第35話 自販機の神様
会社帰り、いつもの道。街灯の下に立つ、くたびれた自販機。すぐ横にはコンビニもあるのに、俺はなぜか、毎晩ここで缶コーヒーを買ってしまう。
カシャン。
微糖の缶が落ちてくる音。慣れ親しんだ響きだ。しゃがんで取り出そうとしたそのとき――。
「……お前、今日も“微糖”か……成長しねぇな」
……誰だ?
慌てて辺りを見渡す。人影はない。街灯の光がコンクリートを照らし、夏の夜の虫がジリジリ鳴いている。俺はもう一度缶を見た。
ぷしゅっ。
缶のフタが、勝手に開いた。そして――そこから立ち上る煙の中から、手のひらサイズの小さなオッサンが現れた。
「……マジかよ」
「そう、“マジ”だよ。ようやく俺に気づいたか、三年連続微糖マン」
そのオッサンは、煙をまとったまま宙に浮いていた。服装は昭和のサラリーマン風、ネクタイは曲がり、髪は七三。なぜか缶の底から湯気が立っている。
「誰……?」
「俺か? “自販機の神様”ってやつさ。厳密には“飲料選択指導霊”だけど、まぁ神様でいい」
「……はぁ」
状況が飲み込めず、俺はとりあえず微糖コーヒーをひと口すする。
「だから言ってんだよ、それが“成長してねぇ”って話だ」
「は?」
「いつも微糖。たまにはブラックに行け。あるいは、炭酸でテンション上げてみるとかさ。お前の人生、その缶と一緒で“ぬるい”んだよ」
ぬるい、とはなんだ。俺の勝手だろ。心の中でムッとする。
「俺はただ、味が好きで――」
「言い訳! それを選ぶ理由が“慣れ”になったら、人間は終わりだぞ」
ミニチュア神様が人差し指を突きつけてくる。思わず俺は後ずさった。
「いやいや、飲み物でそこまで言われる筋合いはないって……」
「ある。俺は、あらゆる人間の“選択”を見てきた。飲み物ひとつでその人の性格も、将来も、だいたい読めるんだ」
そう言って神様は、別のボタンを指差す。
「今日、お前が“オレンジジュース”を選んでたら、三駅先で運命の出会いがあった。ブラックを選んでたら、明日会社で上司に反論できてた」
「え、なにそれこわい」
「でもお前は“微糖”。現状維持、波風立てず、でもなんとなく不満。そういう奴が、何も変わらず三年後に“なんで俺はこのままなんだ”って嘆くんだよ」
そこまで言われると、さすがにムカついてきた。
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
「決めるのはお前だ。ただ――その自販機の選択が、お前の未来を決める。小さな“変化”に慣れろ。さもないと、大きな“後悔”に慣れる人生になるぞ」
神様は缶の中に戻り、煙のように消えた。俺は呆然と缶を見つめた。
……ほんのり、苦かった。
翌日、俺は違うボタンを押した。
炭酸のレモンソーダ。
カシャン、と落ちてきた缶を手に取ると、またフタがじわっと開いて、あの神様が顔を出す。
「……お。成長したな。ようやく一歩目だ」
ふっ、と笑って消えた。
口に含んだソーダは、思ったより酸っぱかったけど、なぜか心は軽くなった。
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