第2話 「青年 8月中旬 昼」
「私、小説家として生活したいの。」
は、はぁ。そうですか。
としか言いようがない。
彼女は確固たる意志を持った目で、机に肘を立て、手をギュッと握り締めながら言っているが、ついさっきまで存在も知らなかった人間の将来なんて心底どうでもいい。
「いいですね、頑張ってください」
最大限の愛想笑いをしながら僕は返事をした。
ああ、帰りたい。今すぐこの店から逃げ出してこの訳の分からない状況から脱したい。
「貴方、駅前の喫茶店に居たでしょ」
「よく気づきましたね」
「お母さんと話す前に、貴方が子供みたいにメロンソーダを頼んでるのが見えて覚えてたの、美味しいのは分かるけど恥ずかしくない?あれ頼むの」
おい。バレてるのか。最悪じゃないか。
「まあ、周囲の目は気にしないタイプなんで」
少し強がって答えた。大嘘もいいところだ。
「いいね、私はすごく気にしちゃう。人の意見、視線、言葉、言葉の裏、笑い声、批評、全て気にしてしまうの。昔はそんなこと無かったんだけどね、小説書き始めてからかなあ」
彼女は少し体を伸ばしながら言っていた。
「小説、どんなの書いてるんですか?」
出てくる言葉に語彙力を感じて、小説書く人と滅多に出会うことなんてないんだから。と思い聞いてみた。
ニヤリ。
その言葉を待ってました。と言わんばかりのしたり顔でカバンを漁り始める。
バンっと机の上に置いたのは、束になった作文用紙だ。
現代的ではないその作文用紙には、ビッシリと物語が書いてあった。とても丁寧な字だ。
丸文字を描きそうな見た目に反して、優美で読みやすくバランスのいい字をしている。
僕はその小説を手に取り、目を通し始める。
"私は貴方になりたい。
貴方のような言葉を紡ぎたい。
秋には、踏んだ枯葉を追いかけて、貴方の歩く道をついてまわりたい。
冬には、悴んだ指先を舌先でなぞり、冷たい肌を身体で感じたい。
春には、木漏れ日の下で貴方の横顔を眺め、目に焼き付けて忘れたくない。
そして夏には、溶けた貴方を私が啜ります。
品性もなく音を立て、口の周りを汚して、私は歯を剥き出して不器用な笑顔を作ります。
その時、私は報われるのです。
その時、私は誰かを救えるのです。
その時、私は貴方になれるのです。"
最後の一文を読んだ。
携帯の時計を見ると、2時間は経っていた。
僕が読み終えたのを確認して、彼女は笑顔でこちらを向く。
「どう?私の命は?」
「月並みですけど、凄い人なんですね。あまり本は読みませんが、面白かったです。特にラストスパートの部分、僕の知ってる感情では説明できない気持ちでした。」
彼女の笑顔はさらに凄いことになる。
ん〜!と小さく声を出しながら、足をじたばたしている。
「でしょ!私、いい小説書くでしょ!」
あまり自分で言うものでは無いかもしれないが、その通りだった。
最後まで読めたらいい方な僕からしたら今回は量が少ないとは言えども異例なことだった。
「でも、お母さんは認めてくれないんだよね〜。小説家として食っていけるのは1握りだ〜ってね。まあうちお父さんが昔バンドマンやってて、結婚してからもずっと売れないまま、フリーターとしてしか家庭を支えてくれなくてね。お母さんが正社員として働いてるのが家計のほとんどだったから、気持ちはわからないでも無いんだけどね。」
「でも、私は小説家になりたい。私の言葉を、世界に伝えたいの。」
なんて眩しい目なんだろう。
彼女はやりたいことが明確にあって、将来に希望を抱いてる。
僕は少しの嫉妬も感じたが、それより本当に才能があるのではないかという気持ちがあり、さっきと同じ言葉を、感情を込めて伝えた。
「いいですね、貴方なら出来ると思いますよ。頑張ってください。」
彼女はその言葉を聞き、ポケットから携帯を出した。
「ねえ!これからも書いたら読んでくれないかな!連絡先交換しよ!」
僕は流れるままに交換をした。
名前は"さくら"と記載されている。
「私は遠野桜って言います!亀井高校の2年生!桜でいいよ!未来の大文豪です!」
胸を張りながら自己紹介をしてきた。
そうか、名前も知らなかった。名前も知らない女の子の小説、心の中をじっくりと覗いてしまった。そう思った途端彼女と目を合わせるのが恥ずかしくなり少し俯きながら僕は
「菜月遥です、好きに呼んでください。新川瀬高校の2年です。」
「可愛い名前だね〜、遥くんね。覚えたよ、よろしくね!同い歳だしタメ口でいいからね〜!」
僕の方をバシバシ叩きながら言ってくる。ちょっとだけ痛いがそれより女子に触れ慣れてない僕は恥ずかしかった。
「うん、わかった。よろしく桜。」
これが、僕と貴方の始まりだった。
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