第25話:君臨する闇(後編)――憑依
はあ……と、かすれた低いため息が響く。
目を開いたとき、気づけばネイロンは玉座のひな壇に立っていた。
オーグストに抱きとめられながらも、マーティは彼を凝視する。
彼の銀の髪は血のように赤く輝き、その顔には黒い血管がびっしりと浮き上がっている。
その様相は異様で――まるで、魔物を思わせる姿だった。
「ネイロン……?」
スフェルが呆然とネイロンを見上げる。
ネイロンは一歩後退し、胸に手を添えると
「……ここまで私を連れてきてくれて、感謝するよ。マーティ」
「ネイロン、無事なのか!? その姿は……」
「私はいたって平常だよ。スフェリウス……むしろ……とても気分がいい」
スフェルの声に応えながら、ネイロンは、うっとりと両頬に手を添えた。
その様子は普通ではなく、マーティは言いようもない胸騒ぎをおぼえる。
「……魔王は私に素晴らしいことを気づかせてくれた。今まで機会をうかがっていたが、この力でそれがようやく果たせそうだ」
愉快そうに喉を鳴らすネイロンは、両手を背に組みながら、その場をゆっくりと歩き回った。
「機会……? なにを言っているんだ、ネイロン!」
「お前の知りたかったことを教えよう、スフェリウス」
スフェルが、意図を探るようにネイロンを見つめる。
ネイロンの黄金の瞳が、遠い過去を思い出すように揺らめいた。
「私はある貴族の家に生まれた。完璧な家族、豊かな領地、なにもかも揃っていた。……だが、家族は賊に殺された。母も、父も……」
最初こそ笑みを浮かべていたネイロンだったが、語っていくうちに笑顔は険しく歪み、憎悪を込めた口ぶりになる。
「弟は、私の目の前で……。言葉を覚えたばかりの幼いあの子に、奴らは情けさえかけなかった!」
彼の悲惨な生い立ちを知らなかったスフェルは目を瞠っている。
普段は穏やかなネイロンが秘めていた壮絶な過去に、マーティは言葉が出なかった。
「領地は王家預りとなり、今は危険な魔物の住処となっている。――それでも、いつか復興を夢見ていた」
ネイロンが天を仰ぐ。
その視線は理性的で、切なげで、一瞬、もとの彼が戻ったかのように感じるほどだった。
「宰相の口添えで、私は上級の王宮魔術師になれた。彼を恩人だと思っていたよ。だが――あるとき、偶然知ったのだ。私の家族を奪った賊は、宰相が差し向けたものだった。彼は、自身の政策に反対する父を目障りに思ったのだ……! 王家が封じた禁忌のすべで、私から全てを奪った!」
「まさか、それって――」
カルレイヴが生み出した禁呪。
現代でもそれが使われていて、ネイロンは、その被害者だというのか?
息を呑むマーティを前に、ネイロンは愉しげに笑った。
「魔法優位主義だった我が家は優秀な人間が多くてね。結界で守られた領地にもかかわらず、賊の侵入を許すなど、幼いながらもおかしいと思っていた。国に従事する私は真実を知り、苦悩したよ。……渦巻く疑念の中、魔王は私に『答え』を与えてくれたのだ。復讐は――甘美なものだと……!」
彼の目がうっとりと細められたかと思えば、ぎろりと憎悪を込めた色に染まる。
「――私から全てを奪ったラヴェリアを滅ぼす。欲望と権力に溺れた宰相も、役立たずの傀儡の王も、必要ない。この世界は、弱者が踏みにじられ、真実が隠蔽される場所だ。……私から全てを奪ったこの世界など、残しておく価値もない……!」
ネイロンが唸るように告げると、彼の周囲で闇の波動が蠢いた。
憎悪に歪むその形相に、マーティは、魔王の思念体が彼の精神を支配しているのだと確信を得た。
冷徹な視線を向けるネイロンに、スフェルが鋭く視線を浴びせ、剣を構える。
「私に刃を向けるか」
「俺がお前を傷つけられないとでも思っているのか。お前に取り憑いた闇など、俺が叩き出してやる」
笑っていたネイロンは、スフェルの視線を受け、一転してつまらなそうに表情を変えた。
「……そういえば、お前は弟に言っていないことがあったな。たとえば、お前の両親が、なぜ命を落としたのか……」
「――ネイロン!」
その言葉に、スフェルの顔から血の気が引いた。彼は剣を落として、膝から崩れ落ちる。
誇り高い兄の突然の降伏の姿勢に、マーティはうろたえる。スフェルは顔色を変え、浅い呼吸を繰り返しはじめた。
「……ネイロン、頼む。マーティの前で、それだけは止めてくれ。……お願いだ」
「なんのことだよ。……なにを言ってるんだ、ふたりとも!」
「はははは!」
混乱するマーティを尻目に、ネイロンは「涙ぐましい家族愛だな」と目元を押さえながら笑った。
「しっかりしろよ、スフェル!」
マーティは声を張り上げた。スフェルは今まで見たこともないほど怯えきっている。
その様子は、まるで精神を魔王の闇の力で侵食されているようにも感じた。
抗うマーティのその姿に、ネイロンは笑いをおさめる。
「……マーティ。お前には言っていなかったが、ドワーフがこの町の祠に残した記述には、聖銀が光の力を引き出すという情報の他にも、実は面白い情報があったのだ」
苦しげなスフェルの両肩を支えつつ、マーティはネイロンを見上げる。
オーグストは、彼らを背に隠す形で前に立ち、武器を構えた。
「……どうやら、始まりの聖者の仲間のドワーフは、聖者の思惑とは別に、魔王の支配を試みていたようだ。そして、ひそかに、その技術の一部を王家に託した……とも」
ネイロンの話に、マーティはハッとした。
――あの時、ネイロンはそんな情報を得ていたのか?
「たとえ光の資質を持つと言っても、国に選ばれた時点では、お前は魔王を滅ぼすすべを持たぬ一般人。……国がお前に魔王の討伐を任せると、本気で思っていたのか?」
いっそ哀れだ、と言いたげにネイロンは視線を向ける。
「宰相の本来の目的は、お前が持つ『言霊』で巡礼路の扉を開かせ、クロンに聖なる力を必要なだけ集めること。そして、その特別な力を持つクロンを用いて魔王を支配し、兵器として利用することだ」
「――王がそのようなことを許すはずがない……!」
「はっ……。まだ、あの操り人形を信じているのか? 王はなにも知らぬまま、宰相に利用されているに過ぎない。お前も違和感を感じていたはずだ」
半ば正気を取り戻してスフェルが反発するが、ネイロンは彼に対して冷徹な態度を保ったまま接した。
そして、言葉の刃を突き立てるように、彼は続けた。
「国は我々に雀の涙ほどの路銀しか渡さず、聖剣の力が己の制御を離れること、あるいは勇者自身が想定以上の力を持つことを恐れ、すべての祠の場所を教えなかった。――まるで厄介払いとばかりに、私たちを王都から追いやったではないか!」
怒気を込めたネイロンの言葉に感じるものもあったのか、スフェルは押し黙る。
ネイロンは、表情をおさめて笑みを浮かると「はたして、王としての役割を果たせていると言えるのか?」と告げ、マーティを横目で見た。
「……お前が覚醒し、魔王を討伐できたなら、それはそれで都合が良い。ラヴェリアは聖なる勇者を擁する国として名を馳せ、平和を謳歌するだろう。だが、もしお前が失敗し、魔王の手に落ちるようなことがあれば……」
マーティの背筋にぞっと震えが走る。ネイロンは恍惚とした表情で、自らの手を見つめた。
「光の資質を持つ
そう彼は笑い、彼はゆっくりと手のひらを顔の高さまで持ち上げる。
「そして――残されたもうひとつの記述は、腐敗した王政が再び暴走し、聖剣を不正に利用することがあったときのための『切り札』……」
ネイロンが不敵な笑みを浮かべて手招きすると、彼が生み出した闇の手がクロンの刃を掴んだ。
光を帯びた刀身が闇に抗うように明滅する。マーティは懸命に柄を握り、その力に呑まれないようにした。
「――それは、聖剣を破壊するすべだ」
呪文を唱えるネイロンが、手招きした手で拳を作った途端、クロンにひびが入る。
マーティが驚愕に表情を変えた途端、刀身が真っ二つに破壊された。
輝きを失ったクロンの一部が、床に散らばる。
マーティは、それを呆然と眺めることしかできなかった。
「よかれと思って残したものが、逆に相手を窮地に追い込む。皮肉なものだな」
彼が手のひらを広げると、闇の手も同じように広がり、光を失った刃を床に落とす。
「スフェリウス。お前は私と共にいてもいいが……マーティ、オーグスト。魔王は、お前たちの魂の匂いが好かんらしい」
その言葉に反応し、スフェルが顔を上げる。
オーグストは戦闘の姿勢を保ったまま、ネイロンを睨んだ。
「クロンのないお前など、無力も同然。――大いなる闇の力に屈するがいい!」
ネイロンが両手を広げ、闇の力を解き放った。
強大な闇の波が襲いかかり、怯みそうになる中――マーティは、歌の旋律にも似た詠唱を唱えた。
カルレイヴの記録を読みとったとき、彼から授かった術だ。
記録の中のカルレイヴは、この術を授ける際、触媒を使っていなかった。
つまり、これは触媒を必要としない、言霊由来の術だ。
希望と鼓舞をする旋律に、光を帯びた旋風が巻き起こる。
闇の波動は守りの術に弾き飛ばされ、天井を貫いた。巨大な風穴が空き、玉座の間にガラガラと屋根や瓦礫が崩れ落ちる。
「――小賢しい真似を!」
ネイロンが爆発するような魔力を闇に込めれば、風穴の空いた天井から見える灰の空は、どす黒い邪悪な色に染まった。
彼の繰り出す闇の手は増え続け、マーティたちを確実に呑み込もうとしている。
迫りくる闇は不安感を煽り、少しでも気を抜けば、くじけそうになる。
マーティが守ろうとする仲間に目をやれば、彼らは負の波動に当てられたのか、その目は暗く濁り、どこか遠くを見ている。
(――オーグスト、……スフェル……!)
仲間の様子に動揺し、マーティの舌がこわばる。
その隙を突くように、ネイロンの闇の手が彼を捕まえた。
魔法を使った経験も、技術も、マーティより数段上のネイロンに叶うはずもなかった。
高く笑うネイロンの声が、遠くから聞こえるもののように感じる。
マーティは、襲い来る闇に呑みこまれながら、意識を手放した。
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