第24話:束の間の休息(前編)――甘い時間
本屋の片隅には吟遊詩人と始まりの聖者の創作を取り扱ったコーナーがひっそりと存在していた。
二人の歴史について書かれていると手に取った人間は、そこに描かれたふたりの濃密な描写に赤面すること必至だろう。――そう、俺のように。
驚いて本を閉じて、それをベッドに置く。
二十六ページ目で、硬派なタイトルからは想像もつかないことをふたりがし始めて、マーティは思わず表紙を二度見したほどだ。
サブタイトルは驚くほど長く、そして細かな字で書かれている。
こんなの、ぱっと見で分かるわけがない。
不意にオーグストが脇から現れ、ベッドに置かれた本を手に取った。
「吟遊詩人と聖者について。俺の相棒だと思っていた吟遊詩人がいきなり――」
「……いいから」
マーティはため息を吐く。
サブタイトルまで細かく読み上げるオーグストに言い返す気力もない。
「なんだこれは、欲求不満なのか?」
「歴史を学ぶつもりが、間違えたんだ」
オーグストの手から本を取り上げ、マーティは彼から遠ざけるように改めてベッドへ本を置いた。
「下手な言い訳だな」
淡々と嘲るオーグストを、マーティは呻きながらベッドから立ち上がって、無視する。
現在、彼は魔道具をテーブルに置いており、マーティの心を読むことはない。
オーグストの勘違いを正したい気持ちもあったが、彼との等身大な会話は心が弾むものがあった。
それにしても、こういう本を読んでいるのが欲求不満な人間ばかりだと思うのは、大きな間違いだ。
とはいえ、オーグストはサブカル的なものを好む層から程遠い人間だろう。
引きこもってパソコンばかり眺めていたヒナタ的な観点から見ると、対極の存在に思える。
ここが地球なら「草が生える」と言えば、なにを言っているんだと言わんばかりに「屋内で?」とでも返されそうだ。
「マティアス」
マーティが部屋の中をうろうろしていると、オーグストがマーティのベッドに座り、自身の膝を軽く叩いた。
その仕草の意味が分からず、マーティは彼の様子を伺う。
オーグストが手招きするので近づけば、彼はマーティの腕を引き、自身の膝の上へといざなった。
ここにきて、マーティは異変に気づく。
「オ、オーグスト、なんなんだよこれ」
腕を引かれて素直に膝に座ったが、なにかが違う気がする。背中越しにオーグストの体温を感じて、緊張感が一気に高まった。
「なに、お前が俺を意地悪だと言ったから、挽回しようとしているだけだ」
「でも、これは、ちょっと違うだろ」
オーグストの鼻が、肩口へ密着する。
首筋に口づけを落とされ、その甘さに、マーティの身体がかすかに跳ねた。
彼の腕がマーティの身体を交差するように抱きとめると、それはマーティの二の腕へまわり、マッサージでもするように撫でつける。
あまりにも親密で優しい手つきに耐えきれず、マーティの身体は過剰に熱を帯びた。
そんなマーティに、オーグストが、ふと囁く。
「優しくて甘やかしてくれる人が好みだと、お前が言ったんだろう。……次はお前のためにリュートでも弾こうか? 酒場では、どうもお気に召したようだからな」
「う――うわああああ!」
不本意な暴露の件を掘り起こしたかと思えば、オーグストは甘く優しい声で、情熱的な口説き文句を囁き始める。
羞恥が最高潮に達したマーティが思わず声を張り上げると、オーグストが鼓膜をやられて思わず顔を背けた。
そして「いきなり大声を出すな、馬鹿が」と優しさの欠片もない悪口を浴びせたのだ。
「あああ、あのときのあれは、俺は不本意で、というか、酒場の時の――聞いてたのかよ! そ、そんな、悪趣味な……」
――そういえば、あの時は見事な演奏にときめいて、彼のことを格好良い、とか思ってしまったような。その直後に、オーグストが反応していたような。
どもりながら言い訳すると、オーグストが、かすかに笑いながらマーティの口を塞いだ。
そんな動きに、はじめこそ抗議を続けようとしたが、次第に流され、マーティはオーグストの腕に手を添え、彼の身体に体重をかけた。
オーグストは、不意に長く甘いキスを止め、マーティを観察するように、じっと彼の表情を眺める。
その目は優しかったが、どことなく挑発的で、なにか企んでいるような色も感じた。
「……鏡石は、お前の好みの続きを言おうとしていたようだが、なにを思っていたんだ」
「も、もういいだろ、その話は……」
なんでそんなに知りたがるんだ。俺のことは、散々心を読んで知ってるだろう。
オーグストに無言でそう主張するが、彼が折れる気配は、ない。
なんて欲張りなんだ。
マーティは、根負けしてため息を吐いた。
「……優しくて、甘やかしてくれるのも、好きだ。でも、俺は……」
自分が、我儘を言っているような気がしながらも、マーティは告げた。
「対等な関係を保てる人が、いい。……お前と、対等になりたい」
一方が相手を萎縮させ、一方が相手を奉仕する、いびつな関係だったヒナタの父と母。
長年彼らと生活をともにした記憶は、マーティの思考に暗い影を落とした。
対照的に、マーティの両親は互いを支え合う人々だった。
それぞれ欠点があっても相手を補い、喧嘩をして言い合っても、最後には笑って抱きしめ合う。
まさに対等で、マーティの理想の関係だ。
「なるほど」
オーグスト相手に「対等」だなんて、生意気に感じただろうか。それでも、望んでしまう。
自信なさげな表情でマーティの思い感じとり、オーグストは、彼を抱きしめる腕の力を強めた。
突然、オーグストからの強い抱擁を受け、マーティは、わずかに声を漏らす。
「そんなささやかな望みだけで満足なんて、俺の相棒は随分と慎ましいようだ」
相棒。その響きの甘さに震える。
――魔道具もないのに、なんで俺の言って欲しい言葉が分かるんだ。
唇が、塞がれる。
望みが叶いすぎて、自分が本当に我儘になった気分だ。
親密過ぎるやりとりに、頭がくらくらした。
――せめて、自分もオーグストに応えたい。甘い言葉を返したい。
マーティはそう感じて、上目遣いで彼を見た。
「オーグスト……愛してる」
ふとキスをやめて囁くと、オーグストが、心底嬉しそうに頬をゆるめた。
その表情に、彼からのたしかな信頼を感じる。
マーティは低く心地よいかすかな笑い声に甘い感覚をおぼえながらも、離れた唇を、再び重ねようとしたそのとき――コンコン、とノックの音が響いた。
思わず、驚いて飛び上がる。
「――ど、どうぞっ」
慌ててオーグストの膝から立ち上がり返事をすれば、扉からはネイロンが現れた。
「失礼するよ。……さっき、叫び声が聞こえたけど、なにかあったのかい?」
「あ……」
これにはマーティも「お騒がせしてすみません……」と萎縮しながら謝罪する。
部屋まで入ってくるネイロンとその背後から現れたスフェルに、マーティの背後で、オーグストが露骨に機嫌を損ねる気配がした。
ネイロンはその気配を感じとっていたようだが、スフェルはそれに気づいていない。
マーティとスフェルが、お互い気まずい空気を連日保って気を張っていたせいかもしれない。
マーティは襟を正しつつ、訪れたふたりに対応した。
「実は、話があってね」
ネイロンがスフェルに視線を向ける。
スフェルは一歩前へ出て、マーティらを見下ろして言った。
「――魔王城へ出発する日取りについてだ」
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