大正鳳凰奇譚 ―街ブラしてたら鳳凰の適性者として、異能組織の一員にされました―

ひとりさんぽ

第1話―謎の食い逃げ犯―

 ぎい、と重たい音を立てて鉄の扉が閉まると、部屋の中の空気が一層張り詰めたように感じられた。


 古びた木の机に向かい合わせで座る二人。


 一人は警察官。


 もう一人は、どう見ても場違いな装いの若い女性だった。


「ですからっ、私、払うつもりはあったんです!お財布もちゃんと持ってましたし、現金も……!」


 彼女――紬野陽菜(つむぎの・はるな)は必死に身振り手振りを交えながら弁明していた。


 長い黒髪を片側で結ったハーフアップの髪型に、紅い羽織を羽織った洋装混じりの装い。


 ネイビーカラーのプリーツスカートに黒のレースアップ風オープントゥブーツ、そしてリボンタイ付きのベージュブラウス。


 どこか「和」と「洋」が折り重なった、大正ロマン風のコーディネートだ。


「うん、うん……まあ、そう言いたい気持ちはわかるけどねえ……」


 そう相槌を打つのは、年の頃四十半ばの、どこか人の良さそうな風貌の刑事。


 ワイシャツの襟元が少しくたびれ、髪は七三分け。


 ネクタイもわずかに緩めており、いかにも中年刑事らしい雰囲気を醸し出している。


 名は鈴木。


 署内でも「話の分かるおじさん」として密かに人気がある人物だ。


「俺としてもね、あんたの話、信じたいんだよ。態度だって別に悪くないし、どっちかっていうと……お嬢さんって感じだ。でもねえ……」


 鈴木は、机の上に置かれた一枚の紙幣に視線を落とす。


 そこにあるのは、現代日本では誰もが見慣れた一万円札。


 精緻なホログラム、透かし、金属インク。


 あらゆる偽造防止技術が施された“安心と信頼の紙幣”だ。


 しかし――


「これが問題なんだよ」


 そう言って、鈴木はお札を指で軽く弾いた。


「店の親父さんが言ってたよ。“見たこともない怪しい札を出された”ってな。確かに見りゃ……細かい模様とか、なんかすごいよ、うん。でも、これ、どう見たってウチの札じゃない」


「それ……本物です。つい昨日もコンビニで使えましたし、ATMでも下ろしたばかりの……え、あの、そんな、だって、これって普通の――」


 陽菜の言葉が震えた。


「コンビニ……?ATM……?」


 鈴木が眉をひそめる。


 聞き慣れない単語に、思わず頭を傾けた。


「――あんた、いったいどこから来たんだ?」


「え、えっと……ええと……東京……です。あ、いや、令和の……じゃなくて……」


 陽菜はパニック寸前だった。


 口の中で言葉が迷子になり、頭の中では現実がどんどんと遠ざかっていく。


 彼女はここがどこかすらわかっていない。ただ「街ブラ」して、喫茶店でパンケーキを食べて……。


「令和……?れい、わ……?お嬢さん。あんた、冗談きついな」


 鈴木が苦笑したその時、ふと真顔に戻り、こう言った。


「お嬢さん。ここはな、大正二十年、帝都・東京だよ」


「――――」


 一瞬、時が止まったような静寂。


 陽菜はその言葉を繰り返すように、呆然と呟いた。


「……大正……二十年?」


 陽菜の口から漏れたその言葉は、あまりに現実離れしていて、空気にすら馴染まない浮遊感を帯びていた。


 脳内でカレンダーを何度もめくってみるが、大正は確か十五年で終わっているはずだ。


 昭和元年は1926年。


 そこから数えても、大正二十年という年号は存在しない。


 なのに、目の前の男は当たり前のようにそう言った。


 (まさか、夢?現実逃避?もしくは何かのドッキリ?でも、こんな細かく作り込まれた世界、あり得る?)


「……関東大震災って、ありました?」


 陽菜は無意識のうちに、確認するように口にしていた。


「……あん?」


 鈴木の眉がピクリと動く。


「それから……その……戦争とか……あの、世界の、です」


 陽菜の声は震えていた。


 だがそれ以上に、彼女の中に湧き上がる不安が大きかった。


 もし、本当に「大正二十年」ならば自分が知っている歴史は、起こっていないことになる。


「……お嬢さん、滅多なことを言うもんじゃないよ」


 鈴木の声が一変していた。


 先ほどまでの柔らかな表情から一転、眉間にしわを寄せた厳しい顔つきに。


「地震?戦争?まるで災いを呼び込むような真似じゃないか。冗談でも、そんなことは言わない方がいい」


 その言葉は、ただの迷信や警告というより、どこか本気の戒めのように響いた。


「す、すみません……」


 陽菜は思わず頭を下げた。


 まさか、ここまで反応されるとは思っていなかった。


 (それにしても、本当に大正なの?だけど、どうして……。)


 陽菜の服装に視線を落とした鈴木が、ふとため息をつく。


「まあ、服装を見た限り、あんた、どこかのご令嬢か何かだろう?このへんじゃ見ない柄だし。親に甘やかされて、ちょっとした洒落のつもりで変な札持って歩いた、ってとこかね」


「は?」


「うん、そういうことにしといた方が、まだ話が通る。親のコネで札を刷って遊んでた――そう思った方が、警察としても“穏便に済ませた”って顔が立つしな」


「いや、違――」


「それとも何か、家の人はすぐ来られないのかい?」


「……家、ですか?」


 陽菜は一瞬、真面目に考えてしまった。


 自分の“家”は、2025年の東京にある。


 こことは違う“時間”にあるのだ。


「……一人です。お一人様、なんで……」


「……なんだって?」


 鈴木は肩をすくめ、頭を抱えた。


「親類もいない?旦那もいないの?何か連絡できる人はいないのか?」


「いません……旅行で、来てて……」


「はぁ~~……」


 鈴木が額に手を当てて天を仰いだそのとき、扉の外でノックの音が響いた。


「鈴木刑事、失礼します。軍部から、特殊任務担当の方が見えられました」


 声と共に、制服姿の若い警官が頭を下げながら入ってくる。


 その後ろから、無言で一人の青年が現れた。


 その瞬間、部屋の空気が変わった。


 ピシリ、と引き締まるような緊張。


 どこか軍人独特の威圧感。


 黒い軍服に身を包んだその青年は、整った顔立ちと鋭い眼差しを持ち、見る者すべてを射抜くような存在感を放っていた。


 漆黒の髪に、軍帽を軽くかぶっている。


 長身で姿勢は端正。軍服には無駄がなく、ピンと張った肩章が彼の立場を物語っていた。


 (若いのに、何か異様に落ち着いているなぁ)


 陽菜はぼんやりと思った。


「ご足労いただきありがとうございます。あの、こちらの方が……なにか?」


 鈴木がやや緊張気味に尋ねると、青年は無表情のまま静かに敬礼を返した。


「帝国治安監察局・特務三課、中将、八森清士郎。特殊案件との報告を受け、確認に参上しました」


 ぴしりと背筋を伸ばし、正確な口調で告げる。


「は、はあ……あの、わたし鈴木と申します。これはこれは、若いのにご立派で……」


 明らかに年上であるはずの鈴木が、どこか恐縮したように礼を返す。


 一方で、八森と名乗った男もまた、年上である鈴木に敬意を示すように礼儀を保っていた。


「お手間を取らせてしまい、恐縮です。こちらの女性について、改めて詳細を伺ってもよろしいでしょうか」


 その声は低く落ち着いていて、どこか鋼のように冷ややかだった。


 だが、礼節を弁えた態度がその印象をやわらげていた。


 八森は、陽菜の方に視線を向ける。


 黒い瞳が射るように真っ直ぐ向けられ陽菜は思わず背筋を伸ばす。


「貴女の“身分”と“目的”、そして“出自”について。ご説明願えますか?」


 その言葉の鋭さに、陽菜は思わず言葉を飲み込んだ。

 

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