第4話 開かずの扉とくだらない秘密
焚き火の揺れる炎を見つめる君たちに、今宵もまた、黒衣の剣士の物語を語ろう。戦乱の影が色濃い大陸の片隅、静かな街の石畳を歩いた男の話だ。彼の名はアルディオ。
帝国の影、黒曜隊の元隊士にして、今はただ剣と魔法で糧を得る放浪の傭兵。
誰の旗も掲げず、己の刃と知恵を頼りに旅を続ける男が、閉ざされた扉の向こうで見たものとは。さあ、杯を手に、耳を傾けてくれ。
陽が落ちかけた大通りは、夕暮れの喧騒に包まれていた。石畳に馬車の車輪が軋み、行商人の呼び声や子供たちの笑い声が響く。
瓦屋根の店々が連なり、看板には「酒場」「鍛冶屋」「薬草店」の文字が揺れる。その中で、ひときわ古びた木札に「不動産・鑑定」と書かれた店が目に入った。
黒衣の剣士アルディオが足を止めたのは、店先に立つ恰幅の良い男が、懸命に冒険者風の男たちを呼び止めては断られている様子を見たからだ。汗に濡れた額、焦った目つき。明らかにただの商売ではない。
「……妙な仕事でもあるのか?」
アルディオは低く、しかし鋭い声で問いかけた。
男が振り返り、額の汗を拭いながら息を整える。
「お、おお……失礼しました。あなたも冒険者の方ですか?」
彼の声には、藁にもすがるような切実さが滲んでいた。
「そんなところだ。何を探している?」
アルディオの瞳は、夕陽を反射して冷たく光る。
「実はですね……郊外にある山荘を調べていただきたくて」
男は早口で説明した。先代の地方貴族が亡くなり、山の別荘を相続したが持て余して不動産に売却。
しかし、屋敷の一室がどうやっても開かず、不審がられて買い手がつかないという。
「何人か腕の立つ冒険者にも頼んだんですが……扉はびくともしない。困り果てましてね」
「なるほど。それで魔法に心当たりがある奴を探していると」
アルディオは男の言葉を要約し、視線を鋭くした。
「見たところあなたは剣士のようですが、魔法は……?」
不動産屋は一瞬口ごもり、遠慮がちに尋ねた。黒衣に黒髪、背に背負った両手剣。アルディオの姿は、典型的な剣士そのものだった。
アルディオは言葉を返さず、腰の短剣を軽く抜いて柄を見せた。そこには淡く輝くルーン文字の刻印が浮かぶ。
「……見た目で判断するのはまだ早いさ」
不動産屋は目を丸くし、すぐに顔を輝かせた。
「……し、失礼しました!いや、ぜひお願いしたい。報酬は銀貨十枚、成功なら追加で五枚お支払いします!」
彼の声には、希望が蘇った響きがあった。
アルディオは無言で頷き、大通りを後にした。夕陽が石畳を赤く染め、背後の喧騒が遠ざかる。
坂を登り、森を背にした煉瓦造りの山荘に着いたのは夕暮れ時だった。赤い屋根に夕陽が差し込み、森の木々がざわめく。アルディオは山荘を見上げ、
「クラフツマン方式ってやつだな」
と呟いた。自然と調和する設計、貴族の別荘として一時代を築いた建築様式だ。石畳には落ち葉が積もり、窓は曇り、木枠は朽ちかけていた。森の湿った匂いと、微かな土の香りが鼻をくすぐる。
不動産屋――名はベラン――は目を丸くした。
「ご存知でしたか?自然と調和する設計で、貴族の別荘として人気だったんですよ。だが、維持するのも金がかかる。税金も管理も馬鹿になりません。買い手がつかないままでは赤字でして……だから何としても調べて欲しいんです」
「屋敷なんて生き物みたいなもんだからな。放っておけば腐る」
アルディオの言葉は冷たく、しかし的確だった。ベランは苦笑し、頷いた。
山荘の門をくぐると、庭には雑草が生い茂り、かつての栄華を偲ばせる彫刻が苔に覆われていた。アルディオの革靴が石畳を踏む音が、静かな森に響く。
彼の背に背負った大剣は、黒曜隊時代に鍛えられたもの。魔力を帯びた刃は、夕暮れの薄闇で鈍く光る。ベランは緊張した面持ちで後を追い、鍵束を握りしめていた。
屋内は薄暗く、冷たい空気が漂っていた。埃と古木の匂い、微かな黴の香りが混じる。足を踏みしめるたび、床が軋み、埃が舞う。廊下の壁には色褪せた肖像画が並び、かつての貴族の威厳を物語る。
だが、今はただ静寂が支配していた。問題の扉は廊下の突き当たりにあった。精緻な細工が施された重厚な木扉。彫刻には蔦と獣のモチーフが絡み合い、まるで生きているかのよう。ベランが言うには、鍵でも押しても引いても開かなかったという。
アルディオは指先で木肌をなぞり、ルーン文字を探った。微かな魔力の感触――封印術の簡易的な結界だ。
「簡単だが厄介だな。外からの力にはびくともしない」
彼の声は低く、しかし冷静だった。黒曜隊時代、こうした結界を解いた記憶が蘇る。敵国の要塞、魔術師の隠れ家。どれも血と鉄の戦いだった。
左手で短剣を構え、ルーンを念じると、刃が淡く光を帯びる。黒曜隊の術式が、彼の指先に宿る。それを扉に触れるようにかざし、ひと息。
「解呪――」
光が扉の表面を走り、刻印がほつれるように消える。ゆっくりと扉が音もなく開いた。
「すごい……!」
ベランは思わず息を呑み声を上げ、拍手しかけて手を止めた。アルディオは無表情で一歩踏み込み、室内を見渡した。
室内は小さな書斎のようだった。古い机、書棚、椅子が整然と並び、埃に覆われている。窓はなく、空気は重く、黴の匂いが濃い。だが、アルディオの感覚は何かをおかしいと告げていた。
「……おかしい」
彼は息を潜め、革靴の底で床の感触を探る。微かな違和感。木の軋みではない、金属の微かな響き。
瞬間、机の脚がねじれるように動き、石と鉄の腕が現れた。
「ゴーレムか」
アルディオの声は冷たく、しかし緊張が滲む。家具に偽装した番人が蠢き、書棚からももう一体が姿を現す。石の装甲に鉄の骨組み、赤く光る魔力核が胸部で脈打つ。ベランは声にならない悲鳴を漏らし、後ずさる。
アルディオは懐から小瓶を取り出し、一息に煽った。黒曜隊の秘薬だ。瞳孔が細く、金色に変わり、夜目と反応速度が鋭くなる。
大剣を抜く。金属の冷たい光が室内を照らし、一瞬の静寂が落ちる。ゴーレムが腕を振り上げ、床を砕く勢いで襲いかかる。アルディオは前傾姿勢で滑り込み、腹部の魔力核へ渾身の一撃を振り下ろす。鈍い破砕音。石片が飛び散り、鉄の心臓部が砕ける。ゴーレムは動きを止め、崩れ落ちる。
二体目が迫る。重い足音が床を震わせ、鉄の拳が空気を裂く。アルディオは刃を返し、胴を薙ぐ。刃は石の装甲を割り、魔力核を砕く。火花が散り、ゴーレムは鈍重な動きのまま倒れる。
崩れ落ちる破片の中、アルディオは荒い息をつき、視線を巡らせた。
「大丈夫ですかっ……!?」
ベランの声は震えていた。
「こっちは平気だ。だが、こいつが何を守っていたのか……」
アルディオの目は、書斎の奥に鋭く注がれる。
破片を掻き分けると、手のひらほどの水晶――メモリーストーンが転がり出た。曇り一つない表面。映像や音声を記録する魔道具だ。アルディオは拾い上げ、埃を払いながら小さく息をつく。
「何が入ってるか、試すか?」
「え、ええ……まあ……せっかくですし」
ベランは喉を鳴らし頷いた。アルディオはストーンを撫で、室内の空間に淡い光が揺れる。映像は応接間の光景。
濃い髭をたくわえた中年の貴族と、若い侍女たちが映る。次の瞬間、侍女がゆっくりと衣を脱ぎ、男の膝に腰をかけた。甘い声と吐息が流れ、空気が固まる。ベランの喉が鳴る音がやけに大きく響く。
「あ、ああ……なるほど……」
ベランは顔を赤らめ、目を逸らした。アルディオは眉をひそめ、しかし逸らさずに見届ける。
映像は数分で途切れ、室内に重い沈黙が戻った。だが、その沈黙は妙に可笑しかった。
「……売却前に処分しておけ」
アルディオの声は淡々としていた。
「ええ、もちろん……。しかし、先代もなかなか……道楽が深いと言うか……」
ベランは苦笑した。
「番人まで仕込むあたり、よほど見られたくなかったんだろうな」
アルディオはストーンを握り、軽く笑った。黒曜隊時代、貴族の秘密を暴く任務もあった。だが、こんな滑稽な秘密は初めてだ。
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。書斎の埃が舞い、夕陽が窓から差し込む。
「これで家に買い手がつくといいな」
アルディオはストーンをベランに渡し呟いた。
外に出ると、山の陰が長く伸びていた。赤煉瓦の屋根に夕陽が差し込み、森がざわめく。アルディオは一度だけ振り返った。
「……くだらない話だが、守りたかったんだろうな」
誰に言うでもなく呟き、街へ続く石畳を歩き出す。背後では風に葉が揺れ、何事もなかったかのように静かに世界が続いている。
彼の心には、黒曜隊の記憶がちらつく。血と鉄の戦場、裏切りと死。だが、この夜はただ、滑稽な秘密と小さな勝利だけがあった。それで十分だった。
これが、黒衣のアルディオが封印の扉を開き、隠された秘密を暴いた物語だ。血に染まらぬ剣もあれば、戦乱に関わらぬ旅もある。されどそれすらも、剣士の短き夜話のひとつにすぎぬ。
次に彼がどこを歩くのか、それを知る者は誰もいない。さあ、旅人よ、杯を空にしてくれ。次の物語は、また別の夜に語ろう。
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