第4話:彼女の視線、私の罪

午後の講義室には、静かなざわめきが広がっていた。貴族子女たちが着席する中、私はひときわ離れた窓際の席に腰掛けている。誰も私の隣には座らない。それが、いつものことだった。


講義の内容など、頭に入ってこない。

胸の奥で、昨日のセレストとの会話が繰り返されていた。


「君には、自由になる権利がある。」


あの言葉が、心に刺さって離れない。


私はこれまで、「悪役」として振る舞うことでしか、生き残れなかった。貴族社会の中で、周囲に警戒されながらも立場を保つには、冷笑と高慢な態度が必要だった。


でも、セレストはそれを否定しなかった。ただ、私の内側を見ようとしてくれた。


……それが、どれほど恐ろしいことか。


「リディア様、ごきげんよう。」


不意に、柔らかい声が降ってきた。私は条件反射のように顔を上げる。


彼女――ミレーヌ・ヴァン・レイチェル。

侯爵家の令嬢であり、この物語の正ヒロイン。天真爛漫で無垢、そして……私の“仮想的”な敵。


だが今、彼女の瞳には微かに、訝しむような光が宿っていた。


「昨日は、どちらにいらしたのですか? ずっとお見かけしなかったので……」


彼女の問いは何気ないもののようでいて、確実に核心を突いてくる。


私は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに微笑みを浮かべた。


「少し体調を崩していただけよ。お気遣い、ありがとう。」


「そう……それなら良いのですけれど。」


ミレーヌは笑った。いつも通りの笑顔。だが私は知っている。その笑顔の奥に潜む直感の鋭さを。


彼女は気づき始めている。私とセレストの間に、何かあることを。


講義が終わり、生徒たちが次々に部屋を出ていく中、私はひとり残った。


椅子に座ったまま、指先でペンダントの感触を確かめる。

彼がくれた、蒼い護符。


罪だ。

私は、彼を想ってしまっている。


――ヒロインの婚約者を。


誰にも許されない。知れたら、終わる。

それでも、心は抗えない。


彼といると、私は“リディア”でいられる。

物語の役割ではなく、誰かの演出でもなく、ただの“私”として。


「どうして……あなたなんかに、惹かれてしまったの……」


自分に問いかけた声は、静かに消えた。


だが、その疑問に答えはなかった。

感情は、いつだって理屈よりも先に動く。


その夜、私はまた夢に彼を見た。

手を伸ばしても届かない場所にいて、それでも微笑んでいる彼。


届かないと知りながら、私はその夢にすがってしまった。


――いけないと分かっていても、恋は始まってしまったのだ。

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