第7話

 石造りの壁に囲まれた一室。

 窓のない幽閉部屋は、昼でも薄暗い。蝋燭の火が、壁にうごめく影を映すばかりだった。


 セイラ・アルミリアは、膝上に薄い刺繍布を乗せていた。

 それは何度もほどいては縫い直された、百合の花模様の布。王国リュミエールの王家に伝わる紋章だ。


(……もう、何度目でしょう)


 指先が小刻みに震える。針が布から外れ、右手の親指に突き刺さった。


「あ……」


 赤い雫が、白布にぽたりと落ちる。

 その瞬間だった。


 ──ギィ……。


 扉の向こうから、小さく軋む音。

 普段の看守たちのものとは異なる、異様に静かな足音が近づいてくる。


(違う……?)


 息を殺すセイラのもとへ、扉の向こうから声が届いた。


「ご機嫌麗しゅう、王女殿下」


 低く、粘つくような声。


 名乗りもせず、誰かも明かさぬまま、その声の主は言葉を続けた。


「私は、帝国の“改良”を志す者のひとりです。……失礼、名はまだ伏せさせていただきましょう」


「……何の用です?」


 セイラの声は冷え切っていた。だが、声の主は臆する様子もなく笑った。


「王女殿下。リュミエールは滅びた。だが、あなたにはまだ“使い道”があるのだよ」


 セイラは目を細めた。


「……私に、何をさせたいのです?」


「我らと組みましょう」


 その言葉に、セイラの背がこわばった。


「帝国に仕えるのではなく、帝国を動かすのです」


 言葉を切って、わざとらしい間を置く。


「……あなたの存在は、民の信を集めている。リュミエールの民、そして帝国の中でもあなたに同情を寄せる者は多い。レオン・ヴィルヘルムとて、そのひとりでしょう?」


 その名に、セイラの眉がぴくりと動く。


「……騎士は関係ありません」


「おや……では、彼を奪われても、痛くも痒くもないと?」


「…………っ」


 扉越しの気配が、じわりと嘲笑を含む。


「あなたは、騎士すら奪われた。哀れなことですな。幽閉され、民から切り離され、信じた忠臣は帝国に取り込まれ……もはや何も残ってはいない」


「……失礼な物言いですね」


「むしろ礼を尽くしているつもりですが」


 そして、声の主は囁くように続けた。


「あなたが我らと手を組めば、リュミエール王国を“復活”させるのも、やぶさかではありません。条件はありますが……あなたの“名”と“正統性”が必要なのです」


 セイラは唇を噛んだ。


「この帝国を打ち倒すつもりですか?」


「打ち倒すというより、“刷新”するのです。もはや国王は狂気の人。王家の血脈など、民にとって意味を持たない。必要なのは、民が信じる“象徴”――あなたです」


 何という皮肉か。自分を滅ぼした帝国に、その身を“利用”されることを求められるとは。


「……考える気はありません」


 静かに、だがはっきりとした口調で、セイラは言い切った。


「私は、命を捧げるべき王国をすでに喪いました。これ以上、信念を偽るつもりはありません」


 沈黙。


 やがて、声の主は短く笑った。


「……なるほど。流石は“王族”といったところか。だが、あまり頑なでいると……次に手を差し伸べる者はいなくなるかもしれませんよ」


 扉の向こうから足音が遠ざかる。


「いずれ、選ぶときが来るでしょう。信じた者の背が離れていく、その日が」


 ギィ……と扉の隙間から、小さな紙片が滑り込んできた。


 セイラはそれを拾い上げる。

 そこには、こう書かれていた。



 〈時が来れば、扉は開かれる〉

 ――その時、誰の手を取るかは“あなた”次第



 セイラはその紙片を見つめ、しばらく微動だにしなかった。

 だが、やがて深く息を吐き、手の中で紙を静かに丸めた。


 それを蝋燭の火にかざすと、小さな炎が燃え広がり――やがて灰になった。


「……私は、利用されるために生き残ったわけじゃない」


 その声は、炎よりも静かで、けれど芯のあるものだった。

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最強の兵士、国が滅んだので、敵国のお姫様に飼われることになりました 夜道に桜 @kakuyomisyosinnsya

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