第5話 光と影(陰)

 その晩、正樹の部屋にめずらしい方が顔を出した。一階に住む浪人生の冬木さんだ。彼は人見知りで滅多に部屋から出てこない。すると、今回は、最近実家から「ばっけみそ」が届いたので、味見しないかと言う誘いであった。

 彼の部屋におじゃますると、彼の地元の日本酒と「ばっけみそ」が皿にのっていた。いかにも素朴な感じのするものであった。

 いわれがままに手のひらに「ばっけみそ」をのせるとそのまま口に運び、その流れでコップ酒を一口ぐびぃっとやる。何ともにがみと甘さが口の中に広がる。そしてほのぼのとした苦みを漂わせて深い味わいが口からそのまわりにひろがっていく。

 酒を味わい、そして酔いがほんのりと全身にまわるにつけて、彼の好きな話で、宇宙人とか、スプーン曲げや超能力、オカルト的なものといったものに、次々とうつっていく、冬木さんが饒舌になった。


 冬樹さんは三浪している、苔の生えたような浪人生だ。彼は、東北出身で生まれが神社のほど近くで、しかも、その神社の反対側には、これまた大きな寺があるという。

 つまり神仏どちらにも囲まれて育ったことを自慢げにしているところがあった。従っていろいろな不思議な話を見聞きすることが多く、たくさんの不可解でスピリチュアルで多くの不思議な体験を積んできているらしい。

 二人で幼い頃の、お稲荷さんの神社の祠におしっこをかけたらその晩、おきつね様が夢に出てきて恐い目にあったとか、不思議な話をしていたら、彼が「影が薄い」ということを話しだした、冬木さんはぐいぐいとこの話に突っ込んいって、口から唾を飛ばして手振り身振りを交えて酔いしれるままに話は進んだ。冬木さんは、このたぐいの話題において、今まで誰からも相手にされなかったようで、彼にとって今回の機会は最も興味のある話を受けてくれる方がついにきたという記念すべき日でもあるかのように、彼はさらに前のめりになって話し出した。

「・・・・僕の小さい頃に、公園にみんなで野球をやりに行くときに、いつも公園の近くの路地に座っている、爺いさんがいてさ、こいつがそこを通る人を見て「あいつは影が薄い」なんて言うんだ、すると一・二ヶ月ぐらいするとそう言われた人が亡くなるんだよ。僕たち仲間はいつしかその爺いさんを気味悪がって、爺いさんの近くは通らないようにしたもんだよ。(・・・・あれは怖かったなぁ・・・・)

 正樹は思わず

「その爺さん人の寿命が見えるんですか?」

「どうもそうらしくて、本当に気味が悪かったし、自分は見られないように見られないようにとさけて歩いていたことを覚えているよ」

 寿命の見える爺さんの話は盛り上がり、冬木さんのはとても満足げに話し、そして何はともあれ「ばっけみそ」はとてもおいしくて、夜の更けるのを忘れてしっかりと味わった。


 次の日の夕方、正樹の部屋に綾子が居た。

 正樹は、昨日の冬木さんの「寿命が見える」っていう話がとても興味があった。思わず綾子にもその話をしてみた。綾子はその話を聞いても「ふーん」「あー」とか空返事ばかりで反応が鈍く、いっこうに本気になって聞こうとしないばかりか、興味も示さない。。

正樹はあきらめて綾子には、いただいた「ばっけみそ」食べさせると、こちらの方ご飯が欲しいと言いながら、よだれを垂らしてぺろりと食べきった。

 正樹、半分あきれ顔で綾子を見ていた。見ているうちに正樹は気がついた。

(いきなり「影が薄い」の話じゃ何も分からないだろう。だってあまりにもとっぴおしすぎるからななぁ)

 と思いなおした。すると綾子が口の端を指で拭きながら。

「ねえ、なんだか食欲が促進されたみたいで・・・・おなか、空いちゃった、どこか食べに行かない?」

 正樹は、またまた、あきれて思わず「このノー天気な女」って叫んでいた。


 夕方の逢魔時、二人は飲食店をさがして、サラリーマンや学生、帰宅途中の人々がごった返す街に向かった。正樹と綾子は、目白台を降りて、高田馬場のさかえ通りを、綾子のアパートの方に向かってぶらぶら歩いた。

 歩きながらも正樹は、人のまわりにできる影を見ていた。冬木さんの「影が薄い」の話を受けて意識していた。探して、歩いてくるひとりひとりのまわりをじっくりと見つめいる。 綾子が正樹の行為にあきれて。

「正樹、何やっているの、そんな変なこと見えるわけないでしょう。もし見えたらみんな仏様になってるから・・・・」

「そうかなぁ・・・・冬木さんは、その人には見えたって言ってたから、もしかしてと思ってさ・・・・」

「そうよ・・・・誰でもが見えたら世の中おかしくなっていくでしょう」

 正樹は頭からしかられて、しぼんでしまった。・・・・すでに七時を過ぎたころ、小さな定食屋を見つけた。正樹は入り口の古びた造りの飾り柱の脇を通り抜けると、店の中をのぞき見た。

正樹は、まだ店の外にいる綾子を見ると、綾子は、顔を真っ青になり、体が硬直していた。 正樹は店の外に出て。

「綾子、どうした。何かあったか?」

 綾子はただただ苦しそうな表情で、店の暖簾の揺れる玄関脇の窓を指さしている。綾子の指さした窓ガラスを見ると、中のお客さんの黒い影が、内障子に黒く映っているのが見える。

 正樹は、中を確かめたくて店内に足を踏み入れた。そのとき、綾子が正樹の腕を強く引いて止めた。強く哀願するような声で「やめてー」「入らないで」と叫び出した。

 正樹は綾子の叫びを振り切って店の中に飛び込んだ。正樹は振り切ってまで中が見たかったのだ。

 店にはいると、店の中央は、いくつかのテーブル席がある。店全体が一瞬空気が震えたように感じ、その場の空間が二重にぼやけて見え、そしてすぐに元に戻った。目をこすりながら再度見直すと、グループやカップルが楽しそうに飲食をしていた。また、左奥の小上がりでは、数名の年配の人々が楽しそうに会話している。その集団の後ろに、影が映った内障子があった。


 正樹がおじさんたちを指さし何かを話そうとした。と同時に、一番奥の初老のおじさんの側のとっくりが音もなく倒れた。中のお酒がテーブルにこぼれた。

 向かいのおじさんが、急にこぼれた酒をお絞りで拭きはじめた。店員さんもすぐに来てテーブルはきれいになった。

 しかし、また正樹がそのテーブルを指さした瞬間、今度は手前に座っていたおじさんの持っていたビールのグラスが手からするりと抜け落ちると、床に当たって派手な音を立て割れた。店にいた人々がみんな一瞬注目した。外から綾子の声がした

「外に出なさい、中に入って何をするのよ・・入っちゃダメ・・」

「このままだと何がおきるか分からないわ・・」

 綾子が何のことを言っているのか分からないけど、正樹は冬木さんのことに始まった、すべての不思議なことが繋がったような気がした。このままじゃまずい・・・と感じた。

「今まで、こんなことはないのよ・・・・いつも今までここまでよ・・・・これ以上はしちゃいけないのよ・・・・」

 綾子は額に汗をかき、息を荒くしながら、正樹の腕をつかんで店の前から強引に引きずった。


 綾子と正樹は、さらに何が起きるかわからないと思うと、二人はその場から逃げるように離れた。そして、口もきかずに急いで綾子のアパートに向かった。

 道中、正樹は何かに取り付かれたように顔色が悪くなり、嘔吐が襲って来て、額から玉のような汗をはじき飛ばし、脇目もふらずに小走りに駆け続けた。

 綾子はそんな正樹を心配しながらも、いずれ戻るという確信があるのか焦らなかった。

 異変は綾子のアパートに着いてからも続いた。正樹の声が出なくなった。正樹は何度も綾子に話しかけようとしたが「ああ・・・・いい・・・・うえ・・」だけでことばにならない。だんだん焦りだして青くなっていく正樹を、綾子は背中を優しくなでながら、もうじき治るから焦らないでと、優しくフォローした。実は綾子もずっと以前に正樹と同じような症状になったことがあって、あせったことがあった。


 それからは綾子は声のでない正樹を見つめて、独り言のように話し出した。

「まあぁ、私、正樹のこと好きだし・・・・それにキスしたし・・・・」

 正樹は、おもわず綾子を見つめ直して、彼女の両頬を手のひらで押さえた。

 挟まれたままで綾子が。

「実はさぁー、わたしー。人の影(陰)の濃さが見えるときがあるんだー・・・・」

「でもいつもじゃなくて時々だけどね・・・・」

 正樹の押さえた手を、綾子の手のひらが伸びてきて、二人の手は重なった。

 正樹は、なんだかわからないけど綾子がたまらなく愛おしく思えた。


「さっき、高田の馬場の店で見えたのは、障子に写る影よ・・・・」

 正樹は声が出ないことに不自由さを感じながらも、さっきの店で見たこと感じたことを反芻してみた。

 店の窓の内側が障子の建具がはまっていて、そこに中の人影が、うっすらと黒く写っていたのが分かった。

 そして正樹は、さっきの店での、倒れたとっくりや、割れたビールグラスの状況が、綾子の不思議な力に関係あることだということを理解した。

 あの時、綾子の息遣いが荒くなり苦しくなるのが分かったときに、綾子が正樹に小さな声で言ったことを思い出した。

「中に影(陰)が見える・・・・その人・・の影が・・・・中に入っちゃダメ・・・・何かがおきるいわ・・」

「分かったわ・・・・もう静かに・・・・」

 綾子はそこまで話すと、正樹、疲れたでしょう少し休みなさいって言って背中をさすった。

 正樹は綾子の超能力らしき力は、本当のことだということを身にしみて分かった。冬木さんの話した人間がこんなにも近くにいたなんて感動して、何とも言えない気持ちになっていた。この現代において考えると、疑わしいと思っていた。半分冗談のつもりで正樹は思っていた。影が薄いといわれた人間は、その後どうなるのか。冬木さんの言ったように死ぬのだろうか。

 実は正樹はこの特別な力を綾子に感じたときから、どこかまだお話しの世界のことなのだろうかと疑っているところがあった。そして、このオカルト的というのか、超能力というのか、わからない力について、強い興味をもったのも事実だ。


 二時間くらいすると、正樹の症状は回復した。お腹が空いた二人は、綾子の手作りのおにぎりで食事をした。

 正樹は冬木さんが話していたことを思い出した。まず、今までどんな場所でどんな時間に見たのか、どんな風に見えるのかを詳しく聞きたいと思った。。

「ううん・・・・まず・・・・そんなに何回も見ているわけじゃないし・・・・」


「ちょっと正樹、ちょっと誤解してるわよ・・・・『影が薄い』って言うのは、太陽に照らされてできる影と考えることもできるけど、わたしの中では、その人の物理的存在っていうか、見えるものが薄くなって向こう側が透ける状態も『薄い』っていうのよ」

「へぇー、人間が透けるのか・・・・まわりもそう見えるのかな?」

「まわりには見えないよ、見えたらみんなが言っているでしょうよ。それからねぇ、時間はねえ、夕方の時間が多いかな」

「そうなのか・・・・夕方って、太陽が沈む時間だし影ってできずらい時間じゃないか」

 綾子はちょっと考え込んで、正樹にどう説明しようかしばらく首をひねっていた。そしておもむろにゆっくり説明し始めた。

「普通にできる影は、何も関係ないのよ。関係ある影はねぇー、まず池に映る影とか、床にできる影とか、比較的、間接的ではっきりとしたものではないのが多いのよ。だから、さっきような障子にできた影なんかなんだよね」

「・・・・だから『影』じゃなく、こっちの『陰』を考えてもらうとわかりいいかもね」


「・・・・正樹、下手な講義のような説明だったけど・・・・どう。分かった?」

 正樹は、分かろうとしていたけども、全く分からない。だってさ、俺には見えなくても、お前には薄く見えるんだろう」


「ううん、君には見えないよ。そして、何も感じないのよ・・・・」

 綾子は自分で説明になっていないことを自覚しながらも、また異なる例を話し出した。

「夕暮れの薄明かりの中で、ガラス張りのブティックの外にいるとしよう。すると、そこにいる人間は、夕暮れの薄暗い光に照らされて、ブティックの窓ガラスに映る。そして、同時に、ブティックの中の風景も、ガラスを通して飛び込んでくる」

「つまり、ブティックの窓ガラスには、外の風景と中の風景が重なって映るんだよ」

「・・・・そおー、そのときに映らない人やものもあるのよ・・・・また、映れない人やものもね?」

「それから、また、腕だけ映らないとか、足だけとかもいるのよ。その人自身は、あまり注意していないから分からないけど、夕暮れで光りが弱すぎて見えづらいからね」


「ふーん、つまり、綾子の見る世界は、夕暮れのガラスに見える風景か・・・・」

「そうね、たまたま変なものが見えるときがあっても、特に何も言わないし、触れないようにしてるのよ・・・・もし、本当のことを言ったら、それはそれで、面倒くさいことになるじゃない・・・・」

「たしかに、そんなこと言ったら。まず信じない奴がほとんどだろうな。そして、次に激怒するか、絶望にさいなまれるかで・・・・そして、その後何をするか分からないぞ・・・・」

「ちょちょちょっと・・・・ところでお前こんな変な力いつから意識してんのよ」

「うううん・・・・後でね、ゆっくり話すよ」


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