第34話 非通知

仕事から帰宅したのは、夜の八時を少し回った頃だった。

靴を脱ぎながらスマホを見ると、「留守電:1件」の通知。発信者は非通知。


(誰だよ、こんな時間に……)


タップした瞬間、耳を突き刺すようなザザ……ザッ……という砂嵐音。

その奥から、かすれるような声が、ひたすら繰り返していた。


「……さみしい、さみしい、さみしい……」


男とも女ともつかぬ声。機械が壊れかけたようなノイズまじりの囁きだった。

背筋が凍るような不快感が身体を這い上がる。


「ふざけんな……朝の六時? 俺寝てたぞ」


留守電の再生が終わると、データは自動で削除された。

非通知番号のせいで、着信履歴にも残っていない。

どこかの勧誘か、悪質なイタズラか──

そう思い込むことでしか、気持ちを落ち着かせられなかった。


シャワーを浴び、冷蔵庫の残り物で夕飯を済ませると、少しずつ緊張が解けていった。


だが──


布団に入る直前、スマホが震えた。


通知:新着メッセージ(差出人なし)


開くと、そこには一言だけ。


『さみしい』


指が止まる。履歴を遡ろうとした途端、スマホの画面が暗転した。


──ヒュゥゥ……


耳の奥で風のような音が鳴り、背中にぬるりとした空気を感じた。


咄嗟に振り返る。だが部屋はいつも通り静まり返っている。


「馬鹿馬鹿しい……もう寝よう」


布団をかぶって目を閉じるが、まぶたの裏にあの言葉が浮かぶ。

“さみしい、さみしい、さみしい”

耳鳴りのように、声がこびりついて離れない。


何度もスマホを確認し、通知がないことを確かめては、ようやく眠りについた。


翌朝。

カーテンの隙間から差し込む光が、やけに赤く感じられた。

スマホを手に取ると、また留守電通知。震える指でタップする。


「……さみしい……」


同じ声。だが、今度は続きがあった。


「……ずっと見てたのに……気づいてくれなかった……やっと……会えるね……」


録音が終わった瞬間、スマホが強制的に電源オフされた。


──コンコン


玄関のドアが二度、軽く叩かれる。


「……おーい、真一? 起きてるか?」


古川だった。

中学からの付き合いで、今日は昼から映画を観に行く予定だった。


「おう、待ってたよ」


ドアを開けると、古川はスマホをいじりながら、いつものように軽く笑った。


「さみしかったよ……」


「……は?」


言葉の意味が飲み込めない。

古川はくいっとスマホの画面をこちらに向けてきた。


通話履歴。

昨夜から今朝にかけての【非通知】発信が、ずらりと並んでいた。


「古川……昨日の…お前だったのか?」


「これ使えば、番号隠せんの。面白いだろ?」


笑いながら肩をすくめる古川。

だが、次の瞬間、声が低くなった。


「でもさ……こんなにかけたのに、真一、全然出てくれなかったじゃないか……」


古川の目が笑っていないことに気づいた。


「おい、冗談だろ……?」


「真一。お前……俺のこと忘れてただろ?」


「何の話だよ……」


古川はポケットに手を突っ込んだ。

カチャリ、と金属のぶつかる音。

見えたのは、鈍く光る刃物だった。


「中学のときさ……お前がみんなに俺のこと、変なやつだって言ったんだよ」


「そんな昔の話……!」


「ずっとさ……あれから俺…お前のこと嫌いだったんだよな……。」


顔が不敵に笑っていた。だがその目は、何かが壊れていた。


「許せなかったんだよ…」


古川が一歩踏み出す。


「……でも、やっとこうやって会えた。なあ、真一」


足がすくむ。声が出ない。


そのとき──


ピリリリリリ……!


古川のスマホが震えた。画面には“非通知”の文字。


古川がピタリと動きを止める。


「え……? 俺にも?……誰だよ……」


着信音が止まったその瞬間、玄関の奥から足音。


暗がりの中、もう一人の人影が現れた。男だった。見知らぬ顔。


その手にも、スマホが握られていた。


「……さみしい、さみしい、さみしいよ……」


そいつはぼそぼそと呟きながら、こちらに歩み寄ってくる。

視線は、真一ではなく古川に向いていた。


「おい……古川。探したぞ」


そして、懐から何かを取り出した。


鈍く光る刃物だった。


古川が、声を失ったように後ずさる。


真一はただ、その場から動けずにいた。


あの“さみしい”声は、まだスマホのスピーカーから微かに流れていた──

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