蛹とドール

氷星凪

第一章

第1話:相応しくて

 瓦礫の山。倒れる、人、人、人。石造りの建物群は残骸となり、その隙間から見える景色は、大量の軍人が隊列を組んで進むという非現実的なものだった。


 騎兵隊の馬のけたたましい雄叫びを皮切りに、悲鳴と銃声が入り混じる悪趣味な鎮魂歌レクイエムがどこまでも続く中。一人立ち尽くす、白いワンピース姿の少女。


 彼女が声を上げて涙を流す姿は、共和国民としての悲しみという大仰なものではなく、それは純粋な喪失感からだった。ワンピースの純白を蝕むように、茶と赤が布に入り混じって。それが、いかにも。


 楓暦1732年、12月22日。その日全てが終わり、全てが始まった。


 文化と美を追求し続ける近代国家、ブルムス帝国は大陸の北西側の先進国に遅れを取るまいと、遂に隣国、レンプリッヒ共和国への侵攻を開始した。


 農業大国であるレンプリッヒ共和国は、ブルムス軍との圧倒的な軍事力ないし技術力の差ゆえ、769万平方キロメートルの国土の全土をわずか三日で制圧された。


 ブルムス帝国とレンプリッヒ共和国の国境にあったエーヴィ海が起点となったことからこの戦争はエーヴィ戦争と呼ばれ、そんな凄惨な出来事から早十年が経ったころだった────。


 

 静かに平手打ちをくらい、シュウィは木で出来た光沢のある床に体を倒す。続けて、指導者がまたお決まりの台詞を。


「死にたいなら構わないけどね。踊れないやつが天国や地獄なんかに行けると思わないことよ!」


 初めは全くだったブルムス語が、十年かけてこんな嫌味を聞き取れるほどに耳に馴染んでしまった。三つ編みできつく結ばれた白髪を少し振りながら指導者は向き直り、後ろの人形ドール達への振り付け指導を再開する。


 大きな鏡に反射して刺さる他の人形ドールからの視線、嘲笑を必死に飲み込みながらシュウィはその木の棒を継ぎ合わせたような細い体をなんとか立ち上がらせる。


 その体は本来のレンプリッヒ人の肌とは異なるような白っぽい肌で、同じくレンプリッヒ人である周囲の人形ドール達の茶色っぽい肌と区別するのは容易かった。

 乾燥して、かき分けないと顔が見えないほどの長さの茶髪には枝毛が所々に目立っていて。


 シュウィはもう一度輪に加わり、白き双眼を持つ名も知らぬブルムス人の指導者の指示に再び耳を傾ける。

 指導者の彼女が手を一度叩くと、シュウィ含め人形ドール達は足を待機姿勢に。それは足を開くでも、閉じるでもない半端な姿勢。だが、それが人形ドール達の踊る「下級舞踊」では姿勢だった。


 指導者の手拍子が一、二と続くと。シュウィ達は足を組み替え、左足に重心をかけてそのまま右に飛ぶ。

 着地。指導者の手拍子に合わせ、その流れで右足を上げ、つま先を天井に向ける。ここで足を緩く曲げるのが下級舞踊のポイントだ。


 本来バレエは直線的な動きを美とするが、下級舞踊ではその一挙手一挙手にわざと曲線が入れ込まれている。わざと半端な姿勢で待機させるなど、下級舞踊は、我々がより滑稽に見えるように上手く作られているのだ。


 曲げた足を下に戻し、両足を揃える間もなく今度は左へ飛び、着地後、そのままその場でまた垂直に跳ねる。ここでも足は緩く曲げなければいけない。

 先ほどはここで足を伸ばしてしまったのが悪かった。昔見た本の知識の癖が今も抜けず、シュウィはまた足を張ってしまいそうになったのを無理やり歪ませる。


 滑稽なポーズ。でもそれが、ここでは美しさだと教えられた。他の人形ドール達の足並み揃った動きに飲み込まれ、シュウィは気持ちを殺しながら、自分で自分の体を糸で巻いていく。そしてその糸を指導者に引っ張ってもらうようにして、ただその場を跳ね回るのだった。


 いくらか動いて、指導者からの乱暴な手拍子。


「それじゃあ、今日は終わり。明日の舞踊会、楽しみにしてるわ」


 重たい鉄の扉が開く音がし、いかにも屈強な男が入ってくる。その扉の奥に続く石の廊下から冷たい風が吹き込んできて、麻で作られた薄い施設着のちぎれた袖口の部分を揺らす。

 対して、男は厚い布で作られたカーキ色の服を着ており、腕の袖にある葉に被さる二輪の白いラナンキュラスがあしらわれた勲章が、ブルムス軍の軍人であることを高らかに表しているようだった。


 ここでは軍人がこの施設の看守も務めている。男に連れられ、数人ずつがこの暖色のライトで照らされた稽古部屋から冷たい石造りの檻へと戻っていく。

 果たしてシュウィの番が来て、縦一列で並ぶように前の人形ドール達二人の後ろに彼女はつける。その列を縦に看守二人が挟むようにし、そのまま五人で冷たい石造りの廊下を歩いていく。


 廊下の右左どちらを見ても檻があり、その光景がただ奥へと永遠と続いている。この施設には女性しかいない。

 敗戦国民のレンプリッヒ人であっても男は戦争に出されるからだ。なんなら女性でも筋肉量の多い者は強制的に軍に加入させられる。


 軍に加入すら出来なかったのが、この施設にいる者のほとんどである。彼女達は、毎月22日に行われる下級舞踊会という催しの中で、貴族達の前で下級舞踊を踊るためだけの存在「人形ドール」として生きることを強いられ、日々を過ごしているのだった。


 一定の歩幅で進み続けるシュウィ達。シュウィの目には、先に檻の中に入った人形ドール達が目に入る。

 彼女達は檻の中で、先ほどの振り付けのような様々な舞を繰り広げている。だが、これがただの自主練習でないことをこの施設の人形ドール全員は知っているのだった。


 常に看守が徘徊する中で、施設内の言葉でのコミュニケーションはほぼ不可能に近い。だからシュウィ達は振り付けに人形ドール達しか知り得ない特定の意味を持たせることで、看守に隠れた意思疎通を可能にしたのだ。


 シュウィは目線の奥で、右側の檻の中の少女を捉える。少女は、まずぴょんと一回跳ねる。跳ねた方向は右、これは質問の意だ。腕を広げ、右手を左手で叩く。明日の意。もう一度跳ねる、今度は真っ直ぐに。そして空中で足を鳴らす。これは何の意。


 つまり、明日、何、?、だ。この何は、どうという意味も含む。つまり「明日どう?」という意味だ。


 その問いに答えるように向かいの檻の中の少女が、垂直に跳ねる。その跳躍はほんの少し。これは感嘆の意。右足を爪先立ちにしてから左足を上げ、上げた足を緩やかに曲げて二秒保持。これは指示語のあれの意。一度足を下ろし、両足を地につけた状態からつま先を浮かせ、一瞬だけ踵で支える状態にしてから元の位置に戻す。これは終わるの意。


 あれ、終わる、かな。そう読み取れた時、その少女の目線が自分を向いているのにシュウィは気づいた。そして、向かい側の少女も遅れて自分に目を合わせると。


 二人は小さく嘲笑し、じっとシュウィを見たまま座り込む。シュウィは思わず俯きながら、前に進む足だけを見る。


「あいつが終わるかな」


 少女の言葉が胸に刺さる。看守に押されるように檻に入れられ、シュウィは独房で座り込んだ。腰を歓迎しない固い石の床と壁。明日の舞踊会で、私は恐らく。


 耽っていると、向かいから檻を揺らすような音。檻の間から顔を出そうとするように押し付けているのは、白髪で白い双眼を持つこの施設唯一のブルムス人だった。


「なあ、19番!おい、おいってば」


 本人は囁いているつもりなのか、躊躇なくこちらに大声を振り撒いている。シュウィは自分は関係ないという様子で、彼女の言葉を無視し続ける。


 彼女がしつこく語りかけていると、間も無くして看守の足音がし始めた。やはり。慌ててその白髪が口を閉ざすが、虚しくも、その軍服の影は目の前の檻で止まった。


「おい215番。貴様、ここでは口を慎めと言ったはずだ。また焼印を押されたいか?」


「そ……それだけは!」


「口を慎めと言っているだろ!」


 看守がポケットから取り出した棒で215番を何度も叩く。強い殴打音が壁や床の石に反響して、施設内を通る。

 そのまま彼女は檻から引き摺り出され、看守と一緒に廊下を歩いて行った。足音が遠くなる、行き先は恐らく拷問室だろう。


 こんなことは日常茶飯事だ。この施設内で今まで何人が死んできたか。そして、その数は明日また一人必ず増える。


 下級舞踊会。それはただの見せ物の会ではない。舞踊会の後、観客の貴族達によって誰が一番下級民らしく踊れていたかの投票が行われ、一番票が少なかった踊り手は名誉を汚したとして処刑される。これが月に一回の催しであり、もう十年も続いてきた。


 大分減ってしまった。見知った誰かが死ぬのを、何度も感じてきた。

 死にたくないから踊る。ここにいるみんな、ただそれだけの理由で体を動かした。でももうそんな感覚が、シュウィにはとっくに分からなくなっていた。

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