七、
その日、私たちは〝依頼〟を終え、海辺にいた。
緩やかに空気が動いていた。
潮のにおいが、まだ夏の名残を引きずっている。
けれど、肌に触れるその感触には、どこか秋の輪郭が混ざっていた。
寄せては返す波は、岩の合間に白く泡立ち、やがて砕け、静かに引いていく。
時間の粒が、そこに滞っているようだった。
私は、岩に腰を下ろして、靴を脱いだ。
足先をくるぶしまで海に浸す。
ひんやりとした水が、指の隙間を通り抜けていった。
トーゴは少し離れたところで、サンダルのまま波打ち際を歩いていた。
長袖をまくった腕の下で、小さな貝殻を拾いあげている。
ゆっくりと移動を続け、片手いっぱいになったところで、それを捨て、こちらへ戻って来た。
「イズミさん、さっきの依頼の子……なんか、あっさり消えたね」
「もう、誰かに見送ってもらうだけでよかったんだ。きっと。」
「でもなんか、見てて……僕は、ちょっとだけ、さみしくなったよ」
トーゴの声が風に流れて、すこし遅れて届いた。
「でも、自分のこと、見送ってくれる人がいるって、いいなって……」
私は返事をせず、波の音に耳を傾ける。
「イズミさんって、さ。自分が死んだら、誰に見送られたい?」
「そんなこと、考えたことない」
「僕なら、イズミさんに見送ってもらいたいけどね」
「相変わらず気持ちの悪いヤツだな」
「ひど」
——このやり取りも、もはや定型のように感じられていた。
だけど、口にした瞬間、わずかな沈黙が生まれた。
以前よりも、トーゴの声には〝重さ〟が出てきている。
もちろん物質としてではない。
霊としての輪郭が、前より濃くなっている。
そんな印象があった。
彼はまた波打ち際にいる。
足元に残った水の跡が、じわりと砂に染みていく。
彼の足は、その上に立っている。
——彼は、間違いなく、今。この世界に、〝存在している〟
そのあと、しばらくふたりで何も話さなかった。
——ただ海を見ていた。
風が吹き、雲が動き、陽が少しだけ傾いていく。
潮風の向こうに、少しだけ秋の匂いが混ざっていた。
帰り道、トーゴが言った。
「なんか最近、思い出す夢が多いんだよね」
「夢?」
「うん。断片だけだけど、同じ場所が出てくる。白くて、狭い部屋。ひとりで座ってるんだけど、壁の向こうから、誰かが喋ってるんだ」
「なんだそれ?悪夢?」
「……そうでもないけど、起きたあと、ずっと胸が重い」
「霊でも、夢見るんだ」
「たぶん。……思い出すって、こわいよね」
私は何も答えなかった。
海からは、まだ波の音がかすかに聞こえていた。
——それは、耳で聴くよりも、からだを突き抜けるほどの気配だった。
そして私はふと、この瞬間にも「何かが変わりつつある」ことに気づいていた。
トーゴは、少しずつ、こちらの世界に滲んでいる。
そして、私のなかにもまた、〝忘れていたはずの何か〟が、そっと浮かび上がろうとしていた。
——秋が近づいていた。
ほんの少しずつ、すべての色が静かに、深く、染まり始めていた。
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