第2話 名前のない森を歩く

 ミリィに手を引かれ、リオは歩き出した。

 空は昼なのか夕なのか判別がつかず、森の奥はどこまでも同じ風景が続いている。まるで、何かに試されているような静けさだった。


 「ここって、どこなんだろう」

 リオが尋ねると、ミリィは立ち止まり、小さく首を振った。


 「わからない。目覚めたときには、もう森の中だった。わたしも記憶は曖昧……あなたと同じ」


 リオは言葉を飲み込んだ。

 自分だけじゃない。その事実に、ほっとしたような、不安が深まったような気がした。


 「でも……“夢から落ちた”って、さっき言ってたよね?」


 ミリィは少しだけ視線を落とし、苔むした石を指でなぞった。


 「うん。そう感じただけ。……変な話、信じられないかもしれないけど」


 「信じるよ。僕も、夢の中で誰かに呼ばれてた。名前を──リオ、って」


 ミリィの目が一瞬だけ揺れた。

 すぐに表情は戻ったけれど、その一瞬の変化をリオは見逃さなかった。


 「君は、夢の中で……誰かに呼ばれてた?」


 ミリィは答えなかった。

 ただ、ほんの少し、歩く速さを早めた。


 リオは黙ってその背を追った。問い詰める気にはなれなかった。

 言葉の奥にあるものが、まだ触れちゃいけない気がしたのだ。


 ──風が吹いた。


 ざわ……と木々が揺れ、足元の枯れ葉が舞い上がる。

 その一瞬、森が呼吸したような気がした。


 「リオ、こっち」


 ミリィが指差した先、かすかに陽の差す空間が見える。

 開けた場所のようだった。


 二人がそこにたどり着くと、ぽっかりとした丘のような空間が広がっていた。

 真ん中には、壊れかけた石碑がひとつ──まるで、それだけが森の中で時間を止めていたかのように。


 「これ……」


 ミリィが近づき、指先で石碑の表面をなぞる。

 だが、文字はほとんど擦り切れていて読めない。唯一、かろうじて残っていたのは――


 《……の王》

 という欠けた一文だけだった。


 リオは無意識に、その言葉を口に出した。


 「王……?」


 その瞬間、森の空気が変わった。


 ふわり、と風が止み、森全体が息を潜める。

 ミリィの表情から色が消えた。


 「……言っちゃダメ」

 彼女が低くつぶやいたとたん、空気が重くなった。


 木々の間から、何かが──黒い影が、じわりと這い出してくる。


 「リオ、走って!」


 ミリィが叫んだ。

 次の瞬間、リオの背後で枯れ枝が爆ぜる音がした。


 何かが、確かに迫ってきている。


 ここはただの森じゃない。

 “王”の名を口にしただけで、何かが目を覚ました。


 走りながら、リオは思った。

 なぜ、“王”の話を聞いて、ミリィはあんな顔をしたのか。


 ──彼女は、何を知っている?


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