第2話 吊り橋を渡る雛森

 JR天猛線の線路は山間を流れる川に沿って走っている。車窓から山を眺めていると、達朗は中学時代の地学で習った「V字谷」という言葉を自然に思い出した。


 今は町村合併で名を無くしているが、以前ほとぼり村は琴堀村という名前の村だったらしい。

 そして最寄りの駅も琴堀である。


 ことほりという看板の無人駅に降りると、東京よりもだいぶ暖かい風が吹いていた。

 セレブの隠れ里だ。冬は暖かくて夏は涼しい場所を厳選したのかもしれない。


 駅の裏手の細く長い吊り橋は、田舎には似合わない現代的な色遣いのしっかりした橋である。

 遥か下を流れる清流を眺めながら橋を渡ると、暑さを感じた達朗は着ていたダウンジャケットを脱いだ。手荷物も小さいので仕方なく脇に挟んで歩く。




 橋を渡った先に、クリーム色のジムニーシエラが停まっていて、運転席の開いた窓から「雛森さんかぁ?」と聞いてきた。


「はい、初めまして。雛森です」


「小林だ、初めまして。じゃあ乗って」と助手席に乗るように促してきた。細い目とふっくら目の体型のせいで見た目はのんびり屋さんだが、話し方はせっかちだ。


「遠かったろ? 」などと言いながら、くねくねと曲がる山林の間の道をジムニーシエラはすいすいと走っていく。

 達朗は「いえ、意外と近かったですよ」などと返す。早すぎるスピードにヒヤヒヤし天井の手吊りを持つ手に力が入る。




 しばらく走ると田畑が点在する平地に出た。いや、周りは山林だから盆地か。

 小林は広い道路の信号のある交差点を右折して5軒目の、庭とガレージが付いた新しめの大きな家の前に車を停めた。


 車から降りた達朗は渡された鍵で中に入る。吹き抜けの玄関の天井の高さを見て驚き、動きを止めていると、


「環さんがここのガレージでダンジョンを見つけたせいで、この家の持ち主は引っ越しちまったんだよな」


 小林はそう言ってガハハと笑った。


 えっ? ダンジョン? ここの家? 俺ここに住むの?


「荷物はもう運び入れてる。ここの1階はダンジョン庁の事務所になるから、住居は2階ね」


 冒険者あがりでもなく、運動神経が良いわけでもない。そんな自分が未だ大きさも定かでは無いダンジョンのすぐ横に住むんですか?


 達朗は、小林の案内を受けながら猛烈な後悔に晒されていた。あぁ、あの時ちゃんと断っておけばよかった……。


「さっき通ってきた交差点あたりに、飯屋と肉屋とウチの雑貨屋があるから、腹減ったらあそこまで歩けばいい」


 案内を済ませて玄関でブーツを履く小林は、咳払いをして最後に付け加えた。


「……ここには、少し歩けば誰もが名前を知っている有名人がウヨウヨ居る。先週ワイドショーで話題になっていた芸人も、巡業明けで休みを満喫する横綱も、男性アイドルと婚前旅行を楽しむ清純派女優もいる」


 つま先をトントンとする小林は、この村に辿り着いた人に何度も同じ説明をしてきたのだろう。


「……必要以上の反応はするなよ」


 念を押す目が怖い。

 本当に怖いのは、こういう一見優しそうな人なんだよなあ。


 



 

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