幕前 一年前
「あなたがーー犯人だったのですね?」
探偵がおもむろに指摘すると、
〈
二階まで吹き抜けの天井は高く、ドーム型のそこにある明かり取り窓からは、外光が〈天使の梯子〉のように線を描いて射し込んでいる。
壁面は、ギリシャ神話がモチーフの鮮やかな壁画で彩られ、
これらのヴィジュアルは、高精細で表現されており、ディテールも作り込まれている印象がある。あるいは、イギリスに実在する屋敷をモデルに、作成されているのかもしれなかった。
「何をおっしゃっているのか、分かりませんわ。わたしは、ピーターが亡くなったとき、皆さんと
突然の告発に動じた様子もなく、メアリー夫人が応じた。メアリーの水色のデイドレスは、ローウエストでシンプルなデザインのものだったが、それでも、たおやかな女性的魅力を引き立てていた。
たしかに昨日のその時間、
被害者ピーター・カードウェルは、子爵家の不肖の長男だった。放蕩のかぎりを尽くした挙げ句、父親の名義で小切手を偽造して大金をせしめ、さらに家宝のネックレスを持ち出して、十年前に出奔した。
旅客船の海難事故に巻き込まれたことで、家族は不在者宣告(失踪宣告)をし、すでに亡くなったものと思われていた。それが一週間前にひょっこり生きて戻って来て、相続権を主張し始めたのだった。
この椿事をめぐって屋敷では、さまざまな思惑が入り乱れた。そして、人びとの混乱が頂点に達したところで、ピーターが殺されたのだった。
「妻が兄上を殺しただと? 大変な侮辱だ! 名誉毀損で、君と君の会社を訴えてやる!」
顔を真っ赤にして鼻息荒くまくし立てたのは、メアリーの夫で屋敷の次男アンソニーだ。ハンサムだが、殻を剥いた茹で玉子みたいにツルンとした印象の持ち主だ。
屋敷の住人が全部で何人なのか(何人の「設定」になっているのか)は知らないが、今現在、広間にいるのは十二名だった。
堂々たる押しだしの中年男性は、屋敷の主であるリチャード・カードウェル子爵であり、その横に寄り添っている小柄な中年女性は、妻のアン・カードウェル子爵夫人だ。
次男で、いずれ
万事控えめな子爵の姪バイオレット嬢は、ドレスの色味さえもくすんでいるように見える。今も部屋の端で、うつ向いている。ここまでが、子爵家の家族であり、
これらの人びとに加えて、広間には
執事のダンカンは、黒いタイに黒いジャケットに黒いベスト、ピンストライプのズボンという隙のないいでたち。丸々と肥えた女性は、料理人のトラー夫人だ。
ひょろりと背の高い
あとは今回の探偵役・記者アリス嬢に、事件を担当しているコックリル警部がおり、おれが《視点》に入っているのは、このコックリル警部だった。
「たしかにあなたは、応接間にいらっしゃいました。でも、そのときトマスは、どこで何をしていたのでしょう? 屋敷内を遊び回っていたと言っていますが、はっきりと見た者はいません。ではトマスに、ピーターのワイングラスをすり替える悪戯を指示できたのは誰か? 答えはもうお分かりでしょう……」
「そんな
アンソニーが言い募る。
「
アリスがエラリー・クイーンのセリフを援用して滔々と推理を続けているが、残念ながらあまり説得力が高い内容とは言えない気がした。
(これじゃあ、また〈
胸の中でつぶやいたとき、視界の端にシュポッ、とテキストメッセージが入った。親父からだ。残業で遅くなるから、夕食当番を代わって欲しいという。役場も近ごろは人手不足で汲々としているようだ。
【あと、もう一つ。スマンが、喪服と数珠を探しておいて欲しい。山田さんのお父さんが亡くなったんだ。仏間にあると思う】
【了解】
と返事したおれは、後ろ髪引かれる思いで、《スチーム・ランド》からログアウトした。
ゴーグルを外すとそこはもう、見馴れたいつもの部屋だった。畳敷きの六畳間に、小学生のときから使っている学習机とベッドが、窮屈そうに押し込まれている。本棚には、読み散らした小説本やコミックが積んである。
おれはベッドの上にゴーグルを放ると、階下の台所に向かった。木の階段が、足下でギシギシと軋んだ。ジイさんの代からの家だから、だいぶガタがきているのだ。下りながら、自然と頭の中でメニューを組み立てていた。冷蔵庫の中身は、だいたい把握している。何年も親父と二人暮らしなので、高校一年生ともなれば食事の支度だって馴れたものだ。
シンクの前に立つころには、すっかり構想は固まっていた。
†
ゴーグル型のウェアラブル端末は、軽量化と低価格化が進んだことで、ここ十年くらいで急速に世の中に普及したヒット商品だ。三年前に始まり、未だ終息してはいないものの、何となく「終わったこと」になっているパンデミックの影響がそれを加速させた。いわゆる、巣籠もり需要というやつだ。
解像度も非常に高く、イヤフォンと組み合わせると、ほとんど現実世界と見まがうレベルに進化している。その迫力は凄まじく、足の悪い隣の西田さんちのおじいちゃんは、お嫁さんに買ってもらったゴーグルで、バーチャルな〈世界旅行〉を楽しんでいる。そういう配信を集めたネットのチャンネルがあるらしいのだ。いずれ法律が整備されれば、着けっぱなしで生活する人が出てくるだろう。そして、ゴーグルで楽しめるのは、今や〈現実世界〉だけではなくなっていた。
《スチーム・ランド》は、インターネット経由で参加できる仮想空間のサービスだ。十九世紀のイギリス、いわゆるヴィクトリア朝時代をモチーフにしているが、ガス燈と蒸気機関の世界に、妖精や魔術師や悪魔といったファンタジー要素や、スチームパンク的な歴史改変要素も混ぜてある。実際は何でもありの設定だ。
遊び方は人それぞれで、アバターを作って仮想空間内を散策する人もいれば、文字チャットや音声チャットを駆使して、もっぱら他の参加者とコミュニケーションをとる人もいる。仲間を募ってコンサートや集会を開催する人や、指定されたコンバットエリアで〈魔物狩り〉や〈武道大会〉を楽しむ人間もいるし、ロールプレイングゲームのエリアでは、宝探しや竜退治が行われていたりする。
おれがいま参加していたのは、定期的に開催される、小規模の謎解き(犯人当て)イベントだった。
イベントの開催場所は、おおむねミステリ小説の用語でいうところのクローズド・サークルになっている。旅客船の場合や嵐の山荘、孤島など細かなシチュエーションの違いはあれど、登場人物が限定されているなかで殺人事件が発生し、参加者は登場人物になりきって事件を体験する。
イベントのエントリー方法には二種類あった。謎解きの主体として参加する〈探偵役〉か、単に見学だけの参加になる〈傍観者〉だ。おれは〈傍観者〉になって、いろいろな〈探偵役〉の謎解きを見るのが趣味なのだ。今回のイベントの場合、エントリーの〈視点〉として選べる登場人物は、〈アリス嬢〉か〈コックリル警部〉のどちらかで、おれは〈コックリル警部〉をチョイスしていた。
一回のイベントにおいて、ストーリー(殺される被害者とかシチュエーション、証拠の類い)はあらかじめ決まっており変更はない。つまり、〈探偵役〉及び〈傍観者〉全員が、同じ〈問題篇〉を体験することになる。そして、〈問題篇〉には、一定期間内ならば何度でも繰り返し参加できるようになっていた。〈探偵役〉は、納得がいくまで〈問題篇〉を味わったあと、それぞれが〈解答〉を発表するわけだ。発表は何度やってもかまわないし、その都度、違う推理をしてもかまわない。
このイベントでおれが気に入っているところは、犯人当てなのに、〈正解〉が用意されていない点だ。どういうことかというと、どの推理がもっとも説得力があるのかーー言い替えると〈真相〉にふさわしいかーーを、最終的に《参加者が投票で決める》システムになっているのだ。で、締め切りまでに提出されたなかで、一番票を集めた推理を発表した者が〈
女性記者アリスに扮していたのは、犯人当てイベントの常連で【kamuromi】のハンドルネームを使っている人物だ。
古い言葉でいうなら、おれはこの【kamuromi】さんを〈推し〉ていた。ふだんはスマホをいじる程度で、お世辞にもVRゴーグルを使いこなしていないおれが、わざわざ仮想空間のイベントに参加するのは、【kamuromi】さんに会うためといっても過言じゃない。
いくつかの偶然が重なって、【kamuromi】さんとは、プライベートチャットで会話したことがある。あるイベントを見学したとき、おれのバーチャルネーム【hiruko】に興味をおぼえた向こうから、話しかけられたのだ。ミステリ小説が好きだったり、仮想空間を使用しているわりにゲーム類が苦手だったりと、共通項があった。前回などは、互いに推理クイズを出し合って結構盛り上がったーーとおれの方では思っている。
顔も見えない、性別も判然としない、ひょっとしたら人間ですらなくAIかもしれない相手に抱く感情として適切なのかわからない。けど、おれは【kamuromi】さんに、半ば恋心に近い想いを持ちはじめていた。
†
メニューの構想だけじゃなく、手もほとんど自動的に動いて調理をしていた。
お米を研いで炊飯器をセットする。
西田さんちのおばさんがおすそ分けしてくれたナスとピーマンがあるから、それを乱切りにして炒め、豚肉を入れる。味つけは練りの中華スープか、焼き肉のタレでやれば不味くはならない。
メインができると、あとは気が楽だ。豆腐は冷やっことしてパックから出すだけだし、トマトは切っておいて、後でドレッシングをかければいい。親父が帰ってきたら、冷蔵庫に入れてある作り置きの味噌汁を温めればおしまいだ。ついでに、晩酌用に冷凍枝豆をレンジで解凍してやれば、文句はないだろう。
ベッドの上のゴーグルが浮かんだ。もう一度最初から、アリス=【kamuromi】さんの推理を観なおそうか。
だが同時に、ちょっとおっくうに感じている自分もいる。リビングでテレビを流して、ぼんやりする方がいい気がしてくる。クラスメイトは、オールドメディアだ、とか何とか言って鼻にも引っかけないが、おれは嫌いじゃない。何というか、誰が観るでもなくテレビが流れている風景は、〈お茶の間〉という感じがするのだ。
おっと、のんびりする前に、親父の頼み事を片づけておかなければ。
シンクをざっと片づけると、おれは仏間に向かった。
爺さんが死んでから、日常的にこの部屋を使う者はいなくなった。とりあえず、仏壇の前に座ると、ライターで蝋燭(五分間で自動的に消えるタイプ)に火を点けた。線香を一本、線香立てにさすと、おりんを鳴らす。
親父の喪服は、古い衣装箪笥に埋もれて下がっていた。前回使用したときのクリーニング屋のビニルカバーが、まだついたままだ。ぷん、と樟脳が臭った。喪服を出して、ひとまずリビングに持っていき、木製のハンガーラックにかけた。
ふたたび仏間にとって返して、数珠を探す。仏壇についている引き出しを開けると、中にはライターや蝋燭の予備、線香の箱や香典袋、袱紗などが詰めこまれていた。他にも、ハサミだのもう使ってない三文判などが雑多な、物入れになっていた。
数珠の平たい箱を引っ張り出して、引き出しを閉じようとしたが、上手く閉まらない。何かが引っかかっているみたいだ。
おれは引き出しに手を突っ込んで、原因を探った。すぐにそれらしいものが、出てきた。
それは封筒だった。
セロテープがくっついている様子からして、引き出しの上の面に貼りつけられていたようだ。つまり隠してあったわけだ。
好奇心を抑えきれず、封筒の中身を見る。出てきたのは小さな手帳だった。色味と箔押しされた飾り文字の雰囲気で、女性向けの品物に思えた。
おれはちょっとドキドキしてきた。
おふくろは、おれを産んですぐに亡くなったと聞いている。たった一枚だけ残っている写真で、優しげな面差しはうかがえるが、当然、記憶なんてない。
これは、おふくろが隠した品物ではないだろうか?
手帳を開くと、少なくとも爺さんとも親父とも違う、几帳面な細い文字が綴られていた。
おれはそれを読み始めた。
†
そして一年が経った。
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