猿、来る。

なぎと 亨

第1話

 猿がいた。


 三階の外廊下、角部屋の手すり。

 俺の部屋の前に、ちょこんと座っている。

 一瞬、目を疑ったけど、間違いない。


 猿だ。


 小柄なニホンザル。くすんだ毛並み。リュックを背負ってる。


 ──なんで?


 視線が合う。

 けど、すぐに逸らされた。

 指先で紙をいじっている。くしゃくしゃの何か。


「──マジかよ」


 俺は立ち止まったまま、右手のビニール袋を握り直す。

 夜食とビールがひとつ。

 猿はチラリと俺を見たが、手は止めない。


 少しだけ近づいて、袋を軽く振ってみた。

 反応なし。紙を折ったり開いたりしてる。

 左手を上げて、追い払うようなジェスチャーをする。

 動かない。


 俺は視線を逸らさずに、鍵を取り出す。

 そっと近づいて、ドアの前に立つ。

 距離、1メートル。


 猿を刺激しないように、鍵を回す。

 カチッ。音がした瞬間だった。


 猿が紙を広げた。

 はっきりと、俺に見せるように。

 一万円札だった。


 猿はそれを丸めて、ポーンと隣のドアの前へ投げた。

 くしゃくしゃの札がコツンと壁に当たって落ちる。


 視線が揺れる。

 万札、猿、また万札。

 

──拾っても、バレない。


 そう思いながら、そろそろと近づいて、札を拾った。

 広げる。色と手触りで、すぐわかる。


 本物だ。


「……ラッキー」


 背後で、バタン、と音がした。


 振り返る。

 ドアが閉まってる。

 猿がいない。


「……まさか」


 一万円札をポケットにねじ込み、

 一呼吸して、ドアをそっと開けた。


 中は真っ暗。

 廊下の電気を点けて、ゆっくりと進む。

 右が寝室、左にユニットバスとキッチン。

 奥にリビング。


 扉越しに覗く。

 気配は、ない。

 でも何かがいる気がして、ドアを開けた。

 照明を点ける。

 リビングの真ん中。

 猿がローテーブルの上に、座っていた。


「まぁ、座れ」


 ……聞こえた、気がした。


 誰か? 他に誰かいる?


「ワイや。ワイが喋ってるんや」


 猿が、喋った。

 口が、動いてた。


「ビックリしたか? ワイが喋ってんねん」


 目を逸らせない。


「とりあえず座れ。落ち着けや」


 猿はゆっくりとリュックを開けた。

 中から、札束を取り出す。


「100万ある。ワイの話、聞いてくれたらやるわ」



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