牧場 こむぎ栽培地

こむぎこ

王宮付法務部婚約課、破棄係

 破棄係なんて、面倒極まりない仕事だ。

 

「ですから、そこには愛情があったわけです」

 

 投げやりにならないように気遣うのもかったるい。


「アルテ様が急な婚約破棄を申し出たのも、急に現れた女性の影も、アルテ様が、婚約破棄の申し出に、マイナーな5をつかったことも、説明はつくのです」


 儀礼じみた言葉を二人に告げるのも馬鹿らしい。

 なにせ、二人同士でとろけるように見つめあっているのだ。恋はもうなんとやら、馬の耳に何とやら。まったく、話している相手の顔くらい見ろってものだ。

 ほんの少し前までこの二人が婚約破棄がどうのこうのと話していたのに。

 いまや周りにふりまく愛のオーラ。

 

「アルテ様が、フィーネさまの愛情を試していたのだとすれば、説明はつくのです」


 甘々しさにあてられたものの、職務を果たしてから退散するとした。


「最後に伺います。それでもあなた方は婚約破棄を選びますか?」


 答えなんかよりも、この後食べる新作ヨウカンの方がはるかに未知数だった。



 ∮

 


「つかれた……」


 センベイとリョク茶の傍ら、デスクに突っ伏す。

 徒労感だけが体にしみ込んでいた。今日ばっかりはお行儀よくなんてしていられるもんか、とわたし議会は満場一致。なんならもう定時ということにしてもいいくらいだった。

 

「……まったく。いつもにまして、だらしがないですよ」

 

 されど、コゴト室長からはチクチクした言葉ばかりが飛んできた。


「大事件のあとですよ? 今日くらい大目に見てくれてもいいじゃないですか」

「いつもかなり甘く見ているんですがね」


 ラテ茶を楽しみつつも言われてしまう。

 少しばかりむっとして「今日の案件、厳密には、室長の仕事じゃないですか?」

なんて愚痴をこぼしてしまったけれど、それも許されるはずだ。

 なにせ、先ほどまで、10年に1度と言っていいくらいの婚約破棄騒動案件の対応をしていたのだ。


 駆り出されたのはペーペーの私。

 二人きりの係で大事件に見合うのが、室長兼係長のコゴトさんか、私かなんて問うまでもない。立場だけじゃない、純粋な腕力としてもだ。


 コゴト室長は上級騎士あがりなだけあって、しなやかに鍛えられている。体はきっちりと筋肉でできていて、隙らしい隙もない。おまけに怒ったときの視線は人を刺せそうなほど鋭い。それはもう本当に。

 もめ事になったときに制圧できる武力としても、室長が適任だ。


「その点は申し訳ないのですが、あなたならできると信じておりました。それに、私にも別件がありまして」

 

 密やかに笑うように室長は告げる。


「別件、ですか?」

 

 よくよく見ればいつにもまして小綺麗にしている。衣服の織目にわずかな遊び心。彩られた宝石の類も、華美ではなくほのかに目に残る。妻帯者ながら文官女性に異様な人気なのもなんとなく頷けるというものだ。

 

「誰かと密会でもしましたか? うちの仕事じゃないですけど、離婚部署の仕事も増やさないでくださいね?」

「……まったく、少しは発言を弁えてください。貴方だって貴族なのですから」

「貴族になれと言われましても、ですよ? しきたりとか覚えられませんって」 

「あなたならできるでしょう。覚えてください」

「関連法規と先例の確認だけでおなかいっぱいです」

 

 話は終わりとばかりにリョク茶をすする。ほのかな渋みが疲れによく染みた。


「休むのもいいですが、せめて報告を終えてからにしてください。それで、特に問題なかったんですね?」

「なんだか恋人たちの甘々オーラにあてられたくらいで」

「そうですか……」

「だいたい、不思議だと思ったんですよ。婚約破棄の申し出に、破棄細則3条の5項を使うなんて。普通なら『相手が悪い』の4項じゃないですか」


 ぺらり、と手帳を広げる。

 そこにあるのは、ここにきてから書き溜めた要点のメモだ。


【貴族血縁法】

第4条 婚約の破棄は両家の合意によってなされるものとする。

第5条 別に定める諸規則により、婚約の維持が適当でない場合は前条の限りではない。

 

【婚約破棄細則】

第3条 両家の合意以外によって婚約破棄ができる場合は下記による。

(中略)

4.婚約者の振る舞いが、現在、または未来にわたって、格別に自身、親類および子孫への悪影響があると判断される場合。

5.自身の振る舞いが、現在、または未来にわたって、格別に婚約者、親類および子孫への悪影響があると判断される場合。


 要するに、破棄は両家で合意の上でにしろ、目に余り過ぎる場合は破棄係の判断による、という原則だ。こんなのが作られたのも、ずっとまえの王子が横暴にも婚約破棄を繰り返したからに他ならない。


「愛が故、相手の愛を試さずにいられない、みたいなお話で、もうメイドも私もしらけっぱなしでしたよ。そんなことのためにどれだけの手間を!!」


 ばり。ぼり。むしゃり。

 思い出した甘々なオーラに負けてせんべいの塩気が捗る。

 室長からの刺すような目線は無視をした。いつも甘いものは太ると言わんばかりの目線なのに塩気のあるものにまでそんな目線をしないでほしい。


 報告終わりとばかりにあらたにリョク茶と新作ヨウカンを用意した。

 いざ実食、そんな間際に。

 

「邪魔をする」


 声が響いた。


 ∮


 声の主はノックもなしに、自分の庭のように入ってきた。


 綺麗な青い目。純粋さの結晶みたいな目だった。肌も、髪も、滑らかに手入れがされていて上品さを映し出す。服も室長以上に上質なものに見えた。


 はて、いったいどなただろうか。顔見知りの業者ではない。どこかからの使いにしては立派過ぎる出立ちだ。

 わからないものの、自然と体は動いた。


「ようこそおいでくださいました。ご用件を承りますので少々お待ちください」


 カウンターに立ち上がるついでに、ヨウカンとリョク茶をそそくさと片付ける。あんまり暇そうだと思われると余計な仕事が舞い込んでくる気がして、隠そうとし――


「ヨウカンか、いいものを食べているな」


 ――たが見とがめられる。ただ、言葉に悪意はなかった。


「はい。実家が仕入れているもので、私もお気に入りなんです」


 ——なんだ、いいやつじゃないか。だいたい王宮にはヨウカンを咎めるけしからんやつが多すぎるんだ。室長とか。室長とか。


「ご実家か、名前は確か……」


 名乗るよう促されてようやくヨウカンの証拠隠滅かたづけどころじゃないことに気づく。


「名乗りが遅れ、失礼いたしました。レナ=フェリシアと申します。以後お見知りおきを」


 修練不足のカーテシーもどきで挨拶をひとつ。

 彼は鷹揚とした笑みを返して、言葉を続けた。


「フェリシア。噂はかねがね。……ところで、今は休息中かな。少し暇はあるだろうか」


 僅かな間に、いいやつカウントは消え去ってしまった。

 嫌な言葉が原因だ。少し暇はあるだろうか?? そんな仕事の匂いをさせないでほしい。それに、お茶を飲んでいたくらいで暇とみなされても困る。だいたい、さっき大仕事を片付けたばかりなのだ。新しい仕事など言語同断。

 ……ゆえに、これは単なるお茶ではなかったと、言い張ることに決めた。


「……休息中に見えたかもしれませんが、これも職務の一環です」

「職務」


 まじまじとくりかえすところに、重ねて訴える。


「はい、職務です。——貴方様は、婚約破棄細則をご存じでしょうか」


「ああ、知っている」


「何度か改定をされていますが、大きな一つが、イニシエ家騒動によるものでした」


 頷きを受けて、話を続けた。


「かつて、イニシエ家の令嬢……イニシエ嬢は奔放でした。家の財を高級ラテ茶で使いつぶすほどに」


 豪奢、贅沢、所有欲。そういうところだ。


「あまりの奔放さにみかねた婚約者が中心となって改訂したのが、婚約破棄細則、第3条第4項……行き過ぎた行為の婚約者との婚約破棄を認めるものです」


「たしかこの部屋の発足にもかかわっている件だな。以降も重要な規範になっていると聞く。それと、どうつながるんだ?」


 なかなかどうして詳しい。婚約間近なものを対象に、婚約破棄の教育をすることはあれど、ここまではあまり話さない。関係者でもなしに、ここまで経緯を知っているのは稀有だ。


「例えば、あまりの行いとはどのようなものをさすのでしょうか」

「ラテ茶をはじめとした散財だろう? 行き過ぎた豪奢と理性不足、か?」

「おっしゃる通りです。ですが、今のご時世、ラテ茶で家を傾けることはできません」

「そうか?」


 疑問符の客人に、がさごそ、と資料を取り出す。


「当時とは価値が違います。昔は金貨2枚で1杯分の価値でしたが……今はせいぜい銀貨3枚程度まで落ち着いています。」


 いつかコゴト室長と何なら経費で出せるか考えていた時に試算したデータだ。没になったけれど、存外、役に立ってくれる。

 お客人がふむ、と頷いたところに、私は締めくくりの言葉を重ねた。


「私たちは、基本的には同じルールを適用し続けています。中にはこうして、制定当時と贅沢の概念が変わっていることもあります。贅沢とは何か。どこから『あまりの』ものとなるのか。判断には、勉強も欠かせません。

 だからこそ、あのリョク茶やヨウカンも実践的な勉強の一つ、というわけです」


 客人は、納得してしきりに頷いていた。


「熱心な方だ……」


 でっち上げた部分もあれど、納得いただけたようで何より、と少し安堵しているさ中、客人は手を掴んできた。


「朝、コゴトに依頼したんだが、のらりくらりとされてしまってな……だが納得した」


 透きとおった目で、純粋なほどに見つめてくる姿。

 ただ、なにかが、おかしかった。

 ……コゴト。コゴト?

 室長を呼び捨てにできるなんて、そうそういないはずだ。


「さては、君に頼むのが正解、コゴトもそう言いたかったんだな」


 わからない。わからないけれど、手を打たなければいけない気がして、言葉を探す。


「ええと」


 されど、客人の言葉の方が思い切りが良く響き――


「フィルガンド王国としてレナ=フェリシアに命じる」


 

 ――聞きたくない言葉は、続けられた。


 「不審婚約破棄案件を調査してくれ」

 

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