第3話:終電無いし、ウチ泊まる?

 飲み会も終盤、氷がカランと音を立てた頃。

「澪ちゃん、かわいいな〜。もっと喋ってくれたらええのに」

 不意に向けられた声は、ゆるくて、甘くて。

 アルコールのせいで舌っ足らずなはずなのに──


「芦田さん、セクハラで訴えられますよ……?」

「ううん〜?かわいい。めっちゃかわいいやん。澪ちゃんこそカワハラでは〜??」

 史帆さんが諫めようとしても、彼女はずっとこの調子だった。


「芦田、岸本さんのこと狙ってんじゃねえぞ〜」

「澪さん、ほんと鬱陶しかったら私らに任せて先上がっていいからね」

「やばかったら先に帰れよ〜」

「へーきへーき、酒は友達、潰れたら負け〜」

「お前に言ってねえわ!」

 くだけた声が飛び交う中、芦田さんは相変わらず、私のすぐ横にいる。

 その笑顔も、その距離感も、崩した姿勢も──全部“酔ってます”で言い訳される。


「いや、私は大丈夫なんで……」

 距離が……ずっと、近い。

 掘りごたつ式なせいもある。テーブルも狭いし、幅も決まってる。

 でも──それにしても、それにしてもだよ。


「って、芦田さん、ちょ……足」

「ん〜? あ、ごめんごめん、足、触れちゃったね〜狭いもんなぁ〜」

 そう言いながら、芦田さんの太ももが私のそれに、ぴとっと重なる。

 やわらかくて、すこしひんやりとしてる。

 ……で、離れない。

(え、今のほんとに“たまたま”……? いや、離れないくせにごめんとは……?)


『ウチ、どれ〜でもいけるんで、興味ありそうな人おったら普通に教えて〜。そっから考えるから!』

 さっきの彼女の言葉が頭に浮かんで、そのままわずかに渦を巻く。

 え、そういう事……?

 芦田さん、わからないよ……。

(何、何考えてんの私……?)


「……澪ちゃんも、さすがに酔ってきたん?」

「えっ!? あ、い、いえ……」

「ほっぺ赤いで。ほんまかわい〜」

 その声は、ゆるい甘え方。

 どこか“冗談で済む”ってわかってる、ズルい人の声。


 そして、そのまま、飲み会は終わった。


 ◇◆◇◆◇


「女子だけで、ちょっとだけ二次会行こ〜?」

 駅に向かう道すがら、男子たちと別れた直後のことだった。

「このへんにええ感じの公園あるし、誰もおらんから〜」

「えっ、あっ……」

 帰る準備をしていた私が言葉を口にする前に、芦田さんがくるりと振り返り手を合わせて笑う。

「終電まで! 終電までってば! おねが〜い!」

 分かってたようなタイミング。

 それがちょっとだけ、悔しいような、くすぐったいような──よくわからない気持ちを残した。


「え〜でも流石に寒くない?」「ちょっとだけ〜」

 史帆さんと芦田さんが言い合ってる後ろから、私は静かに歩き出す。

 誰にもせっつかれたわけじゃないのに、ついて行く足は止められなかった。


 ほどなくして着いたのは、駅の裏にある小さな公園。

 ベンチに腰かけて、コンビニで買ったチューハイを開けて飲む。

 さっきまでの賑やかな居酒屋と違って、ここは風の音さえも静かで。


「……芦田さん、あんなに飲んでてまだ平気なんですか?」

 史帆さんが笑いながら問いかける。

「ん〜? まぁな〜。慣れとるし。てかあんなん、ただの水よ〜」

 芦田さんはベンチに背中を預けて、どこか遠くを見るようにぼんやり笑う。

「うそ〜、顔真っ赤ですよ」

「いや、澪ちゃんにも聞いてみ? な? ウチ、酔ってへんよな〜?」

 そのまま、私の肩に腕が回された。


「えっ……ちょ、ちょっと……」

 声が上ずる。逃げる場所も、余裕もなかった。

「な? 澪ちゃんだけは味方やろ〜?」

 冗談めかした声なのに、どこか甘えているようにも聞こえた。

 だから、顔が……近い。

 さっきの居酒屋よりも、ずっとずっと。

 この暗くて静かな空気のなか、芦田さんの匂いだけがやけに濃くて、

 肌の触れた場所から、体温がじわじわ伝わってくる。


「てか〜、澪ちゃんも史帆もさ〜、芦田さん芦田さんって、距離あるよな〜?二人は名前で呼び合ってんのうらやましい~」

「年上やけど同期やん? もう“梨羽ちゃん”って呼んでくれてええのに〜」

「え〜、ちゃん付けはちょっと……でも、“梨羽さん”ならまあ……」

 史帆さんが肩をすくめながら返す。

「え〜“梨羽さん”かい〜ちょっと寂しいな〜」

「……澪ちゃんは? 呼んでくれへんの?」

「じ、じゃあ……わ、私も、梨羽さんで……」

 ──名前を口にするだけで、なんだか少し喉が詰まった。

 そのまま、話題は仕事の愚痴やどうでもいい雑談に流れていく。

 

 さっきまであれこれ考えてた時間が無かったように、笑っている自分が少しだけ……不思議。


 ◇◆◇◆◇


「梨羽さんさぁ、いい加減誰かと長く付き合ってみるとかしないんですか?」

「え~、ウチだって別に一人になりたくてなってる訳じゃないねんけど……?ただ、これだ、って決め手がなかなかないんよね」

 史帆さんの恋バナに、梨羽さんが続ける。

「付き合うってなったら事前に分かっときたいやん?付き合ってからじゃ〜……色々ダルいし」


「……あの」

「ん?」

「……梨羽さんって、誰にでも……その、そういう感じなんですか?」

 ──口にした瞬間、変なこと言ったってわかった。


「ん〜? まぁ、ウチけっこう、誰にでも行く方かもなぁ」

「あ、そう……なんですね」


 そっか。やっぱり。

 さっきの飲み会での“あれ”も。

 今こうして、私の隣にいるのも──

 全部、“”で済ませられる、そんな冗談のひとつなんだ。


 ……なんで。

 なんで、そんなの聞いて、勝手にざわついてるの。


 感情の意味が、自分でもわからない。

 気持ちの行き場がなくて、ぶつけるように言ってしまった。


「……そういうのって、普通なんですか?」


「は? 澪ちゃん、それ……どういう意味?」


 ベンチの上に流れる空気が、ぴたりと止まって、

 気まずさだけが、私たちの間にふわっと落ちていく。


 ◇◆◇◆◇


「──あっ!!」

 史帆さんの声が、夜の空気を切り裂いた。


「やば、終電過ぎてるじゃん!」

「え〜!マジで!? ごめ〜ん!」

 梨羽さん……全然悪びれてない。


「えっと、史帆は隣の駅で……ウチは逆側の隣駅なんよな〜」

(……え、ちょっと待って)

 私は、呆然とスマホを見つめる。

 頭の中がうすぼんやりして、現実味がなかった。

 まさか、自分が終電逃す側の人間になるなんて──想定外だった。


「ウチ、フラフラしてきた〜……澪ちゃん、送ってくれへん?」

「てか、そのまま泊まってもええよぉ〜?」


 ──え?


 急に体をあずけてきた梨羽さんに、思わず体がのけぞる。

 その体温と重みがあまりにも現実で、声がうまく出なかった。

「ちょ、ちょっと! 梨羽さん、迷惑だって!」

 史帆さんの声が跳ねる。

 でも、そんな空気のなかで、私の唇が──勝手に開いた。


「……あっ」

 気づけば、私は一歩、彼女の方へと歩き出して。

 体が先に動いて、言葉があとからついてくる。

「あ、あの、送っていきます……今からじゃもう帰れないし……」

 自分でも、なんでそんなこと言ったのか、よくわからない。

 でも、もう口に出してしまったら、止められなかった。


「……ほんと? う〜ん、ならよろしくね。なんかあったら絶対連絡してよ?」

 史帆さんが、スマホをぎゅっと握る。

「じゃ、すまんけど澪ちゃん、よろしく〜」

 梨羽さんが、さらに体重を預けてきた。


「う、お、重い……!」

「え〜ウチ、ショックなんやけど〜?」

「い、いや、そういう意味じゃなくてですね……!」


 梨羽さんを、ほとんど担ぐようにして肩を貸し歩き出す。

 夜風が、私の背中をふわっと撫でた。

 ──火照っていた熱を、少しだけさらっていくように。


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