第2話 いいわけねーだろ

 閉め切ったカーテンの隙間から差し込む光に、私は完徹しきったことを悟った。


「学校……行かなきゃ……」



 一晩かけて描き上げた自分の"ガワ"は、正直に言って、傑作の出来だった。


 誰もが振り返るような、圧倒的美少女。あふれるほどの透明感。ぷるぷるの唇に、うるうるの瞳。

 それでいて、親しみのあるセーラー服。もしこの子が同じクラスに居たら……そんな妄想を掻き立てる、最高のビジュだ。


「会心の出来って、このことだな」


 妙な高揚感と達成感に包まれながら、ふらふらと階段に向かう。

 リビングに下りると、徹夜明けのあまりのボロボロの姿に、母が心配してホットタオルを持ってきてくれた。


「勉強頑張るのは大事だけどねぇ」

「違うの」


 ありがたく受け取り、目に当てる。じわじわと疲れが染み出てきて、あー、眠い。


 あくび混じりに、真実を告げる。

「絵、描いてただけ」

「そうなの」

 母は優しい声で私を包み込んだ。


「好きなことに夢中になれるのは、良いことね。でも身体は大切にして。無理しちゃだめよ」

「ありがとう、お母さん」


 母と父は優しい。別に過度な期待をかけてくるわけでもないし、圧をかけてくることもなかった。その優しさに救われると同時に、申し訳なさで彼らの目が見れなかった。


 その優しさが、嬉しいし、辛い。こんなに優しく大事にされて育ったのに、私は頭が良いわけでも、運動が出来るわけでも、人望があるわけでもない。何も成せてない。


 でも。

 俯いた心を、叩き上げた。

 今日だ、今日変わる。まだ何にも成せていない。まだってだけだ。これから成すんだ。


 人気VTuberになって、この子を育ててよかったって、そう思ってもらえるくらい、胸を張れる真人間になる。

 そう決意した私の心は、もう揺らがなかった。



「これってさ」

 放課後。岡野くんは当然のように私の机の前に陣取った。私がスマホに映した画像を見ると、じっと眺めることも、拡大してまじまじと見つめることもなく、ただ一言。


「本当にお前なの?」


 はっ、ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜????


 こいつ! Vのことをなんだと!!


 怒り狂う私に、岡野くんはまたも気付かないようだった。

 そりゃそうだ。だって微塵も外に出してないもの。ぶつかりたくない、こんな人と。こんなところで。


「俺がオモシレーって思ったのって、藤崎、お前のことだよ」

「は、はい?」

「でもこれはさ、藤崎じゃないじゃん」


 流石にブチギレ案件では、これは。


 前言撤回。

 私は上手く開かない口を懸命に動かして、反論を試みた。


「そんなの、VTuberなんだから当たり前……ですよね」


 岡野くんは「伝わんねーか」と頭をくしゃくしゃとこねくり回している。


 伝わらないよ。私だって、伝わんねーか、って頭をぐしゃぐしゃにしたい。一晩かけて、こんなに頑張って描いて、そっか、伝わんねーか。


「違ぇの! 本当にこれは、藤崎が伝えたい自分?」

「え……」


 伝えたい、自分?


「藤崎はもっとあんだろ、こんなどこにでもいるような奴じゃなくて、もっと秘めたる想い的なさ、あれ」


 岡野くんは必死に言葉を重ねていた。何かを懸命に、私に届くように、伝えようとしている。


 彼がそんなことをするような人には見えなかったから、驚いた。


 というか、他人にこんなに、必死な顔を向けられたことはなかった。

 必死に気持ちを向けられると、こちらも必死に返したくなる。そんな感情が湧くものなんだと、初めて知った。


 でも何を言ったら、何を返したらいいのか分からずに、ただ岡野くんを見つめることしか出来ない。


 岡野くんは軽い口調で重ねていた言葉をふと止めると、ぽつりと言った。


「好きなもの、とかさ。伝えねーの」


 伝える。好きなものを、伝える。


 そんなこと、思ってもいなかった。


 だって私の好きなものなんて、私が好きなものでしかない。他人に伝えようとしたところで、それを好きだと感じたのは私しかいないんだから、私しか分からない。


「現国の授業、見てましたよね。失敗したみたいなもんですよ」

「あれは……!」


 岡野くんは何かを言いかけてやめた。その目が真剣以上の熱を帯びていることに、私は気付いていた。しかし、気付いただけだった。


「でも、VTuberならって、思うじゃんか。てか、思えよ」

「こ、高圧的……!」

「んな強制してねーだろ」


 その真剣な目をしたまま、岡野くんは笑っている。


 私はどんな目をしているんだろう。


 岡野くんに、応えたい。

 そんな目をしているのだろうか。


「VTuberなら」


 絞るように声を出した。個人的に、一世一代の大勝負だった。


「伝わりますかね、私の、好きなもの」


 真剣な目は、彼が瞬いた瞬間、別の何かに姿を変えていた。


「伝わる」


 その声は、教室全体を震わせた。ように思えた。

 小さな、小さな肯定の声だった。


 私は「分かりました」と答えていた。気付いたときには、荷物を纏め、教室の扉を開けていた。


 彼を振り返る。逆光で表情が分からない。でも私が言うべきセリフは一つしかなかった。


「もう一回、描いてきます」

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