二足歩行の豚のえぴね

かんぽうやく

1

 えぴねの豚鼻が校庭にめり込んだ。全身をめぐる痛みの向こうで、走り去る男児たちの嫌な笑い声が聞こえる。

「きゃあっ!、えぴねちゃん大丈夫?!」

「ちょっと男子サイテー!謝りなさいよ!」

 周りの子豚たちがにわかに騒ぎ出した。えぴねは無言で立ち、淡々と服の泥を払い落とす。

 そんな中、一人の子供が豚の群れに近寄る。

「みんな平気?ボク、先生に報告しておくから」

「う、うん…、ありがとう…」

「あいつらサイアクだよね!」

「えぴねちゃんも保健室に行こうよ。まだ先生が残っているかも」

 えぴねは終始無言だった。男子の提案を静かに拒否して頭だけを下げると、集団をあとにしてひとり帰路へ向かった。その他の子豚たちは男子を取り巻いて、何かをわめいている。

 

 この世界に女性はいない。存在するのは人間のオスと、二足歩行の豚だけ。男性と豚とで社会を形成している。

 男性も豚も一律に養豚場でまとめて母体の豚から産み落とされる。産まれた男性は人間用の産院に隔離、豚はそのまま、それぞれ乳母豚や医師豚などの手厚い支援の元で安全に育てられる。

 男性に比べて豚の出生率は約三倍、成長速度も約三倍、平均寿命は約三分の一。

 産まれた豚のほとんどは、三十歳にもならずに食用肉に加工されて一生を終える。


 えぴねはごく一般的な豚である。家族たちと生活し、学校で勉強する、ただの豚である。

 今日も普通に帰宅した。マンションの一室のドアを開ける。

「おかえりなさい、えぴね」

 『母親』がおずおずと話しかけてきた。えぴねは曖昧にうなずく。

「学校はどう?みんな元気にして」

「大丈夫、ありがとう」

 えぴねが雑な返事をして、自室に閉じこもった。『母親』である子豚は、不安げに立ちすくむ。

 この『母親』は、元はえぴねの同級生だった。つい先日、えぴねの父親がこの豚の家族に金を払って買ってきたので、同じ部屋に住んでいる。

 その前に同居していた別の『母親』は父親が肉じゃがにした。家族で美味しく食べた。

「えぴね、ごめんね?お、『お母さん』は出かけるから、『お姉ちゃん』だけ受け取ってくれる?」

 『母親』がドアの向こうに呼びかけた。夕飯の買い出しの時間が迫っている。にもかかわらず、宅配の荷物がまだ届いていなかった。

 ドアの向こうから、わかった、という返事が届いた。

 『母親』が慌ただしく出て行ってほどなく。呼び出しのチャイムが鳴り響いた。

 部屋から出たえぴねの腕の中の段ボール箱には、『お姉ちゃん』が詰まっている。今朝がたまで同居していた、はつらつとした豚だった。『お姉ちゃん』と呼んではいたが、血縁関係などはなく、ただの近所に住んでいた豚。これも父親が買ってきた。朝の食卓で「そろそろいっかな」など言い残し、「夕方に時間指定しておくね」と出て行った。

 全自動屠殺機がコンビニエンスストアの中に設置されたのは近年のことで、その前までの屠殺・加工は街の肉屋が行っていた。年末年始や長期休暇の前には行列ができていた。今ではアプリひとつで、発送まで全ての予約が可能になっている。

 えぴねは無表情のまま、真空パックの肉を仕舞う。今夜食べる部分は冷蔵庫に、そうでないものは冷凍庫に。

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