第7話ー2 杖と魔法、そして約束事

 「窓から入ろうかな……?」

 ミキはか細い、弱々しい声でそう言う。

 

 ミキの、まるで小動物が怯えるような姿には少し驚いたが、こうなる理由もわかる。ミエさんが今どんな顔をして、どんなことを思ってミキの帰りを待っているのだろうか。心配しているのか、怒っているのか。はたまた両方か。開けてみないとわからないパンドラの箱? いや、シュレーディンガーの猫か? コウにも全く想像がつかない。

 

 「僕もいるからさ。一緒に入ろう。すぐ謝ればミエさんだってわかってくれるよ」

 「うん……」

 ミキの声はどんどん細くなっていく。

 

 コウは、ステンドグラスの小窓が施されたドアの取っ手に手をかけ、ゆっくりと開く。カランコロンとドアベルの軽いが店内へ響く。店内は消灯されており薄暗い。もう店じまいしてしまった後だった。

 

 そして、少ししてから店奥のキッチンから声が聞こえた。

 

 「……コウくんかい?」

 ミエさんの声だ。

 

 「はい! ミキとたった今帰ってきました!」

 

 コウがそう言うと、血相を変えたミエさんがすぐ顔を出した。

 

 「ミキだって? いつの間に外へ出てたんだい?」

 

 ミエさんはどうやら、ミキが外へ出ていたのを知らなかったようだ。

 

 「あ、えっと……」

 「窓から箒で飛んで出てきたの!」

 コウの言葉を遮り、ミキがそう言う。

 

 するとミエさんは、表情を鬼の血相に変え、口を開いた。

 

 「前から窓から飛んで行っちゃ危ないからダメだって言ってるのに! あんたって子は!」

 「……」

 「それに黙って出て行ったなんて! あたしゃてっきり部屋に閉じこもってるもんだと思ってましたよ!」

 「……」

 「それで? のこのこと玄関から帰って来たなんて。どこに行ってたか知りませんけどね、昨日の夕飯は残すし、朝も顔を出さないし、挙げ句窓から飛んで行っただのなんだの、こっちの気も知らないで自由にしてたなんて、さすがに堪忍袋の緒が切れますよ!」

 「ママ……ごめんなさい……」

 

 ミキが謝るも、ミエさんは腕を組んで怒っている。このまま門の塔へ行く話をしていいものかどうか、コウが躊躇していると、階段の上からミナさんがひょっこりと顔を出し、手招きをしている。コウにこっちへ来るように、という合図のようだった。

 

 コウはミキとミエさんをその場に残し、ミナさんのいる二階へ上がる。

 

 「どうしたんですか?」

 「ママ、今ヒートアップしてるでしょ? コウくんはこっちにいといたほうがいいと思ってねー」

 「ミキと一緒に謝ろうと思っててたんですけど……」

 「あー、やめといたほうがいいと思うなー。もっとヒートアップしちゃうから。ここで見守ってあげよ」

 

 ミキを心配しつつも、ミナさんの言う通りにしたほうがいいような気もし、コウはミナさんと共に二人を見守ることにした。

 10分ほど経った頃だろうか。突然ミナさんがコウへ手招きし、二人は一階へ降りて行く。怒りが収まり、叱ることは叱りつくしたミエさんと、叱りつくされたミキがその場に立っていた。

 

 空気を変えるようにして、ミナさんが口を開く。

 

 「ママもそのへんにしといてさ、そろそろ夕飯にしようよ。ミキがコウくんと門の塔に行こうとしてるって話もしっかり聞きたいし、そのときでいいでしょ?」

 ピンと長い刃物で一刀両断するように、ミナさんは門の塔へ行く話をぶち込む。コウは少したじろいだ。

 

 「……そうだね。まずは夕飯だ。今日はカレーだよ!」

 

 ミエさんはいつもの表情に戻り、ミキも少し落ち込んでいたが、”カレー”という言葉を聞いてすぐに元気を取り戻した。

 

 キッチンではミエさんとミナさんが、コウとミキは洗濯や掃除など、それぞれ分担し、やることなすこと一気に終わらせ、ほかほかの白米とカレーが盛り付けられた皿を並べられた食卓につき、みな椅子に座って夕食を食べ始めた。

 

 ゴロゴロと大きくカットされたジャガイモ、ニンジン、タマネギに、すこしトロっとした牛肉。ほんのちょっとの隠し味にシーチキンが入ったカレーはとても美味だった。ツヤツヤの白米がカレーをより際立たせ、コウの舌を唸らせる。

 

 サラダを自身の皿に分け、ドレッシングをかけたと思うと、ミナさんが口を開いた。

 

 「それで、ミキは門の塔へ行くの?」

 

 ミナさんの質問に反応してか、ミキがスプーンを置き、言葉を発する。

 

 「うん。もう行くって決めた。今日、コウと一緒に七日間講義の手続きもしてきたの」

 

 「なんだって!?」ミエさんはそう言い、スプーンを置く。

 「手続きも済ませた?」

 

 「うん。明日からコウと一緒に受けに行く」

 

 「あんた学校はどうするんだい? お金だって……」

 

 「休学の手続きもしたし、お金は……今からアルバイトでもなんでもして――」

 

 「今からアルバイトして間に合うと思ってるのかい?」

 ミエさんはピシャリと言う。

 「コウくんだって、ここに来るまでに何年も働いて、やっとの思いで全額貯めたんだよ? 一文無しで今から門の塔に行きたい、七日間講義を受けに行きますって、浅はかにも程があるんじゃないのかい?」

 

 ミキは正論を言われ、押し黙る。

 

 「それに、あそこはとてつもなく危険なんだ。コウくんは危険なのもわかっているけど、お父さんと相談してお母さんが行方不明だからどんなに危険でも行くって決めた。でも、あんたの場合は一匹の飼い猫じゃないか。それにガロが門の塔に入ったって話も一人の人が目撃したってだけで、確証もないんだよ?」

 

 ミキは俯き、じっとミエさんの話を聞く。

 

 「お金もない、挙げ句勝手に休学してきて……」

 

 「ママ。もういいじゃん。ミキもわかってる」ミナさんはミエさんの話を遮り言う。

 「それでも、ガロを見つけに行きたいんだよ。ね? ミキ?」

 

 ミナさんが優しくミキに問いかけると、ミキは黙ったまま首を上下に一度だけ振った。

 

 「だからさ、あたしが払うよ」ミナさんが真っ直ぐな目をしてミエさんにそう言う。

 「七日間講義のお金も、門の塔に入るお金もあたしが全部払う。だからさ、ミキを行かせてあげてよ、ママ」

 

 「お姉ちゃん……」

 ミキは今にも泣きそうな表情だ。

 

 ミナさんがミキのほうへ向き、まるで聖母のような微笑みを向ける。

 「いいよ。その代わり、ガロのことよろしくね」

 

 「うん!!」

 ミキは目に大粒の涙を溜め、大きく頷いた。

 

 ミエさんは、ミナさんの言葉を受け少し黙る。そして、スプーンを握ったあと、ミキ、ミナさん、コウの目を順番に見つめたあと、口を開いた。

 

 「中で何があるかわからない。それでも覚悟の上なんだね?」

 ここでミエさんはミキの目をじっと見つめ、「ならば条件が二つある」

 

 コウとミキは固唾を飲み、ミエさんに注目する。

 

 「必ず生きて帰ってくること、難しいと思ったら無理せず攻略を中断すること。この二つを守ることが条件だ。いいね?」

 

 その条件ってまさか……、コウは口に出しかけるもその言葉を引っ込め、ミキのほうを見る。

 

 「うん! 絶対に守る! ガロを見つけて、絶対生きて帰ってくる!」

 ミキは喜びに満ちた顔をコウに向け、食事そっちのけで喜んだ。

 

 「さっ! せっかくのカレーが冷めちゃうよ! いっぱい食べな!」

 

 その後はカレーを思う存分楽しんだ。ミキは門の塔へ行く許可が出たためか、カレーを何度かおかわりし、食べ終わった頃には「くるしい……」と今にも倒れそうな雰囲気を出しながら、二階の自室へと消えて行った。

 

 コウは部屋で明日の用意をしているときだった。

 ウーリさんから借りた仮の杖、ノートと鉛筆……。一つずつサコッシュに入れていると、部屋のドアからノック音が鳴った。

 

 「コウくん。ちょっといいかい?」

 ミエさんだ。

 

 コウはすぐに応答し、部屋へ招き入れた。

 

 「どうかしたんですか?」

 コウは少し心配になってそう言う。

 

 「改めて話しておこうと思ってね」

 ミエさんは、近くの椅子へ腰かけた。

 

 「あ、その前に……さっきの話しなんですけど」

 コウは、夕食時にミキとミエさんの約束を思い出す。

 「あれって……」

 

 「うん」ミエさんは優しく返事をし、

 「コウくんとお父さんの約束。真似させてもらったんだ。ごめんね。真似してしまって」

 

 「い、いえ。でもびっくりしました」

 

 「あの子のことだから、ああ言って納得させるしかなくてね」

 

 ミエさんはふーっと大きくため息をつく。そうするしかなかったミエさんの気持ちは、コウにも少しだけわかるような気がした。

 

 「それと本題なんだけど、ミキと門の塔に行くにあたって、私と一つ約束してほしいんだ」

 ミエさんは改まったように言う。

 

 ミエさんの鋭く真っ直ぐな眼差しを見て、コウは緊張する。

 

 「ミキを必ず連れ帰ってほしい。もちろん、二人とも生きて。約束してもらえる?」

 

 門の塔はとても危険な場所だ。どれだけの人が怪我をし、亡くなり、行方不明になり、とその数は数えきれないほどだ。そんな場所から一人の少女を生きて連れ帰る。コウもまだまだ未熟なのに、約束をしてしまってもいいものだろうか。もしも死ななくとも、ミキに一生を傷を負わせてしまったら? 責任を取れるのだろうか?

 

 コウの頭にはたくさんのネガティブな事柄が浮かんだが、答えはすぐに出ていた。

 

 「はい。絶対に約束します」

 

 どうしてここまで自信に満ち足りた表情をして答えを返したのか、コウにはわからなかったが、一人ではなく二人だからできるんだ。今のコウにはそう思えた。

 

 ミエさんの表情は安心したような優しい表情になる。

 

 「あの子は、わがままでお転婆で言うこと聞かないけど、私に似てガッツはあるからさ」ミエさんは立ち上がり、「コウくんには負担をかけるけど、頼むね。あの子のこと」

 ミエさんはそう言うと、おやすみとコウの部屋を出て行った。

 

 そのときのミエさんの背中は、どこかの大海を思わせる母の背中だった。だが、どこか寂しそうで辛そうにも見える。いくらミエさんとは言え、一人の人間であり、二人の娘を持つ母親だ。子供のことを全く心配していないわけではない。できれば、何かが起こってミキがここに留まることを願っているのではないだろうか。

 

 コウは、ミエさんを見送ったあと、サコッシュをベッド脇に起き、机から便箋と封筒を取り出した。

 

 自身もミエさんを同じくらい父を心配かけてしまっている。せめて、手紙で順調なことを知らせないと。

 

 コウはすぐにペンを走らせた。柔らかく光る蝋燭の火が、その手紙の内容を見て早く届くといいねと、コウを激励してくれているように、ゆるりと揺れるのだった。

 

 

 ◆



 とある汚い路地にある、まるで廃墟のような佇まいの、とある杖屋。蜘蛛の巣のかかった薄暗い店内に、ほんのちょびっとだけオレンジ色になった陽光が入り込む。

 

 二人のとある小さなお客を帰した店内は、また廃墟のようなジメっとした空気が漂っており、陽光がなければまた不気味な雰囲気を漂わせていただろう。

 

 「兄さーん。いるんでしょー?」

 

 この杖屋の店主ウーリ・ロローは、店内の隅に置かれている、曇っていてよく見えない姿見に向かって声をかける。

 

 姿見の鏡面は、一見ただの汚れた姿見だが、鏡面は突然波紋を打ち、そこからとある人物が姿を現した。彼の名は、イスカ・ロロー。レウテーニャ魔法大学校の学長であり、この杖屋の店主ウーリ・ロローの実の兄である。

 

 「覗き見してないでー、出てくればー、よかったのにー」

 ウーリは気だるげな口調でイスカを茶化す。

 

 「そういうわけにはいかないんだよ」

 イスカは、神妙な顔で答える。

 

 あれは、7年前。

 長かった髪は短くなり、闘志に燃えていた目は、優しい聖母のような目となっていたが、その人は――マルサはイスカの前に現れた。

 だが彼女はただ現れただけではない。これから門の塔へ再び入ること、もしも自身の身に何かあったときは、夫と息子のことを頼みたい。特に息子のことは手助けしてあげてほしい、と頼み込んできたのだ。

 

 さすがのイスカも門の塔へ再び入ることを反対したが、あのお転婆姫のことだ、イスカの言うことなんて聞くはずもなかった。

 

 彼女が門の塔へ再び入塔し何度か彼女からのツバメ郵便が届いていたが、2年経ったある日を境にピタリと途絶えた。

 イスカのツテを使って捜索隊を遣わしたが、彼女の消息は未だ掴めず。そんな折に、彼女の息子が自身を訪ねてきたのだった。

 

 「――あの人は本当にズルい人だ」

 「何か言ったー?」

 「なんでもない!」

 イスカは微笑していた表情を真顔にも戻し、誤魔化した。

 

 「それで、コウくんの魔法はどうだったんだ?」

 イスカはウーリに聞く。

 

 「あー。まーまー、じゃないかなー」

 「なんだ、まあまあって」

 「俺にもー、なんともー。初めてみたいだったしー、なんともねー」

 「まあ、それもそうか……」

 

 イスカは再びマルサのことを思い出す。

 

 彼女は優秀な魔法騎士だった。その息子であるコウの魔力も強いものだと思っていたが……?

 

 物思いに耽っているイスカに、ウーリはニヤリと笑って声をかける。

 「兄さーん、まだ初恋をー、引きずってるわけー?」

 

 「うっさい!」

 イスカは物思いをやめ、ウーリにキレた。

 

 「それはそうとー、言われてた通りー、コウくんの杖代はー、3分の1にしといたよー」

 

 昨日コウがレウテーニャ魔法大学校へ侵入したとき、彼が七日間講義を受講する気でいることは校内に仕掛けていた盗聴ハエで聞いていたので、イスカはすぐさまウーリにツバメ郵便を送り、コウに合いそうな杖を用意することと、残りの3分の2はイスカが負担することを伝えていたのだ。

 

 「ああ。それで請求書は?」

 イスカはウーリに軽く聞く。

 

 「んー」

 ウーリは自信の真っ黒なゴツゴツといびつな形状の杖を振る。イスカの元へ一枚の羊皮紙が飛んで行った。

 

 「支払いは、今月末になるけどいいか? 給料が入ってからのほうが」イスカは羊皮紙を受け取り、

 「……おい、ちょっと待て。桁がおかしくないか? いつもより0が2つほど多いぞ」

 

 「ベルバオバのスズを使ってるからー、高いんだよー。ベルバオバのスズはー、質が良くてー、あまり出回らないからねー」

 「それでも法外な値段だろ! これは!」

 「3分の2払うってー、手紙を認めてきたのはー、どこのどなたー?」

 

 ウーリはまたニヤリと笑って言う。

 

 「ぐぬぬ。……分割払いじゃダメ?」

 「ダメー」

 

 イスカはウーリにそう言われ、眉間に皺を寄せ、目を瞑る。

 

 「どっかの誰かさんにー、惚れた弱みだねー」

 「うっさい!!!」

 

 イスカの財布がすっからかんになると同時に、辺りは暗くなり、店内はまた不気味な雰囲気を漂わせる。

 イスカの唸り声と、ウーリのクスリと笑う顔が、また店内を不気味にしていった。

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門の塔(改稿版) 烏鷹ヒロ @matsuyoi-k

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