ダンジョン牧場を経営しよう

ねこまんま

第1話 スキルと物置の奥の世界

ダンジョン──それは数年前、世界の常識を根底から揺るがした“異物”だった。


 最初に報道されたのは東京都心の地下鉄構内で発生した“異常な空間”。

 目撃者は口を揃えて「空気が変わった」「視界が歪んだ」「中に何かがいた」と語り、映像には黒い裂け目のような穴と、奥に蠢く青白い光が映っていた。


 その後、全国各地で同様の現象が確認され、政府はそれらを「ダンジョン」と命名。

 構造物の下層や自然地形に埋もれる形で現れたそれらは、いずれも共通して、“外界と断絶された独自空間”であることが判明した。


 内部には、スライム・ゴブリン・オークなど、従来の生物とは明らかに異なる存在──魔物が棲息しており、それらを倒すことで得られる“魔石”や素材には、未解明ながらエネルギー効率の高い性質や特殊な工業用途があることがわかっていった。


 こうしてダンジョンは、ただの危険地帯ではなく、“経済資源”として注目されるようになる。


 国は動いた。

 管理局を設立し、各地のダンジョンを区画・管理。

 魔物討伐や素材回収の行為を一部合法化し、活動者を「探索者(エクスプローラー)」と位置づけた。


 ダンジョンは危険と隣り合わせではあるが、それ以上に“稼げる”空間となった。


 特に若者の間では、短時間で高額な報酬が得られる“副収入の場”として広まり、

 今では高校生でも探索免許を取得すれば、自由に出入りすることが認められている。


 ただし条件はひとつ──十六歳以上。

 ダンジョンという世界に足を踏み入れるには、まず年齢という壁を越えなければならない。


 ──そして今日。

 俺、綾瀬陽斗(あやせ・ひなた)は、その年齢を迎えた。


 黒髪短髪。身長も成績も人並み。

 部活もやっていなければ、特技もない。

 まさに“平均”の塊のような高校生──そんな俺がダンジョンに関わるようになるなんて、つい最近まで思いもしなかった。


 だけど、ある意味でこれは当然の流れだったのかもしれない。

 この世界では、ダンジョンは“特別”じゃない。

 町のコンビニやネットカフェのように、当たり前に“そこにある”ものだ。


 問題はそれをどう使うか、どう関わるか。


 そして今日、十六歳の誕生日。

 俺は探索免許の講習を受けに行く。


 魔物を狩るためでも冒険者を目指すためでもない。

 ただ、ちょっとだけ稼げたらいい──

 ほんのそれだけのつもりだった。


ダンジョン管理局──そこはまるで、病院と警察署を掛け合わせたような空間だった。

 白い外壁、受付のガラス窓、床に響く靴音がやけに冷たく聞こえる。


「はい、探索免許講習の方はこちらの受付票を……」


「あ、はい。えっと……綾瀬陽斗です」


 受付で名前を伝えると、職員が淡々と資料を手渡してくる。

 講習会場へ通されると、すでに何人かの受講者が座っていた。制服姿の高校生。私服の青年。

 俺と同じように、十六歳の誕生日を迎えたばかりなのかもしれない。


(……こんな静かな教室、ひさしぶりだな)


 講師は管理局の男性職員。

 無表情でマニュアル通りのトーンで話す。


「では、探索免許講習を始めます。テキストは手元に。まずは座学からです」


 テキストを開くと、目に飛び込んできたのは


 「ダンジョン活動における基本的ルールと責任区分」──そんな文字だった。


 ダンジョンとは何か。魔物とは何か。

 活動中の事故、死亡、損害における責任の所在。思っていた以上に現実的で重たかった。


(ゲームの世界じゃない。命が懸かってる)


 1時間ほどの座学が終わるといよいよ実技に移る。


「綾瀬陽斗くん、次はあなたの番です」


「……はい」


 講師が手渡してきたのは、金属製の訓練用短剣。

 重さは控えめだけどちゃんと刃がついていて本物らしい。


「中にいるのはスライムが一体。攻撃性は低いけど、気を抜かないように。倒して戻れば合格です」


「了解しました」


 小さくうなずいて、俺は訓練用ダンジョンの入口へと足を踏み入れた。




 中は、ひんやりとしていた。

 薄暗く、地面はぬかるみ、天井は曇ったガラスのように閉ざされている。


(いる……あれだ)


 通路の先にぷるんとした青いゼリー状の物体がうごめいていた。

 スライム。教本に載っていたとおりの見た目。ちょっと気が抜けるくらいだが──それでも、魔物は魔物だ。


(……大丈夫。落ち着け。狙って、刺すだけ……!)


 俺は深呼吸し、短剣を構える。

 そして、踏み込む。


「……っ!」


 ぐしゃっ、という湿った破裂音。

 感触は柔らかいのに刃が中に入り込んでいく手ごたえがあった。

 スライムの身体がしばらく震え、泡のように崩れ落ちる。


「……倒した、のか……?」


 力が抜けて膝をつきそうになるその瞬間──


 頭の奥に、何かが焼き付くような感覚が走った。

 文字ではない。声でもない。

 “意味”だけが、脳に直接届いてくる。


 

《スキルを獲得しました》


 

「っ……なんだ、これ……!」


 声が漏れた。

 眩暈のような軽さ。背筋を駆け上がる熱。

 けれど身体は問題ない。どこも痛くない。

 ただ、確かに何かが“加わった”のを感じた。


(スキル……俺、今……)


 息を整えて立ち上がる。

 短剣を見下ろすと、血も魔石もついていない。ただ、戦ったという事実だけが残っていた。


「──これで、いいんだよな」


 誰にも聞かせるつもりのない呟きが、湿った空間に吸い込まれていった。


「はい、お疲れさま。倒せたようだね」


 訓練ダンジョンを出ると、さっきの講師が待っていた。

 その手にはスキル確認用のタブレット。そこに俺のIDカードをかざす。


「スキル確認……っと。ああ、出てる出てる。《飼育(魔物)》と《アイテムボックス》だって」


「……やっぱり、そうですか」


 俺の実感は、間違ってなかった。

 あの、頭に直接流れ込んできた“感覚”は──本当に、スキルの獲得だった。


「《飼育》ね。これは……ああ、動物系のサブカテゴリか。魔物に適用されるパターンは珍しいけど、一応前例あるよ」


 講師はスキル表を眺めながら、特に驚いた様子もなく淡々と説明を続ける。


「この手のスキルは、犬や鳥に指示を出す調教師型が多いんだけど……魔物対象ってのは、まあ変わり種だね。個体差が激しいし、成功率も不安定らしい」


「そうなんですか……」


「ちなみに《アイテムボックス》のほうは便利系スキルとして人気高いよ。荷物を一括で持ち運べるってのは、探索でも日常でも重宝される」


「それは……ちょっと助かります」


「うん、当たり引いたと思っていいんじゃない?」


 講師は無表情ながらも少しだけ口元を緩めた。

 その顔を見て、ようやく実感が湧いてくる。


 ──俺は、スキルを持った。これからは、自分の判断でダンジョンに入ることができる。


「これで探索免許も正式発行できるから、写真撮影と発行処理に進んでね。あと、一応確認だけど──ダンジョン内の行動はすべて自己責任。無理な挑戦は避けるように」


「……はい。気をつけます」


「うん。じゃ、次の人」


 事務的なやりとりはあっけないほどに短かった。


 けれど俺にとっては、たった一言一言がこれまでの自分とは“別の世界”へ踏み込む合図のように感じられた。



 探索免許証は、思ったよりも軽かった。

 運転免許証よりひと回り小さく、黒いICチップが埋め込まれたシンプルなデザイン。

 写真の中の俺は少し緊張した顔でこちらを見ている。


(これで、俺も探索者……ってことか)


 現実味はまだ薄い。だけど──確かに、ここから何かが始まる気がした。


 講習がすべて終わり、夕方。俺は自宅へ向かって歩いていた。


 空は曇天。西日も出ていないのに、じんわりと汗がにじむ。

 ポケットに入れたままの探索免許証が、やけに重く感じるのは──きっと、疲れだけじゃない。


(……俺、スキル持ちになったんだな)


 誰かに自慢できるものじゃないけど、それでも、確かに“何かを手に入れた”感覚があった。


 家に着いたのは、午後五時を少し過ぎた頃だった。


「ただいまー」


 誰もいない静かな家。両親は共働きで、夜まで戻らない。

 家の中は日中の熱気がこもっていて、空気がじっとりとしていた。


 制服を脱いで、Tシャツと短パンに着替える。

 テーブルに探索免許証を置き、何気なくそれを見つめた。


(《飼育(魔物)》と《アイテムボックス》……)


 スキルの名前が印刷されている。

 こうして見ると、本当に“持っている”ことを実感する。


 ……と、そのとき。


 ピシッ──と、何かが音を立てた気がした。


 部屋の中ではない。もっと外側。

 耳をすませても何も聞こえないけど、感覚だけが何かを訴えてくる。


(……なんだ?)


 身体の奥にうっすらと“違和感”が広がる。

 空気の流れが変わった? 風が止んだ? いや、違う。


 この感じ──何か“場所”が変わった気配。


 俺は玄関を抜け、庭に出た。


 夕方の風が吹き抜ける。

 セミの声が遠ざかり、鳥の鳴き声も聞こえない。

 隣の家から流れてくるテレビの音だけが、世界の現実感をつなぎ止めている。


 目を向けたのは、庭の奥──古びたトタン屋根の物置小屋だった。

 元々は祖父が使っていたもので、中には壊れかけの工具やキャンプ用品、使わなくなった扇風機なんかが雑に詰め込まれていた。


(……あそこからだ)


 違和感の“芯”が、そこにある気がする。


 俺はゆっくりと足を進め、物置小屋の前に立つ。

 湿った木の臭い。トタンの表面にはまだ昼間の熱が残っている。


 いつもなら、近づく必要なんてなかった。

 でも今日は、どうしても──開けなきゃいけない気がした。


 手をかける。冷たい取っ手がじわっと汗ばんだ指先に張りついた。


(なんだってんだよ……)


 ぎぃ──という音とともに重たい扉がゆっくりと開いた。


 ……暗い。


 目が慣れるのに、数秒かかった。

 物置の中は、確かに“以前と同じ”であるようで──でも、決定的に何かが違っていた。


 まず、モノがない。

 ぎゅうぎゅうに詰められていたはずの段ボール、工具箱、アウトドア用品……それらが影も形もなくなっていた。


「……全部、消えてる……?」


 俺は思わず一歩、足を踏み入れた。


 床が、固い。

 いつもの木の床板じゃない。もっと硬質で、湿った岩のような……そんな踏み心地。


 そこから先の景色が──おかしい。


 物置の奥にあるはずの壁が、ない。

 あるのは、**黒い岩壁に囲まれた“通路”**だった。

 足元には細かい石屑が散らばり、壁面には自然のひび割れと苔のようなものが張りついている。


 ──ダンジョンだ。


 見間違いようがない。

 ダンジョン管理局で見た実技用空間よりも、ずっと“本物”の気配が漂っていた。


「なんで……家の物置に……?」


 声に出した瞬間、言葉が空気に吸い込まれていく。

 音の反響が、明らかに“室内”のそれではなかった。


 通路の奥には、ほのかに光る何かが見えた。

 結晶のような、植物のような……でも、それが何かを確かめるには、もう数歩踏み込む必要があった。


 だけど俺は立ち止まった。


 背中をつたう汗、胸の奥のざわつき、喉の渇き。

 すべてが「進め」と言いながら、同時に「戻れ」とも訴えていた。


(これは──もう、“日常”じゃない)


 さっきまでは免許証とスキルで満足してた。

 でもこれは……そんな“副収入”なんて生ぬるいものじゃない。


 知らない場所。誰もいない空間。

 自分の家と地続きでありながら、明らかに“世界が違う”空間。


 ──どうする。


 その問いに答えられないまま、俺はもう一度、足元を見つめた。そして、確かめるように一歩、物置の中へと踏み込んだ。


 


 世界が──変わった音が、した。

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