それに屋敷の者たちだ。エリアノアたちの荷物は一足先に、随従と共に船に運ばれている。
二台の馬車は船着き場を目指す。船着き場からは、東西南北へと水路が分かれており、ホルトアは彼の領地ズールマトのある──そしてその先にシラルク連邦王国のある、西方へ。エリアノアは彼女の領地メイアルンのある北方へ。そこから分かれて船に乗る。
ホルトアの馬車から降りたラズロルは、後ろを走るエリアノアの馬車を待ち、彼女と共に。
その様子を見届け、ホルトアも船に乗った。
「ふふ。ラズは側仕えの服を着ていても、王子様みたいに見えるわ。ねぇ、マルア」
「本当に。公爵家のご子息とお伺いしておりますが、それ以上の気品がございます」
「そんなこと言うと、ホルトアが王子様然としてないみたいだ」
「あら、本当。そんなつもりで言ったわけじゃなかったのに」
「お嬢様、ホルトア様が知ったら、寂しそうなお顔をされますよ」
「ミーシャ、その通りね。内緒にしておかなくちゃ」
船は中で軽く横になって休息ができたり、お茶をすることができる程度の大きさ。船室の後ろ側には、ゆっくりと外を楽しむことができるデッキが用意されていた。四人はそこで、川岸の様子を見ながら過ごす。
どこにも停泊する予定のない場合、船中泊となる為、寝泊まりに重きをおいた規模の船となるが、今回は寝泊まりは、その日立ち寄る領地の宿となる。それ故、小ぶりな船が用意された。
公爵家の船であることは隠さず、けれどエリアノアとラズロルはあくまで、公爵家の使いの者という体の移動だ。それもあり、あまり豪奢な船とはしなかった。
他領地の視察という目的もある為、街中を歩くのにはその方が都合が良い。
ある程度の資産を持つ商人の娘とその側仕えの者たちが、公爵家の依頼で各領地の名産を購入する。エリアノア一行の名目は、そういうこととなった。
「どう? 商人の娘に見える?」
デッキに置かれたソファを立ち上がり、その場でくるりと回転する。いつものドレスよりも少しだけ丈が短く、布が重い。絹で作られたドレスと違い、木綿で作られたそれは、しかし染められている色彩は明るく美しかった。サーモンピンクのギンガムチェックが愛らしい。
「エリーは、どんな格好でもお姫様みたいだな」
「……あ、ありがとう」
気付かれないようドレスを握りしめ、笑う。僅かに眉尻が下がった。
「お嬢様、風が少し強くなってまいりました。王都を出るのはもう少しかかりましょう。中にお入りくださいませ」
「そうですわ。お茶をご用意いたします」
「え、ええ。そうね。ラズもお茶にしましょう」
(ラズってば、本当に私が嬉しくなる言葉をかけてくれるのね。勘違いしちゃいそう)
エリアノアが言葉に窮した事を察し、侍女が助け舟を出す。完璧な連携に、ラズロルが笑みを浮かべた。
「エスコートしますよ、姫君」
エリアノアの手をそっと取り、階段を少し先に降りる。ゆっくりとタイミングを合わせながら、階下まで気遣う。
段数にすればほんの数段だが、随分と長い時間に感じる。ドレスの裾を片手で軽く上げながら、エリアノアの右手は、ラズロルの手のぬくもりを感じていった。
(──体中に熱がまわりそう)
幽かに揺れる船のせいなのか、高鳴る胸のせいなのか、足元がふわふわとまるで浮いているかのように感じる。
幼いころに知った恋の始まりとは全く違う心の動きに、彼女は驚きの連続だ。物語の中でだけで知っている恋が、こんなにも体中で感じるものだとは思わなかったのだから。
「エリー?」
ぼんやりとしているエリアノアを気遣い、ラズロルが声をかける。その声の優しさに、エリアノアは、今自分が彼に恋をしているということを。
(このまま、私はこの人を好きになってしまって良いの?)
改めて、自覚した。
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