第5話:あなたの微笑みが、罪になる

王城の大理石の回廊に、控えめな足音が響く。


私は人目を避けるようにフードを被り、そっと中庭へと足を運んでいた。心臓が高鳴っている。

理由は分かっている――また、彼に会うからだ。


東の庭園、あの泉のほとり。

前回と同じ場所。まるであの日を繰り返すかのように。


けれど、心の在り様は変わっていた。


今の私は、彼をただの「救い主」として見ていない。

もっと……浅ましく、愚かに、求めてしまっている。


その人が誰のものであるかもわかっているのに。


白薔薇のアーチをくぐった先。そこに彼は、すでにいた。


いつものように背筋を伸ばし、泉の水面を見つめていた彼は、私の気配にすぐ気づいた。


「来てくれて、嬉しい。」


その微笑みに、胸が締め付けられる。


「……あなたのその顔、ずるいわ。」


言葉はとげを持たせたつもりだった。けれど、彼は少しも動じず、ただ穏やかに私を見つめる。


「君はいつも、強がる。でも、もう少し甘えてもいい。」


「甘えたら……きっと、戻れなくなる。」


私は彼の横に並び、泉を見た。

水面に映るのは、私と彼。罪と許し。運命と選択。


「セレスト様、あなたは……後悔しないの? 私とこうしていることを。」


「後悔はしない。だが、確かに――怖くはある。」


彼の横顔が、少しだけ影を落とす。

完璧で、冷静で、誰にも心を許さなかった彼が……今、私の前では、ただのひとりの青年のように見えた。


「君を守りたいと思った。でも同時に、自分が壊れていくのもわかる。」


「壊れても……いいの?」


私の声は震えていた。

これは希望ではない。ただのわがまま。

でも、口にせずにはいられなかった。


「君がそばにいるなら。」


その一言に、私はもう、耐えきれなかった。


――ほんの数秒。

私は彼の胸に額を預けた。


彼も驚いていたはずなのに、何も言わずに、そっと手を背に回してくれた。


やわらかな沈黙。禁忌のぬくもり。

許されるはずのない感情が、確かにそこにあった。


どこかで、風が吹いた。

薔薇の花びらが一枚、私の肩に落ちる。


私は目を閉じた。


せめて、今だけは。

誰にも知られないまま、ただこの瞬間を生きていたい。


罪であることは、分かっている。

けれど、彼の微笑みは、私にとって救いだった。


そして同時に――

その微笑みが、最も重い罪になるのだと、わかっていた。

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