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自宅のリビング。えぴねの『夫』が神妙な顔をしている。二つ目の赴任先で出会った男で、「絶対に君を食べないから結婚しよう」と言ったので入籍した。
「やっぱり撤回していい?」
えぴねは何も言わない。結婚して数年、当時の約束を反故にしようとする『夫』を諦めることに切り替えた。なんとなくこういう破綻を迎えることを予知していたので、取り乱すほどではなかった。
この『夫』は、ごく一般的な感性の持ち主だった。愛する豚を食べることが幸せで、豚は食べられることが幸せであると信じているだけの。
「もう一回考え直し」
「うん、わかった」
『夫』の提案を、えぴねは途中で捨てた。静かにソファーから立ち上がった。わかった、という言葉を前向きに捉えたのか、男はわずかに明るい顔を見せる。えぴねの冷え切った声音には気づいていないようだった。
えぴねは自室に入って、小ぶりな荷物を持ってすぐ玄関に向かう。
「…え?、おい、どこに行」
「今までお疲れ様、ありがとう」
とろい男の反応などいちいち待たず、えぴねは出て行った。追いかけられる前に、自分の車に乗り込む。
車は夜の山道を駆けていく。明日も出勤だが、豚が事件や事故に巻き込まれて欠勤することなど珍しくない。ただ淡々と処理され、屠殺機の履歴がひとつでも確認されればまだましな扱いだった。
受け持つ生徒たち、職場、家族、なんとなく脳裏に浮かぶものの、えぴねにはただもうすべてが面倒だった。食べられることなく生きるだけのことが何故こんなに面倒なんだ。
荒々しく運転しているうちに、えぴねの車は急カーブに差し掛かっていた。とっさにハンドルを切る。しかし。
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