第8話 復讐と呪い

       (一) 展示会場・商談会会場



 夕方の新宿駅の混み具合は、尋常ではなかった。アルタ前で綾子と光子と三人で待ち合わせた。コマの裏の古びたビルに移動すると、扉の表に「○○展示会場及び商談会会場」とすでに表記がある。そのビルに綾子と光子が入った。少し待っていると中から綾子だけが出てきて、中西が名簿に載っていたことを正樹に伝えてきた。

 そして、光子の作戦についても伝えてきた。それは、また中西とホテルに行くから、ホテルに二人で入るところを、カメラで撮って欲しいということだった。

 その写真をどうするのか綾子に聞いてみると、どうせまた殴られるのだから、それもカメラにとって、動かぬ証拠として中西を脅す材料にすると言うことだった。

 綾子は、なんかあまり気が進まない。一度、殴った女をもう一度指名して、またさらにひどい目に遭わせて、舌の根の乾かぬうちに、簡単によりを戻せると思っているのだろうか。

 それともさらに新たな方法で痛めつけ、傷つけることでさらなる満足を得ようとするのだろうか。と正樹に疑問をぶつけてみた。

正樹は、中西は、また光子を誘うという考えだった、なぜなら、自分の性癖が他に広がらないようにするために、口封じの意味も込めて光子を確実に襲う。そのために、また誘うと思うということだった。

 正樹はさらに言った。

「それにしても、光子はなんでまた自分の身体をそこまで犠牲にしようとするのだろうか」 そう思うと、正樹はとても悲しくなった。そんな正樹の気持ちを察してか、綾子が正樹を睨んだ。

「彼女は身体を張っているんだよ、女ってさぁ・・・・いざとなったら自分を犠牲にしても成し遂げる強さがあるのよ・・・・分かった」

 正樹は、どきっとした。このときほど女が恐いと思ったことはなかった。


 正樹も、前もって陰陽師について研究していた。今夜のメインの陰陽師綾子の制裁を、陰陽師の技というか、武器というか、つまりは陰陽師の彼らの常とう手段である、紙でできた人型のかみ切り人形を用意した。

 そして、その一枚の裏に制裁する対象に自筆で名前を書いてもらうか、本人のところに送り込むか。そうすることから制裁の動きが始まる。

 今夜は、奴の頭にあたる部分に、適当な時間になったら細工をする。

「モンサンミッシェルというオーデコロンが入っていた『ムカデ姫の墓の水』つまり小瓶の水を人形の頭に当たる部分に数滴落とす。僕の予想だと必ず何かかがおこるはずだから」

 そういうと正樹はにんまり笑った。

「そうか・・・・、君はやっぱり、わたしが見込んだだけのことはある、信じれる私の最高のパートナーよ・・・・その結果に期待しているからね・・」

七時が近づくと何人もの男と女があのビルに吸い込まれていった。正樹もビルの向かいの路地からしばらく見ていた。女子学生やサラリーマン。そして、下村やT子らしき人も中に入った、これからいよいよ「○○展示会場及び商談会会場」での商談がスタートする。大きくて有意義な契約も産まれるだろうが、変な仲の二人も生まれるだろう。


その後、正樹は、夕食をとり、その後コーヒーを飲んで時間をつぶした。

 そして、時間までビルの前の居酒屋にもどり、入り口の見える席でちびちびとウイスキーを舐めて過ごした。

九時半をまわり、会も終わったようだ。会場から数人かのサラリーマンが出てきた、その後を追うように、女の子達が何人か出てきた。ビルの入り口で何人かで話し合っていたが、三つのカップルができあがって、ビルを離れていった。その後も何人かが出てきては、連れだって人混みに消えた。中には手っ取り早く、正樹のいる居酒屋に連れだって入ってくる者もいた。

 ビルの入り口から一人の貧相な女が飛び出してきた。綾子は今夜も誰からも声をかけられそうにない。綾子は向かいの居酒屋のガラス越しに正樹を見かけると、にこにこしながら店に入ってきた。

「ごくろうさん・・・・」

「もうすぐ光子達が出てくるよ」

「ううん・・・・やっぱり中西は光子を選んだんだね、信じられないよね・・・・」

「んーあれー光子達じゃない? 出てきたよ」

 会場のビルから、ちょっと小太りの中西が出てくると、その後を追うように光子が小走りに中西に追いつくと腕を絡めた。中西はめんどくさそうに光子の腕を受け止めると、少しぶっきらぼうに絡めた。

 綾子と正樹はすぐさま、二人の後を追った。あまり距離をおかずに、人混みと街にとけ込みながら。



       (二)  呪文をかけて



先の二人は、軽く飲める店を探しているようだ。区役所通りの近くでどちらの道に進むか迷っているらしく二人の足が止まって、しばらく言い合っている様子だったが、どうしてか来た道を引き返すことになった。

 綾子と正樹はこのままでは、鉢合わせすることになるので、焦って正樹は、近くの店の看板の影に隠れるように綾子の身体を引っ張り移動させて、二人重なるように抱き合った。正樹が気にしながら中西達をやり過ごして、綾子の顔を見ると、うっとりしている。

 今度は、綾子にキスをして、全身に力を入れて抱き起こすと、綾子に気合いを入れ直した。

 中西達二人は、ガラス張りの飲食店の前で、仲良く佇んだ。その後ろに、同じそのガラス窓の端に、綾子と正樹の二人も佇んでいる。

 窓ガラスには中と外の光が複雑に錯綜して重なり合う情景が描き出された。向かいのビルの絶え間なく変化するネオンが中西と光子の顔に当たり、その凹凸のほりに沿って明暗を強調する。ある時は笑みをたたえた仏様のようにも見えるし、またある時は厳しい目をつり上げた般若のようにも見える。

 この光と影の間が織りなす変幻自在の変化の時は、時間のスキとも言って、幽玄の世界において、何か悪いことが起きる時として、人々は古くから恐れ、受け止めてきた。

 綾子は、突然。

「この場所なら力が出せると思う」

 そう言うと、素早くポケットから、正樹から受け取っていた人型の切り紙を手に取ると、口の前で素早く、何事か小さく呪文のような言葉を紙に吹きかけた。切り紙は時が止まったような場面で、時空が一瞬歪んだ中を、中西に向かって夜のしじまを円を描くように素早く飛んだ、そして中西の胸のポケットに入り込んだ。

 正樹は、飛ぶ切り紙を見ながら、その速さと軌道に目を疑った。

 中西と光子は、何事もなかったようにガラスに映り混んだ自分たちを確かめると、いつまでも愛し合う二人のように互いに見つめ合いながら、ガラス張りの飲食店に吸い込まれた。

 綾子と正樹は一瞬躊躇したが、店のドアを開けた、光子と中西がテーブル席に案内されている状況で綾子達は中に入った、綾子達はカウンター席に座った。振り向けば、中西達がよく見える席だった。中西達二人はビールと注文し難しい表情の会話だったけど、時間がたつと二人の表情には笑顔が見えてきた。そして、会話にも笑いが絶えないようになってきた。この情景を正樹は、光子から預かったバカチョン(コンパクトカメラ)で数枚写真に撮った。

 夜も更けて客が席を立ち始めた。中西達もそろそろと思いきや、光子がお手洗いに席を立った。そのタイミングで綾子もお手洗いに立った。すぐに綾子が戻ってきてつぶやいた。

「正樹、出るわよ・・・・この前のこと謝られて、またホテルに誘われたらしいよ」

 正樹は伝票を持って立ち上がると、会計に急いだ、綾子を店から先に出すと、すぐ後ろから中西達がやってきた。

 正樹が会計を済ませて店を出ると、綾子が通りの向こうで手を挙げた。

 次に扉が開いて中西と光子が出てきた。なんだか光子は少し酔いが回ったようなしぐさで中西にもたれかかり、端から見ると、それなりに二人の雰囲気は最高潮に達していた。

 中西は光子の耳元に何かささやきかけると、中西は光子の腰のあたりに腕を回し、支えるようにして歩き始めた。光子は時々甘えるそぶりを見せながらも、中西の言うとおりに動く。

 二人は徐々に明かりの少ない、ブルーライトが多い路地へ入っていった。

 中西がホテルの入り口を何度か見つめて、今までの経験から、何かを物色している様子だ。三軒目のホテルの入り口で決めたのか、光子の腰をぐっと引き寄せた。その様子は正樹がばっちりカメラに納めた。正樹にとってはここまでは予想できたがここからがどうしても密室になるから、光子が心配になる。しかし、綾子は余裕があって。

「私たちも 入りましょう」  

 何がこんな自信につながっているんだろう。正樹は疑問を持ちながら、中西達の隣に部屋をとった。

「正樹、十分後に写真を取りに来るように光子に言われているから、静かに隣の部屋へ進入してね。光子が鍵を開けておくからって言っていたわ」

「本当に、気ずかれないかなぁ」

「大丈夫、太鼓判を押してあげるから、いい写真とって来なさい」 

じっと目を閉じて精神を集中していた綾子が、突然言い出した

「十分、十分たったか」

「いや、まだ七分だよ」

「やばいよ・・・・いってきた方がいいよ」

「何で、・・・・十分って言われているんだろう」

「だったら、これ見てよ・・・・?」

 綾子は、そう言ってテレビのスイッチを入れた、出てきた画像は中西が光子の髪をつかんで頬を殴るシーンだった。・・・・状況を理解した正樹は、素早くカメラを手に持つと、たくみな身のこなしで部屋を出て行った。その後ろ姿に綾子は思わず声をかけた。

「正樹・・・・気をつけてね」

 部屋のテレビには、光子の部屋のドアが開き、正樹が部屋に乗り込んでいく様子が写っていた。光子がブラジャーだけの上半身で、唇の端から鮮血が尾を引いてあごを伝わって喉に流れ落ちる。正樹は、手を振り上げた男の後ろ姿に向けてシャッターを切った、気配を感じて振り返った中西は、突然の侵入者に、近くにあった灰皿を投げつけてきた。灰皿は壁に当たってソファーの上に落ちた。続けて正樹のシャッター音が聞こえて、中西はうろたえた。中西は、急いでとりあえず身支度を整えると、財布から三万円抜き出して光子に向かって投げつけた。札は空中をヒラヒラと舞って落ちた。

 そして、ドアを勢いよく開けると、大股で外へ出て行った。派手な音がテレビを通して聞こえてきた。テレビの映像には正樹のカメラがとらえた。残された光子がタオルで唇を押さえて洗面台に向かう様子が写っていた。



       (三)   厄い


三人はその後、綾子達の部屋で、光子が落ち着くの待って綾子が話しかけた。

「光子・・これからどうするー」

 唇をタオルで押さえながら話す光子は、痛々しかった。

「どうしようか・・・・どうせ写真は明日にしかできっこないんだし、その出来上がりの写真の使い方を想像しながら今夜一晩じっくり考えるわ・・・・とりあえず、さっきは有り難う。正樹君が入ってくるのがもう少し遅れていたら、もっと殴られて、顔中血だらけだったかもね・・・・本当に助かったわ・・・・ありがとう」

「光子、あなた中西が勤めてる会社とか知っているの?」

「それに住んでるところとか? 電話番号とか?」

「ううん何にも分かんないよ」

 正樹は、コンパクトカメラを大事に持ちながら、光子に話した。

「じゃ、この写真できてきても何もできないんじゃないの」

綾子が、コンパクトカメラを正樹から受け取りながら、じっとカメラを見つめた。

「あんなに苦労して、そして、身体を犠牲にしてまで、手に入れたこの写真が何にもならないかもしれないのって悲しいね・・・・」

「ううん・・・・そうかも、そのこともゆっくり考えてみるわ」

「わたしも、せめてT子に中西の会社名くらいは聞いてみるわ。それにさぁ、このカメラ、カメラ屋さんで現像できる? あなたの裸が写ってるんでしょう。このカメラは私たちで預かっていていい」

「ありがとう。そうしてちょうだい・・・・わたしも、これから何ができるか考えてみるわ」

 弱気の光子を慰めながら、しばらく休むと、一人になりたいという痛々しい光子を慰めながら、二人は光子を、靖国通りでタクシーに乗せると、運転手に光子のアパートのある中野を告げて別れた。

 正樹と綾子も、タクシーを拾うとと綾子のアパートへ向かった。タクシーの中で正樹は綾子にたずねた。

「なんで、ホテルの隣の部屋で、あのテレビに映るの?」

「うーん、わたしにもわかないなー・・・・ただこの間から研究と修練を重ねているのよ。だから何がどのような結果を出しているのか分からないのよ。ただ言えることは悪いことに使われないかぎり、わたしと君の小さな空間なんかだと、ほどほどが自分の思うようになっていくらしいということよ・・・・つまり念じれば成る。ただ長くは続かないけどね」

「僕も一つ進歩したよ。言葉が出なくなる症状は無くなったみたいだからね、俺も準陰陽師かなぁ」

「正樹、あの写真よくとれてたよ、特に光子の口から無惨にも血が流れているところや、中西が拳を振り上げている姿なんかは、最高のタイミングね」

「ううん、そうだよ・・・・でもさ、なんでそんな細かいところまで写真を見てないのに分かるわけ」

「さっきカメラを見てたら、中の写真が見えたのよ・・・・」

「何々・・・・それって透視?」

 正樹は、もう何を聞いても不思議と思わなくなっていた。

 綾子のアパートに着くと、綾子は机の上に呪文の紙を置いて、静かに念じ始めた。

 少しして、綾子が顔あげた。

「正樹、中西の家は、どうも笹塚らしいよ、まだ家に着いていないからはっきりしたことは分からないけどね」

 綾子はコンパクトカメラを机の上に置くと、カメラの上に人型のかみ切り和紙をおいた。その紙の頭の部分に、モンサンミッシェルの小瓶にいれてきた「ムカデ姫の墓」の蹲い(つくばい)の水を一滴にじませた。

 そして、さらに呪文を唱える。人型の切り紙が一瞬光って生き物のようにカメラの上に立ち上がった。正樹は。びっくりしたが、そんなそぶりをおくびにも出さず、じっと成り行きを見ていた。綾子はさらにあつく呪文を唱えると、人型のかみ切り和紙は空中に円を描いて、窓ガラスを通り抜けると夜の闇に消えた。


 中西は、京王線の笹塚駅に十二時をまわったころに降りた。南口を出てふらふらと玉川上水に沿って歩きはじめた。先ほどの光子との嫌な記憶が目の前に蘇ってくる。夜道でその店の前だけ明るく見える居酒屋に、吸い込まれるように立ち寄った。


 その頃、綾子の部屋では

 綾子が、まだぶつぶつと呪文をつぶやいている。こめかみに人差し指と中指を当てると、また強く目を閉じた。

「正樹、中西が笹塚に着いて、駅前にある居酒屋に入ったよ。ちょっと調子にのりすぎてんじゃない? 光子が殴られて、唇から出血して冷やしているってのにさぁ」

「中西ってさぁ、なぜあんな変な性癖が身についていたのかねぇ」

「まあ、奴の産まれや、生育歴、恋愛暦なんかすべて調べてみなければ分からないけどね、ただ奴のやったことは犯罪だからね・・・・」

 綾子は強い口調で言い切った。


中西は、居酒屋でビールの他に何か注文している。綾子の透視では詳しく分からない、店にはここの常連なのか、中西に異常に絡む年増の女がいる。

「西ちゃん、何か女の臭いがすわね。かわいい子だったの」

「そんなことありませんよ。今、新宿で一杯飲んで帰ってきたところですよ」

「西ちゃん嘘言ってもわかるわよ。だって臭いがするもん」

 中西は思わず自分の背広をかいでみた。光子の臭いかもしれない。自分で自分に疑問を感じながら、どうせ飲み屋の話と割り切って、話し始めている。

「そうですよ、若い子にもてちゃってね」

「いいわね・・・・もてるって言うのは・・・・でもさぁ、ムカデにもててどうなんでしょうかねぇ」

 突然、その女の座っている股の間からムカデが顔を出した。中西がそのことを指摘しても店の誰もが「気にしない、気にしない・・・・ムカデが何ですか」と言った具合で誰もが相手にしない。その店の雰囲気の中で中西だけが異質の状況で、中西は急いで勘定を払うと店を出た。


橋の手前を路地に入り何度か折れ曲がり、古いアパートのドアを開けた。

 部屋の明かりのスイッチを押すと独り者の雑然とした二間続きの部屋があらわになり、鞄を放り投げると、ネクタイをゆるめ、靴下を脱ぎながら冷蔵庫を開けた。中からビールを取り出すと、ブシュっと音を立て栓を抜き、泡立つビールをグラスに注いだ。苦い液体を一気に飲み干し、逆さにすると、泡だけがグラスの底に残った。また、ビールを注ぎ、グラスに吸い寄せられた水滴を指でぬぐうとそこに光子の顔が表れた。

 急に髪の毛を掴んだときの、あのせっぱずまった光子の顔。そして、恐怖に満ちた光子の目が、中西の脳を刺激して何とも言えない下半身のうずきを呼びさます。そして、あの恐怖の声が、絞りだされてハスキーに許しを請う。すり切れた声がさらに俺の中の悪魔を刺激する。

「ああー、くそっ、そんなとき、部屋に入ってきたあいつは何なんだ。何であいつがあそこに居るんだ、もう少しでおれの絶頂を迎えられたのに・・・・馬鹿やろうーが」

 ベッドの端に腰掛け、目の前のこたつを兼ねたテーブルにグラスを乱暴に下ろした。興奮すればするほど、酔いが増して天井がくらくらしてくる。

 また、冷蔵庫を開けて、ビールを取ろうとすると冷蔵庫のドアがひとりでに閉まる。また、開けてビールを取り出そうとすると、先にドアがぴしゃりと閉まる。

 中西は冷蔵庫のドアを足で押さえるとビールを取り出した。次に栓を抜くと吹き出るビールを急いでグラスに注いだ。

 ビールに悪戦苦闘しているうちに、酔いが回ったのか、ビールを持つ手が左右に揺れてこぼれ落ちている。もうテーブルの上に瓶を置くと、中西はベッドに身体を投げ出し横になった。中西が深い睡眠に落ちていく中で、冷蔵庫が生きているかのように何度も点滅し、中の明かりがオレンジだったり青だったりと開閉を繰り返すたびに変化して中西の部屋を祭りのように賑やかにした。


 綾子の部屋では、綾子が、さらに、ぶつぶつと呪文をつぶやいている。こめかみに人差し指と中指を当てると、集中力を増してさらに強く目を閉じた。


 中西の頭の中では、殴られた光子が、唇から血が糸を引いてしたたる。光子が中西の頬を血の唇でなめまして、さらに中西の乾いた唇に、思い切り唇を重ねた。口の中にどす黒い血が流れ込み、鉄分の味が口内広がった。息ができなくなった中西は全身に汗をかき、喉をかきむしって目を覚ました。

「うっぷー、はーはー、苦しい・・・・」

 中西の部屋は、オレンジだったり青だったりと祭りのように賑やかに照らしだされている

 その夜は、同じような夢が何度か繰り返され、滝のような汗に身も心も憔悴しきってしまった。




       (四)   懺 悔



 一夜明けて水曜日の夕方。綾子と正樹は中西をさらに恐怖に落とし入れるための作戦を考えていた。

「正樹、中西のアパートは笹塚よ。夕方、この封筒を中西に届けて。恐怖の夢と同じ写真が一枚(光子に拳を振り上げた中西)が入っているわよ・・・・」

「彼に、ただ届ければ・・・・何も言わなくていいんだよね」

「大丈夫、封筒には新宿のあの時のホテルの名前が入っているから」

「あなた笹塚に行って・・・・時々電話してね。中西の動きを知らせるから」

 そう打ち合わせをすると、夕方、正樹は笹塚に向かった。


 夕方五時過ぎに正樹からの電話が入った。それに綾子が早口で応えた。

「中西が新宿(京王線)を出たわよ、もうすぐ着くから南口の出口で待っていてよ」

「了解です。奴をつけて、アパートのポストに入れるよ・・・・」

「じゃ・・・・よろしくね」

 南口の改札から、中西が降りてきた。何だか以前見た顔とはちがい、目の回りにクマができ顔色が悪い。

 正樹が(一晩でこんなに窶れる(やつれる)んだろうか)と思うほど、中西は疲れ果てた足取りで、彼は肩を揺すりながらも、まっすぐにアパートへ向かった。

 途中小さな店によって、ビールとつまみをいくつか買った。それから路地を何回か曲がって、玄関脇に紫陽花の花の名残が咲いている、古びたアパートに着いた。一階の手前の部屋のドアを開けると、中に消えた」

 正樹は中西の動きを確かめると、アパートのドアの近くに備え付けられているポストに、封筒を入れた。・・・・入れ終わると正樹は中西の部屋を振り返りながらにんまりと笑った。


 あのコンパニオンの会から五日後、光子から綾子に電話があった。

「綾子・・・・、中西がさぁ、わたしに謝りたいんだって、昨日さぁ、下村の所に電話があって、下村からT子に電話があって、わたしに会いたいって、言ってきたらしいの・・・・それでさぁ、わたし中西と明日新宿のホテルのロビーで会うことにしたのよ・・・・できれば、綾子についてきて欲しいんだけど・・・・お願い」

 綾子は、中西がかなりまいっていることはわかっていた。

「ううんー、そうねひとりじゃや、また殴られるかもしれないからねぇーやめた方がいいよね・・・・わたしついていくよ・・・・ただし、うちの彼氏も一緒ね」

「うん・・・・まあっ、いいかー、明日三時に新宿西口の××プラザホテルね」

「了解しました。それで、殴られた光子としては怨み百倍でしょう、どういう結末にしたいわけ」

「お金で解決したって高が知れてるし、何かの反省文みたいなものとか、それの契約とか・・・・つまり、わたしは中西君に二度と女性を殴ったりしないようにして欲しいの・・・・犯罪は終わりにして欲しいの。もし、やったら次は犯罪として社会的に裁かれることを意識したものにして欲しいのよ・・・・それぐらい厳しいものにしてほしいわ」

「わたし、中西君に契約書みたいに書いてもらって、それを見てどうするかを考えたらいいと思うの。なんてたって中西君は社会人なんだからさぁ」

「そうだよね、そのほうがいいよね、わたし書き方なんて分かんないしさ。そうしようよ・・・・じゃ明日よろしくね」

 

中西の足は重かった、あの晩から毎夜同じ嫌な夢を見る。そして、夢と同じ写真が送られてきた。たぶん光子からだと思う。そんなことが頭に浮かぶと心臓の鼓動がはやくなり、動悸と息切れがおそってくる。従って毎日寝不足・体力の消耗、ここ二・三日は仕事が午後までもたずに、昼には早退をしている。

 体重も4キロ痩せて以前のような小太りでちょっと精悍な体型はどこにいったのかという状況である。

 さらに、悲しむべきことがまだあった、ここ二・三日髪の毛が抜け落ちて、残った髪の毛がまだらに残り、急遽カツラをかぶって取り繕っている状況だ。

 中西は、鏡に映る自分の姿の、そのあまりの悲惨さに言葉を失い。すべての原因があの夜の光子への暴力や邪険な扱い、いい加減な対応、優しさのひとかけらもない行動、本当に思い出せば思い出すほど、男として人間として、振り返れば振り返るほどに自分が嫌になるほど苦しみの中にいた。

 光子が、あの晩からどこかで呪っているに違いない。そうでなければ同じ夢をこんなにも続けてみるはずがない。あの晩、帰り際に光子の俺を見つめる瞳が、頭の底にへばりついて、いつまでも俺の心を見つめている。そして、光子の呪いが痛みとなって俺を支配する。

 すべてが光子の呪いだ・・・・そして。光子は俺にとって本当は大事な大事な唯一無二の存在じゃないのか。中西は光子が自らにとっての神に近い存在に思えてきた。そんな考えがわいてきた頃に××プラザホテルが見えてきた。ロビーに入っていくと、光子とあの分厚いメガネの女が待っていた。

 中西は喉に何か巻き付いたような感覚を持ちながらも、ふり絞るように声を出した。

「こ、こ、こんにちは、き、今日は本当においそがしいところを来てくださいまして、本当に、あ、あ、ありがとうございました」

「中西さんこんにちわ・・・・、あの時はひどい目に遭いましたよ・・・・」

「まことにあの時は申し訳ありません。何のいいわけもできないと思っております。ただただ謝るしかないと思っているところです」

 すると中西は、床に両手をついて額を床にこすりつけて低く唸るような声で。

「何度も申し訳ありませんでした。このほどの私の罪は、死んでお詫びしても仕切れないほどの罪であると感じております」

 頭からずり落ちたカツラを気にするそぶりも見せず、一心不乱に祈るように謝罪する姿は、そこのホテルにはとても似つかわしくないものであるかのようで、近くにいたホテルマンたちは、その異様な状況にどうしたらいいのか遅疑逡巡しているようだった。

光子と綾子は中西のその心底反省している姿に、言葉を失い何とも言われぬ異様な光景は光子と綾子の心を打っていた。光子は椅子から立ち上がると、中西の手を包みこむと起き上がらせ、涙目を向けながら

「中西さん、もういいから・・・・もういいから」

と何度も涙を流して訴えていた。中西も応えるように号泣しながらも、またひざまづいて両手を合唱するようにして光子に頭を下げた。その姿が十分も続いただろうか。中西も落ちつて腰掛けると、再度謝罪の言葉を述べ、自分の今後の身の振り方を話し出した。

 彼は今回のことで、自らをもう一度見つめ直したいし、自分の性癖の原因はうすうす気づいていました、それを努力によって改善したい、光子さんの心と身体の傷はこんなことでは癒されないと思うけど、せめてこんな男が側にいないだけでもいいのではと思いまして決意しました。

 つまり、私は日本や欧米以外のアフリカなどの発展途上国への赴任を希望しました。できればここ一ヶ月以内に赴任したいと思っております。わたしは、途上国の人々を心から励まし支えて、自らの手で切り開いていける原動力になればと思っています。それがわたしの償いであり、更生です。

 光子はびっくりした顔をしていたが、光子としては、犯罪の末路として、今の自分として許せる結論として考えると、妥当なような気がする。

 ちょっと離れた席に座っていた正樹にとっては、何がどうなったのかわからず、土下座したり、泣いたり、拝んだりとよくわからないアクションが続いた。あとで、綾子に話を聞いたら、最後には、中西はアフリカに行くことにしている。と言われてますます何が何だかわからなくなった。まあ、修羅場にならないだけでも、今回のことは良しとしなければならない。


 正樹は次の日、綾子から手紙を渡されて中西のアパートのポストに入れてきた。そこには。

『中西さんの自分を変える努力が実を結ぶように祈っています。それから、いつまでも努力することを怠ることのないように・・・・髪の毛がもとにもどりますように・・・・」

 と短い文が美しい字で書かれていた。そして、差し出し人のところにムカデがいた。

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ノスタルジック ナイト  (陰見) 見返お吉 @h-hiroaki

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