第3話―白い軍服の来訪者―

 ――再び、取り調べ室。


 先ほどと同じ机、同じ椅子、同じ無機質な壁。


 陽菜は改めて、目の前の二人の男を見つめていた。


 一人は、くたびれたシャツ姿の刑事・鈴木。


 もう一人は、黒の軍服に身を包んだ鋭い眼差しの青年――帝国治安監察局・特務三課の中将、八森清士郎。


 彼らの表情は、完全に「困惑」で一致していた。


 「つまり、あなたの言い分を要約すると――」


 八森は冷静な口調で確認を入れる。


 「“2025年”という、我々の暦とは異なる未来の時代から来た。そこではこの一万円札は普通に使える紙幣であり、街には“コンビニ”や“ATM”というものが存在し、“SNS”で日々の記録を共有しながら街を歩くのが趣味……と、そういうことですか?」


 「……はい。説明しようとすると、自分でも何言ってるのか分かんなくなりますけど……でも、それが私の現実なんです」


 陽菜は自嘲気味に肩をすくめながら、バッグの中身を机の上にずらりと並べた。


 スマートフォン、無印のコンパクトミラー、化粧ポーチに折りたたみの日傘、そして――辞書のような分厚さの一冊。


 彼女がとても長い時間をかけてコツコツ作り上げてきた虎の巻だ。


 メジャー、マイナー問わずありとあらゆる情報を載せた至極の一冊である。


 「『全国お一人様観光紹介完全版(2025年版)』……です」


 鈴木が唖然とした表情でそれを手に取り、ぺらぺらと中身をめくる。


 「……うおっ……すっげえ……細けえ……ここのページ、銭湯のタイル柄の種類別に全部書いてある……」


 「そ、それ、個人的に力入れてるとこです……」


 陽菜はちょっと誇らしげに微笑んだが、すぐに八森の冷ややかな視線が突き刺さる。


 「それぞれが素晴らしいものだということはわかります。しかし、それが“本物”であるという証拠にはなりません。工芸品として精巧であっても、それは“物語”の域を出ない。証明は、もっと別の形で必要です」


 「うっ……」


 八森の論理的で切り捨てるような物言いに、さすがの陽菜もぐうの音も出なかった。


 「まあまあ、中将殿、そこまで……。彼女、悪意があるようには見えませんよ」


 鈴木が苦笑しつつフォローを入れる。


 そのとき――


 ガチャリ。


 重たい金属音と共に、取り調べ室の扉が開いた。


「ん?……また誰か?」


 鈴木が眉を上げ、八森は軽く視線を扉に向けた。


 そこに現れたのは、一人の少年だった。


 身長は140cm台だろうか。


 中性的な顔立ちの美少年で、肌は白く、銀髪が肩のあたりでふわりと揺れている。


 軍服――だが、八森の制服とも違う。


 白を基調に、金と灰色の装飾が施され、どこか神職めいた気配を漂わせていた。


 目元は眠たげで柔らかく、だがその奥には年齢に似つかわしくない冷静な光が灯っている。


 灰緑色の瞳が室内をさっと見渡し、陽菜に止まる。


 「……やっと、会えたね」


 少年はふっと微笑んだ。


 「お嬢さんを……いや、“陽菜さん”を、迎えに来ました」


 「……え?」


 陽菜がぽかんとする横で、八森の顔が険しくなる。


 「所属と身分を明かしてもらおうか。勝手に立ち入ったこと、規律違反だと理解しているだろうな」


 冷たい声で言い放つ八森。


 少年はくすりと笑うと、胸元から小さな金の札を取り出した。


 「僕は“根走り(ねばしり)”、気脈調律局直属の実働隊所属……コードネーム【子(ね)】。一部ではネズミ、とも呼ばれてる。君は……帝国治安監察局の八森清士郎中将、だったね」


 その名を聞いた途端、室内の温度が一段下がったような気がした。


 八森の表情が一気に硬直する。


 「……“気脈調律局”……だと?」


 鈴木が慌てて二人の間に手をかざす。


 「ま、まあまあまあ、ここでおっぱじめるのはやめましょうや……!どちらの組織も、同じお上なわけですし……ね?」


 「ふん。あの幻想集団を“組織”と呼ぶのか?」


 八森は吐き捨てるように言った。


 ネズミ――【子】は、まったく動じた様子もなく、陽菜の前まで歩み寄った。


 「とりあえず、一つ報告を。さっき、“カフェー鳳凰堂”のマスターと話をつけてきた。被害届は取り下げられたよ」


 「……どうやって?」


 八森が睨みつける。


 「交渉と、ちょっとした誠意を見せただけ。よからぬことなんてしてないよ。むしろ、マスターはすごく喜んでた。“真心ある若者は貴重だ”ってね」


 挑発的な笑みを浮かべながら、少年は肩をすくめる。


 「どっちにせよ、彼女をここに拘束する理由は、もうないよね?」


 「……!」


 八森が一歩踏み出そうとしたその時、鈴木が立ち上がってそれを制した。


 「……確かに、形式上はそうなります。とはいえ、釈放は私の判断で行いますので……」


 「ありがとう、鈴木さん」


 ネズミはにこりと笑って陽菜に手を差し伸べた。


 「説明は後でする。一緒に来てほしい。――“君”じゃなきゃ、できないことがあるんだ」


 陽菜は迷った。


 けれど、その瞳に不思議な信頼感を覚え――おそるおそる、その手を取った。


 「……貴様、本当に“気脈調律局”の者か?」


 鋭い視線を放ちながら、八森清士郎がネズミ――“根走り”の【子】に詰め寄った。


 その口調は冷静でありながらも、内には明確な警戒と敵意が混じっていた。


 少しでも不自然な応答があれば、即座に“排除”に動く。


 そういう緊張感が、その細剣のような空気を伴っていた。


 「うん。もちろん偽名じゃないよ。……ま、コードネームだから、本名ってわけでもないけどね」


 ネズミは飄々と答える。


 銀白の髪がふわりと揺れ、微笑の奥にどこか達観したような冷たさを帯びていた。


 「気脈調律局・根走り所属、“子”の適応者。神格名“常久命(とこひさのみこと)”を継ぐものだ」


 その名が告げられた瞬間――八森の眉がわずかに動いた。


 「……“神格”などという非科学的な妄言で、人心を惑わすな。貴様らの組織は国家秩序を乱す“迷信者”の温床だ」


 「そっちこそ、軍服で正義を語りながら、見えないものを世迷言と切り捨て排除しようとするじゃないか。『現実』を振りかざして、心も気脈も切り捨てるのが“正義”ってわけ?」


 「……!」


 二人の視線が火花を散らす。


 鈴木は脂汗を浮かべながら、間に入るタイミングを見計らっていた。


 そして陽菜は、完全に空気になりつつある自分を、そっと壁の方へスライドさせようとしていた。


 しかしネズミはくるりとこちらを振り返り、再び陽菜に視線を向ける。


 「ねぇ、陽菜さん。ここにいたって、何も進まないよ。君がどれだけ説明しても、彼らには“理解”されない。信じたいモノしか信じない人たちだからね」


 「……」


 八森は何も言わなかった。ただ、僅かに視線をそらし、深く息を吐く。


 ネズミは再び陽菜に向き直る。


 「“彼女”は、気脈の輪の中に現れた。神座の兆しもあった。普通の人間じゃ気づけない入口に、まるで導かれるように立っていた」


 「神座?」


 陽菜が目を丸くする。


 ネズミは小さくうなずく。


 「地脈が乱れる時、神の座す場――神座(しんざ)が現れる。君が訪れた場所は、ちょうどその入口だった。偶然……じゃないよ、たぶん」


 「……なんで、私なんですか?」


 「それは、これから一緒に確かめていこう」


 柔らかく、けれど強い声だった。


 そのとき、鈴木がようやく空気を読んで声を挟んだ。


 「……被害届は取り下げられた。ここに君を拘束する理由は、もうない。彼が言うように、事情を聞くなら、場所を変えるのも手だろう」


 「……そうですな」


 八森は唇を引き結び、短くうなずいた。


 「今この場で事を大きくするつもりはない。ただし、貴様ら“気脈調律局”の動きが国家秩序を乱すと判断した場合、我々は然るべき対応を取る」


 「その時は……正々堂々とね」


 ネズミは微笑んだまま、一礼した。


 八森も無言で軽く会釈を返す。


 そのやり取りは、敵意の裏にあるぎりぎりの礼節と、職務への信念を示すものだった。


 「じゃあ、陽菜さん。行こうか。君の旅は、ここから本格的に始まるよ」


 陽菜は一瞬だけ迷い、しかし決意するように立ち上がった。


 「……分かりました。行きます」


 そして、小柄な白い軍服の少年のあとを追い、取り調べ室をあとにした。


 重たい扉が閉まり、外の光が差し込む。


 それは――まだ見ぬ異界への、第一歩だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る