第7話 「ムカデ姫の墓」と大叔母
(一) 光大寺
東京から三時間、綾子は東北にある冬木さんの故郷を訪ねていた。紛れもなく冬木が話していた『ムカデ姫の墓』のある光大寺を訪ねてみた。この寺は市の中心地の繁華街の近くにあった。寺が多く集まった寺町の中にあり、立地は繁華街であるのに、寺の多さから静粛がその空気の中心にあった。一緒に来るはずだった正樹は、風邪をこじらせて高熱を出してダウンした。
大屋根を支えて太い柱が堂々と立っており、そして数々の仏教画が壁に掲げられており、その大きさと緻密さや壮大さは、寺に立ち寄った人間を威圧するようでもあった。
「ご住職様、電話でお話しいたしましたように、冬木様からいろいろとお話を伺ってまいりました、加茂と申します。よろしくお願いします」
住職は綾子を誘って、「ムカデ姫の墓」の前まで来ていた。
「ここで、二人は倒れて亡くなりました。発見されたときは、出血多量で亡くなったんだけど、二人に体には全く血がついていなかったんですよ。しかも、警察所の遺体安置所でも、きれいな状態だったんですよ」
墓はよくあるような普通と言われるような墓の様相はしておらず、墓石の組み合わせは、真ん中に、大きめの丸い石が組み込まれており、十畳間くらいの石舞台の上に建っている。
「しかし、警察が、倒れていた現場を撮っていた写真では、遺体は無惨にも血まみれで血の海といった状況で目を覆いたくなるような様子が写っていたんですよ」
住職は聡明そうな表情で、綾子に話を続けた。そしてその後の話を綾子が次いだ。
「そして、さらに不思議なことには、その写真が出てきたその晩に、二人の遺体は消えてしまったのですよね」
「そうです。きれいさっぱり遺体が消えて、その遺体の載っていたストレーチャーが1ミリも動いたあとがなかったんですよ」
「その後、ご住職は二人の遺体が消えたこの事件は『ムカデ姫の墓』の伝説と関係があると言ったそうですが。どういうことなんでしょうか。教えていただけませんか」
住職は、予想していたことなのか、一呼吸置くと、静かに話しはじめた。
「爺いとおばさんは消えたんです。わたしはこの二人に、消えた原因があるんじゃないかと思っているんですが、わたしの話は何せ、伝説の話なので、何ともそれ以上は言えなくなるんですが。そう思って聞いていただければ幸いです」
綾子は背筋を伸ばすと今日の最大の目的に迫っていることに神経を欹てた(そばだてた)。
「もちろんです。わたしはこの現象に深く興味を持っていますからよろしくお願いします」
住職は綾子の態度の満足をした様子で、それから熱心に話しだした。
「~ムカデ姫の伝説をかいつまんでお話しすると
『この伝説は、江戸時代に南部利直(としなお)公に嫁がれた、蒲生家の養女であった、おたけの方のお輿入れの際にもってきた矢の鏃(やじり)から、逸話が産まれてきているわけです。
この姫の実家(蒲生家)に受け継がれている鏃は、平安前期に京都の三上山で俵藤太(藤原秀郷)がムカデ退治に使ったという矢の鏃(やじり)を元にしています。
この伝説は、蒲生家の養女になった、源秀院 名はおたけの方がお輿入れの際に持ってきて、おたけの方が亡くなったときに、鏃(やじり)を一緒に埋めた。
亡くなられたときに、姫の遺体にムカデの痣ができたことから、そのムカデを退治するために利直公が、この墓のまわりに水路をまわし、やがては、仏像を細かく砕き、姫の墓に捧げることでムカデの怒りをおさめた』(社会不安についての陰陽師の生業にかんするもの)という伝説です~」
「それに比べ、さっきお話した亡くなった二人について言うと、おじいさんには、人の寿命が見えるきわめて特殊な力があったようです。この方は、昔からこの近所に住んでいた方ではなくて、他県から移り住んできた方のようで詳しいことは分かっていません」
「次におばさんの方ですが、昔からここに住んでおりまして、古くからのこの寺の檀家の方でございます。ただしこの方はひがみ根性が強いというか、負けず嫌いといううか、尋常でないところがございましてご近所の方ともあまりうまくいっていなかったようでございます」
「この事件ですが、男の方からおばさんが自分の寿命を聞いてショックで、言った方を亡き者にすればその呪縛から逃れることができると信じたんじゃないかと想像できます。だからあんな殺し合いに発展したんじゃないでしょうか」
「おじいさんの方もそんな恐ろしいものが見える力があるんだったら、それまで生きてきて何かしらのトラブルがあったと思うんです・・・・だから、こんな軽はずみなことは言えないと思うんですが不思議ですねぇ」
それまで静かに聞いていた綾子が、和尚に質問をした。その質問は本当に基本的なもので勢い込んで話す住職の、足下を照らすような基本的なものだった。
「あのー和尚さん、二人が殺し合ったの理由は分かりました。どうして死体が消えたのでしょうか、和尚さんが想像する思いをお聞かせ願えませんか」
住職は、思い出したようにはっとした顔をした。
「忘れていました申し訳ありません、あまりに自分の話に夢中になってしまいまして」
そして住職は、『ムカデ姫の墓』のすぐ側にある小さな蹲い(つくばい)を指さしながら話を付け加えた。
「あのですね、実は『ムカデ姫の墓』には、当初ムカデの怒りを静めるために、利直公によって水路がもうけられておりました。それは今でも水が地中から湧き出て、その水路の端から流れ出て、あの小さな蹲い(つくばい)に水を溜めております。そして、その水はムカデ姫の霊気をたたえた水と信じられており、怪我した傷をこの水で洗うとたちまちに回復すると信じられています」
「あの事件の日、男が手に取った鎌は、その蹲い(つくばい)に入れてあった鎌で、ムカデ姫の霊がついたものだったと思われます」
「だから、わたしはですね二人の死体が、不思議な状態で消えてしまったことは、ムカデ姫伝説のこの水に関わりがあるんじゃないかと思っているわけです」
「この水にはですね、ある時は黄泉の水であり。また。ある時は遠い昔に活躍した陰陽師の願い込められた水だと思います。人々の安寧のために巷の不安を取り除くことに命をかけていたのが陰陽師です。彼らは陰見の力がいきすぎずに人々の平穏や幸せを切望する力として、人々の生業(ないりわい)の裏で、助けたり、人々の力になったりすることを望んでいたのかもしれません。
しかし、社会の中で、特殊な力がなすべき役割以外に傾注された場合。つまり、ある粋を超えた行動が行われた場合には、社会に混沌がうまれるんじゃないかと思っているわけです」
「人間の自らの中で増長する欲や業というものが巣くう世界を、どうやって沈めようかという象徴のようなものだと思っているんですよ。なぜならどの時代における僧侶も神主という神や仏につかえる者の使命がまさしくこれと同じなのです」
「だから、まさしく我が寺の先達がムカデ姫の怒りを納めるために、仏像一体を粉々に砕きこの墓に捧げたように、仏の力をかりないと人間の奢りや業を改めさせ、鎮めることができなかった」
「だからこそ、あの事件は人間の奢りや業というものを、まさに仏が祓い清め、本来の人間の姿に目覚めさせようとしたことになると思います」
「だから、あの二人が倒れていたのは、まさにムカデ姫の怒りを鎮めるために仏像を砕いて捧げた場所だったんです」
「あの時、死体に降りかかった黄泉の水は、その業の強い彼らの屍(しかばね)を、遠くの世界に持って行ってしまったんじゃないでしょうか」
ここまで一気に話した住職は放心状態にと化したのかしばらく動けなくなってしまった。
綾子はバックから小さな小瓶を手に取った。モンサンミッシェルというオーデコロンが入っている小瓶だ、綾子は中に入っているモンサンミッシェルを全部その場に捨てると、住職と綾子のまわりは、すっきりとしながらもメリハリのあるモンサンミッシェルの気品のある香りが広がった。
綾子はこの空き瓶を、ムカデ姫の墓の蹲い(つくばい)に沈め、瓶の中を蹲い(つくばい)の水で満たした。
(二) 巾着と大叔母
数日後、綾子はアパートの部屋でタケ叔母からいただいた巾着を目の前にしていた。
(いったいこの巾着の中身は何だろう?)手に取ってみるとまるで何も入っていないようで、思っていたよりは軽い。
巾着の口をゆるめて奥に指を入れると、中に見えている皮の紐を引っ張りだした。
すると直径三センチ、長さ五センチほどの奇妙なかたちをした金色の鈴が顔を出した。
それを引っ張り出すと、その鈴はコガネムシのようなかたちをしており、裏面は平らに磨かれて、薄ぼんやりとした光沢がある。
繋がっている紐は、緑と黄色の革のひもで輪になっていて、そのひもには磨かれた青い石の玉や香木の飾りが数珠繋ぎのようについていた。
鈴にはあちらこちらに傷のような模様がついていて、こすれたようにも見える。持ち上げてみるとずっしりと重い。しかし、巾着に入っているときは全く重さがなくなる。不思議な鈴だった。
綾子はその鈴を机の上に置いて、舐めるようにくまなく見つめたが、特に何もなく、何も起こらなかった。鈴の音の出る狭間をのぞくと、中に入っている黄金の玉が見え、澄んだ響きが広がるたびに、静かに揺れて万華鏡のような光をキラキラとちりばめ放っている。
綾子は革紐を中指に通して鈴を持ち上げた。顔の前に鈴を持ち上げて、指を広げると顔の前にきらめく音が広がった。
音の方向を手のひらで制御して音のでない壊れているラジオに向けた、すると美しい鈴の音に包まれたラジオから、急に音が出て音楽を奏でた。
鈴を巾着にもどして音と光を封じ込めるとラジオが止まった。また、中指で鈴を持ち上げて、枯れたバラが生けてある花瓶に向けて鈴を鳴らすと、花瓶が一瞬ゆがんだように見えてから、バラが真っ赤な花をみるみる開いてよみがえり花瓶に大きく立ち上がった。
まだまだ鈴の力は分からないが、ここまで見て、特に破壊的で恐怖をあたえるような現象は起こらない。
薄い影である、絶望的な出来事と、鈴の音が生む、ラジオやバラの復活の現象がどのような関わりをしているのだろうか。
浮かんだ疑問を心にしまい込むと、鈴を巾着に戻して机の引き出しに入れた、やはりこんな疑問を解決するためには、スギ大叔母に会いに行くしかないと決断した。
次の日綾子は、都下の閑静な所にある、スギ大叔母を訪ねた、急な訪問にかかわらず大叔母は自宅に居て、綾子の訪問を待っていたかのように笑顔で向かえてくれた。スギ大叔母はかなりの歳だが老いのかけらもみせない姿で待っていた。都内の大学で教鞭を執っていたが、今は定年退職して、この閑静な住宅街で悠々自適のひとり暮らしだ。
大叔母は、外に草花が美しく見える窓際から、壁には本のいっぱい積まれた書斎で、大叔母が淹れてくれた紅茶を飲みながら、綾子の近況を目を細めてうれしそうに聞いてくれた。大叔母はやがて、ずばりと話し始めた。
「綾子は、自分の力がどんなものかを知りたいんだろ」
「タケ叔母さんからちょっとは聞いているだろうけど、詳しいことは分からないから、わたしの所にきたんだろう」
「スギ大叔母さん教えてください。わたしはなんなんですか?」
「そうね、私たちは世間では『影見』といわれているけど、それは通称のようなもので、知らない人たちが勝手に付けたあだ名みたいなものよ。だから、本来の持っている力はいろいろで、みなさんの役に立つものが多いのよ、気味悪い部分だけが一人歩きしているので、本当はそうではありません。」
「私たちの素性は、古くから飛鳥時代から、奈良時代と占いなどにより、政治や国づくりに協力してきて、平安の頃には陰陽師の流れをくんだ端っこに、本当に薄い血筋を引いて位置しているのが本家のようね。わたしも詳しく調べたことがないわ、まあそのあたりが出自らしいのね。まあ本当のところは不確かだけどね」
「あのー、『影見』についてお聞きしたいんですけど・・・・あのー、見えるのはしょうがないけど、そのことが人様のためにならないということが、どうにも救いようがないようで、どうにも後味が悪くて、そしてすっきりしないんです。これが他者からも自分の中でも嫌な部分なんです。」
「うーん、なるほど、なるほど、綾子はそういうとらえ方をしているわけねぇ。影が見えるときと命の終末が同じ意味をなしているわけね・・・・だから、むなしく感じるわけだ」
「綾子、そうじゃなく。・・・・薄い影は、事故、病気、運命なんていろいろあるけれど、終末じゃなく、私たちが、何とかできる事象を対象とするならば、事故を回避するための注意を前もって与えるくらいなのかもしれないね。だって、医者じゃないから病気は直せないし、歴史を変えることにもなりかねないから運命は変えられない。だから、『影見』としては、先にあげた事故回避ぐらしか、できることはないはずよ」
「だから、綾子がはじめに言っていたとおり『影見』って、人を怖がらせてばかりで、人々の役にたてずにつまらないという感想になるわけね。」
「・・・・でもさ、その他に別の力があって何とか人の役に立てることがわかったら、『影見』が力を持っていることへの自信や存在感も変わってくるし、生き甲斐ももてるんじゃないかしら」
「わたしは、その他のどんな力があるのか、そしてどうすればその力を出せるのか分からないんです」
「それは、そう言う場面で心を集中させて、一身に念じればできるようになるよ・・・・」
「念じるときは、見られず・聞かれず、まあ呪文は和紙を巾着に入れると、呪文が和紙に写されて出てくるわよ。そして、呪文の和紙を破り捨てるか、念じるかで、その力は失われるの」
「力はそう長くは継続しないから注意しなきゃね」
「お前、変な使い方すると、自分の寿命を縮めるって聞いたろう。だから力を使うときは十分に考えて使わなきゃダメなのよ」
「綾子、お前は陰陽師の血をいくらかでも受け継いでいる者なのよ、その点をいつでも肝に銘じていなければだめよ・・・・」
「その他にも、別の力あるし、その強さはそれぞれだけど、代々伝わる書き物によると、一時的な透視能力、地獄耳と言われる聴力、ちょっと物体を移動させたりできる超能力、人型の切り紙を操る能力、そして、予知能力などがあると言われているよ、これらはすべて練習して掴んでいくしかないのよ、音、光、影(陰)を常に意識しながらね」
スギ大叔母は、いかにも悩める綾子がかわいいらしく、頬に優しい薄笑いをたたえながら話し続ける。
「長い歴史の中で、常に社会の混乱は人間の中で増長する欲や業というものが巣くう世界から産まれた。それをどうやって沈めようかという象徴のようなものが、神や仏につかえる者の使命であり、そして正しい社会のあり方に導く。これが、陰陽師の大事な社会的な役割だったのだろう。過去の出来事が今の私たちにそう訴えているのよ」
「綾子、これがあなたの運命ですよ」
スギ大叔母は、自らを納得させるように綾子に訴えかけた。
「綾子、わたしもはじめは悩んだし運命を呪ったわ・・・・でも、わたしの社会的な役割が歴史の上で決まっているのであれば、それは名誉なことだし、一生かかって人様のためになることができるのであれば、こんないいことはないと納得したんだ」
「世の中には『影を見る能力』をうまく使えずに理解もできずに社会から制裁を受けた人たちもいる・・・・そんな中、お前は正しい道を見つけたいと願っているんだろうよ・・・・頑張りなさいよ」
呪文
「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」
「がんちゅうこしん、はちぐうはつき、ごようごしん、おんみょうにしょうげんしん、 がいきをゆずりはらいし、しちゅうしんをちんごし、ごしんかいえい、あっきをはらい、 きどうれいこうしぐうにしょうてつし、がんちゅうこしん、あんちんをえんことを、
つとみてごようれいしんにねがいたてまつる」
「オン キリキャラ ハラハラ フタラン パソツ ソワカ」
(三) スカラベ
夕方、綾子は正樹と高田馬場の駅を出たところで待ち合わせをした。改札を出た正樹がビックハウスの前で日がかげったばかりの薄い藍色の夜空を見上げて、ぼーとしている綾子に近づきながら声をかけた。
「綾子どうした・・・・」
綾子は、びっくりした顔をしたが、頬をゆるめてにっこり笑った。
「何か食べようよ・・・・おなか空いちゃった」
正樹が綾子の手を引き寄せて歩き出した。
「あのさぁー、特に何かあったわけじゃないけど、T子から電話があったの、次のアルバイトもうすぐよ」
「あのいかがわしいアルバイトか・・・・それでいつだって?」
「来週の金曜日よ、またあの新宿の、あの場所よ」
目の前にお目当ての喫茶店が見えてきた。重いガラス戸を押して店にはいると、ドアに付いているカウベルが心地よい音を奏でる。なれた足取りで中にはいると、二人は奥のテーブル席に着いた。そして、ナポリタンと紅茶を注文した。
「それで綾子はT子さんの誘いをどうするわけ?」
「実は、今度の取り扱う業種も、以前と同じ繊維関係なのよ」
「んん・・・・何か聞いたことあるぞ・・・・もしかして光子さん関連」
「そうなのよ、今度も繊維関係だから、中西がまたイベントに参加してくるかもって、復讐に燃える光子も出るらしいの・・・・わからないけど何か仕返しのようなことを考えているんじゃないかしら」
「だから、光子にもしものことがあったらと考えて、わたしも出ることにしたわ・・・・是非とも、光子の力になりたいと思っているの。絶対に協力するの・・・・」
「展示会の開催に中西が現れるかどうかがわかるまで、もしくは、そのぎりぎりまで、自分はとりあえず、受付係を希望して参加することにするわけ。まあ、中西がこない場合はキャンセルよ」
「わたしのようなブスは、わたしの方から断るのを、T子も下村も本音では待っているはずなのよ」
「油断すると、光子さん、また中西にまとわりつかれてひどい目に遭うんじゃないのか」
「だから、そこが心配なところで、逆に言うとそこがねらいなのよ。中西がまた光子に近づいたなら、徹底的に光子の復習をサポートするのよ」
「そんなことできるのかぁ」
「これから考えるの、だから正樹に連絡したんじゃない・・・・アイデアだしてよって」
「この間『ムカデ姫の墓』と『大叔母さん』のところに行ってきたんだんろう、何か収穫あったんじゃないの?」
「特に思いつかないわ・・・・自分ではよく分からないよねぇ」
「ちょいと聞くけど光子の復習ってどんなことか聞いてる?」
「ごめん・・・・全く何も伺っておりません。ごめんなさいませ・・・・正樹様、チャンスがあったらきいておくね」
ナポリタンがきた。綾子はゆっくりとお腹を満たし、正樹はタバスコをふりまいてひーふー言いながらあっという間に食べ終わった。
お腹が満足すると、綾子がショルダーバックから例の巾着袋を取り出した。テーブルの上に巾着袋を置いた。正樹からは、綾子の手がテーブルの上をむなしくパントマイムのように動くだけだ。
綾子からは、自分の部屋で見たときとは違い、巾着は半透明に見える。その巾着を開くと。
「この巾着の中に・・・・急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)・・・・」
そして、ぶつぶつと呪文を繰り返す、綾子の声だけがむなしく、向かいに座る正樹にとどく。だけど正樹には何も見えない。正樹は巾着のある場所を手でかき回しながら。
「おいおい・・・・綾子、俺には何も見えないんだよ・・・・どこに何があるわけ」
綾子は、はっとしたような顔をして、この状況を把握したようだ。そしてカバンからノートを取り出すと、簡単な絵を描き出した。
「ごめんごめん・・・・わたしには見えるんだけど、正樹には見えないんだよねぇ・・・・それでこんなのがこのテーブル上のここにあるわけ」
正樹は、置いてある場所を何度も見たり、触ったりしたが、全く見えないし、感じない。
正樹は綾子の描く模写を見ながら、できるだけ想像をふくらませた。
「この中には、こんなコガネムシのような形をした金の鈴があるのよ、この鈴には傷のような模様のようが、こんなふうにいくつかついているのよ」
そういうと綾子は、袋の中のカブトムシのような形をした鈴について細かく語りだした。じっと綾子の話を聞いていた正樹が突然、何かを思い出したように話し出した。
「それって、スカラベじゃないかなぁ・・・・」
「正樹、そのスカラベっていったい何よ」
「それは、古代エジプトで信じられていた、糞ころがしを神格化したものさ。糞ころがしは糞を後ろ脚で転がしている姿が太陽を転がしていると見られて、神の使いのように信じられていたのさ・・・・・・つまり太陽神、光と影(陰)を考えるとその象徴のようなものじゃいかなぁ」
その話を聞いたとたんに綾子が思い切りテーブルをたたいた。
「正樹、それ・それー・・・・まさにそれよー、ねぇーもう少し詳しく話してよ・・・・」
「僕もそんなに詳しく分かんないだけど。まあ知っていることを話すとね」
正樹は、かつて興味をもって調べたエジプトの文明について思い出しながらゆっくり話し出した。
「昔、エジプトでは影を身体の一部としてとらえていたんだそうだ。そうすると影というものは、身体の外にあるもので傷を受けやすく、事故に遭いやすいから、事故に遭わないように注意深く保護しなければならないと信じられていたらしんだ。だから、墓穴や岩の割れ目や流れの速い川などに自分の影がかかると危険であると考えられていて、そんな危険を回避するようにしていたといわれているんだ」
「キリスト教でもちょっと似たようなとらえ方があってね、身体を病んだ人々がいる側を、聖ペテロだったかが歩いていくときに、ペテロの影が病んだ人々の影にかかるように通り過ぎると、影が重なった病んでいた人々は全員癒されたという話もあるんだ。」
「つまり、エジプトにしろキリスト教にしろ、人々は、かつては影を人間の一部として取り扱っていた時代があったということだ」
ここまで話して正樹は、今の現実に目を移して、思いを話しだした。
「今、綾子が開いた巾着は、かつてもう少しエジプトの時代のように普通に影の世界のことを考えられていたころのことだと思うんだ。いつのまにか影の存在が軽んじられるような世の中になってしまったけど、今でも綾子達のような力をもった人たちが存在して、影の世界をコントロールしているんだと思う」
「それが本当かどうかは分からないけど、昨日巾着を開けて中の鈴を鳴らしたら、壊れていたラジオがなり出して、枯れていた花瓶のバラが元気を取り戻したのは事実よ」
「ここでも何かできる?」
「できるかどうか、まあやってみるよ・・・・」
綾子は、巾着の中から革紐を引っ張ると鈴を取り出した。そこで正樹の顔をのぞき込んだ。何も見えない正樹は、パントマイムのように動く綾子の指先をじっと見つめている。
綾子が(オン キリキャラ ハラハラ フタラン パソツ ソワカ)とぶつぶついいながら鈴を持つ手首を動かした。
そして、その手首が二つテーブルをはさんだ先の学生の左脇に積まれた本に向けられた。一瞬、綾子と正樹から見える先のテーブルが歪んだようにみえた、それから本が柔らかい風に揺られるように数度揺れて表紙の部分がゆっくりとめくれた。
正樹は目を大きく見開いて深呼吸をした。・・・・そして、また綾子の手首の動きに視線を移すと、まるで音色が本当に聞こえるがごとく耳を澄ませた。
そして静けさの中、店のドアに着いているカウベルに鈴を向けて(オン キリキャラ ハラハラ フタラン パソツ ソワカ)と唱えると、やはり空間が若干歪んでからカウベルが何度か小刻みに揺れて、その後なでるように小さく鳴った。また正樹が目を見開いて口の先をすぼめた。店のカウンターにいた従業員が誰もいないドアを見て不思議そうな顔をした。
綾子は、鈴を袋に戻すと正樹を見た。正樹は何も見えないテーブルの上を動く綾子の手を、不思議そうに見つめていたが、やがて息苦しそうに顔をしかめ、喉を何度か指さしている。どうも声が出ないようだ。従業員もカウンターで後ろむいて動けないでいるようだ。
数席隣の大学生は本の表紙がめくれたことを気にとめることをせず、不思議とも感じていないためか、正樹のように声が出なくなることはなかった。
この現象は不思議な状態を見たり、感じたりした普通の人は、おおむね声が出なくなったり、身体が動かなくなったりということの現象がおこる。綾子はこれまでの経験上よくあることなので、これといって動揺はしない。正樹も二回目なので焦らずに症状に順応している。
綾子はじっと考え込んでいた、ウェイトレスに水を何倍かおかわりをして、ついにはコーヒーを注文して、ミルクと砂糖を入れ、ゆっくりを飲んだ。その頃には正樹もカウンターの従業員も徐々に元気になった。
正樹がちょっと息をぜぇーぜぇーさせながら。
「綾子、今までの動きから何か分かったことってあるわけ・・・・」
「うん。何だかはっきりとはしないんだけど、こんなことじゃないかな・・・・っていうことがわかりかけたような気がするの・・・・」
「つまりさー、わたしたち影見女は、人を怖がらせたり脅したりするために存在しているわけじゃないのよ・・・・」
「たぶんだけど、影を見て寿命をみることは、私たちの役割じゃないのよ。もっと大事な、人々を迷いや諍い(いさかい)や欲などの人間の持つ悪い面から救うためにあるような気がするの」
「それは、人の影が、肉体と同様に人間の一部として大切にされていた時代から、人々の病んでいる影や傷ついている影を癒すために存在してきたことの流れの中で、影見はいるんじゃないかと思えるの」
「でもさ・・・・冬木さんの言っていた影見爺は怖がらせて、挙げ句の果ては亡くなってしまったんじゃないか」
「だからさ、さっき正樹もスカラベの話の中で、かつては影も身体の一部として大事にされていた時期があったって言ったじゃない。そんな時代は影見の私たちももっと大事にされていたんじゃないかしら。でも、時代が進むとともに、ないがしろにされて、疎んじられて、そんな扱いに対する反抗って言うか、そんな気持ちが、影見爺のような行動を起こさせたんじゃないかなあ」
「そうかもね、何だかちょっと影見の謎が解けたような気がするよ・・・・」
「いずれにしろ、影見達は、めったやたらに魔法を使えるわけじゃなく、回避できる危険には最善を尽くし、養生には精一杯を援助するなど、助けることに終始したいと思うの、だって影が存在としてあった時期には絶対的に必要な医者のような役割だったんだろうから」
「つまりそれほど、影身の存在は日常的であったということなんだね。何たって人と影は決して切っても切れない間柄じゃないか・・・・」
正樹が見えない巾着を見ながら、やっかみもあってか冗談を飛ばした。
「ただ・・・・ただ思い起こせば、巾着を開けたんだよね、先祖代々から伝わっているものなんだろう・・・・お前の身体はだいじょうぶか・・・・」
そう言って、正樹は綾子の顔をじろじろ見た・・・・。
「何見てんのよ・・・・」
「だって、不思議な力を変に使うと、寿命が縮むって言っていたから、老けたかなって思ってさ・・・・」
「なに言ってるのよ・・・・失礼なやつだなぁ・・・・わたし変なことやってないじゃん・・・・だから、この通りよ」
綾子は顔を、正樹の頬に触れるくらいに近づけて・・・・一瞬立ち止まると、次の瞬間ほっぺたにチュッとした。正樹はにんまりしながら、まわりを気にしてきょろきょろした。
正樹は顔を真っ赤にしながら、意識して話を変えるように、唐突に話し出した。
「それよりも、問題は今回のイベントでの、光子と中西のことだよ。中西が今度の展示会に顔を出すのが分かったら、光子がどんな復讐をするのか知っているの」
「だからわたし今回は受付の係に手を挙げようと思うの、そしていち早く中西の動きをつかんで光子に知らせるのよ」
「なるほどその係だと、情報はいち早くつかむことができるし、展示会場全体を客観視できるからいいかもな。じゃ、俺は向かいの居酒屋で待つことにするよ」
「ところでお前、中西にどう制裁するつもり?」
「彼が飲もうとしているビールグラスを、振り落としたとしても、すべって落としたぐらいしか感じないし、びっくりもしないだろうからね・・・・だから困っているのよ」
「するといよいよ、綾子には制裁の手だてが何もないって言うわけかい」
「そんなわけじゃないけどね、実はまだこれを使えばどうなるか試したことがないから不安ではあるけど、ないわけではないのよね」
「何よ、強力な殺虫剤とか、呪いの呪文だとか、何かえたいのしれない何かがあるわけ」
「絶対に妖気っていうか何かがあるんだけど、それを使うとどうなるのかをまだ試していないわけで」
「いったいそれって何よ」
「それはね、『ムカデ姫の墓』に流れていた妖気を含んだ水よ」
「あの冬木さんが話していた、『ムカデ姫の墓』の死体消滅事件で使われた鎌が入っていた水の溜まっていた蹲い(つくばい)の水かい」
「そうよ、その水をどう使うかよ・・・・」
「考えただけでも、死体が消えるほどの妖力のある水でしょう・・・・そりゃ、一滴でもすごいでしょう、考えられないわ」
「正樹、ダメだよそんな想像力じゃ・・・・水は、姫に取り付いたムカデの妖気を払うために、南部利直公が祈願して善意でつくった水路なの、だから、決して良い行いには厄はなく、悪い行いに対してのみ、それなりの制裁を行うという比較的常識的な神の制裁だと思うのよ」
「なるほど、俺らのように一般的な人間は、ただ怖がって敬遠するけど、今のように昔から神に仕える人々が、人々のために尽くしてきたことを考えると、綾子の言っているとおりだと思うよ」
「綾子、俺が明後日までに、水を使ったやり方考えるから、ちょっと待ってくれる。それよりも光子の復讐を手伝ってあげてよ」
「分かった、わたしは光子と連絡取ってみるは。」
二人は高田馬場で分かれるとき、明後日、新宿駅での待ち合わせを確認した。
神田川を渡って目白の高台の坂道を登る正樹。川沿いの道を上流に上る下落合(地名)をめざす綾子。二人は、明後日の夜を想像しながら、それぞれの帰路についた・・・・。
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