黒衣の剣士アルディオ

パクリ田盗作

第1話 ゴブリン退治


 焚き火の揺れる炎を見つめる君たちに、今宵もまたこの吟遊詩人がひとつの話を聞かせよう。


 かつてこの大陸には、すべての王国と都市を統べる巨大な帝国があった。鉄の剣と魔法の力を礎に築かれたその帝国は、長い衰退の果てに中興の皇帝を迎え、再び大陸の隅々までその威光を轟かせた。


 だが、その皇帝が崩御したとき、後継者は定められぬままだった。王子や王女、将軍、そして古き血を引く貴族たちがそれぞれに旗を掲げ、われこそは「正統」をと名乗り、帝国は内乱の時代へと落ちた。


 戦の足音は都で響き、陰謀が闇を縫う一方、遠くの街では戦はただの噂話に過ぎなかった。商人や農夫、職人たちは今日の暮らしを守ることに精一杯で、帝国の運命など遠い話だった。


 そんな街角の一つに、後に「黒衣のアルディオ」と呼ばれる男が立ち寄った時の話だ。




 石造りの門をくぐり抜けたその街は、かつて帝国の交易路が交わる要衝だった。だが今は戦火から遠く、平穏な日々が続いていた。


 昼下がりの市場は活気に満ち、焼きたてのパンと葡萄酒の甘い匂い、香草と脂の香ばしい煙が漂う。


 行商人の呼び声、馬車の車輪が石畳を軋ませる音、子供たちの笑い声が響き合い、遠い戦の噂を掻き消していた。


「うちの領主様は中立を宣言したそうだよ」


 井戸端で女たちが囁き合う。


「はは、信用できるのかい? どうせどこかの旗に靡くさ」


 別の女が鼻で笑うように答える。


「いや、戦なんざ遠い話。この街まで来やしないよ」


 井戸端会議中の女たちは楽観的な声を漏らす。


 この街では時期皇帝の座を争う内乱も、自分たちの尻に日がつかない限り、対岸の火事でしかない。


 市場の片隅では、子供たちが木の剣を振り回し、帝国軍ごっこに興じていた。


 焼き栗を煎るパチパチという音、葡萄酒を注ぐ土器の澄んだ音、遠くで響く鍛冶屋の槌の音。


 それらが混ざり合い、戦よりも日々の暮らしが確かにそこにあった。


 そんな喧騒を縫うように、黒髪に黒革の鎧をまとった男が歩いていく。背には無骨な両手剣を背負い、その姿は旅の剣士のようだったが、瞳には凍てつくような鋭さがあった。


 彼の名はアルディオ。かつて帝国の特殊部隊「黒曜隊」に所属し、暗殺や諜報、魔術戦を担った男だった。


 黒曜隊は皇帝直属の影の部隊で、帝国とその民を脅かすモンスター達や敵国を屠る錬金術による肉体改造と過酷な鍛錬によって鍛えられた精鋭部隊だった。


 だが、皇帝の崩御と同時に起きた部隊内の権力争いなどに嫌気が差し、彼は脱走を選んだ。


 かつての仲間は彼を裏切り者と呼び、帝国の追っ手が今も彼を追うかもしれない。それでもアルディオはただの放浪者、剣と魔法で糧を得る傭兵として生きていた。


 彼の黒革の鎧は使い込まれ、擦り切れた箇所には無数の傷が刻まれていた。それは戦いの歴史であり、彼の過去の断片だった。


 両手剣は黒曜隊時代に鍛えられたもので、刃には微かに魔力が宿り、闇夜でも鈍く光る。


 市場の人々は彼を一瞥し、好奇と警戒の入り混じった視線を投げかけたが、アルディオは気にせず歩を進めた。彼にとって、人の視線は戦場での敵意に比べれば無意味なものだった。




 中央広場の公示版には、雑多な張り紙が貼られた掲示板があった。荷馬車の護衛募集、橋の補修工事の呼びかけ、夜盗退治の依頼。


 どれもこの街の日常を支える小さな仕事の断片だった。その中に、ひときわ粗い筆跡で書かれた紙が目についた。


「畑を荒らすゴブリンを退治してほしい。報酬:銀貨五枚。差出人:農場主バルド」


 アルディオは立ち止まり、その紙をじっと見つめた。ゴブリン退治。名声も富ももたらさぬ小さな仕事だ。


 だが、旅を続ける理由も、この街に留まる理由も持たぬ彼にとって、モンスター退治はかつての任務の残滓であり、今も唯一の糧だった。


 黒曜隊時代、彼は魔獣や敵国や邪教の魔術師を相手に戦った。ゴブリンのような下級モンスターは訓練の的にも満たなかったが、今はそれすらも彼の生きる術だった。


 紙を手に取ると、冷たい風が広場を吹き抜け、焼き栗と香草の匂いが鼻をくすぐった。彼は紙を懐にしまい、市場の喧騒を後にした。




 農場は街外れの丘に広がっていた。夏草が生い茂る道を進むと、土埃と肥料の匂いが鼻を刺す。



 だが畑は無残に荒らされ、木の柵は折れ、トウモロコシや小麦が泥に踏み潰されていた。


 農場の屋敷は古びた木造で、屋根には苔が生え、縁側には腹の出た地主バルドが疲れた目をして立っていた。彼の服は上質だが埃にまみれ、農場の苦境を物語っていた。


「お前さんが依頼を受けてくれたのか……見ての通りだ。夜になると小鬼どもが群れてきやがる。作物を食い荒らし、小作人を脅して逃げ帰らせる」


バルドはあれはただ農場を一瞥して吐き捨てるように言った。


「このままじゃ秋の収穫が台無しだ。家族を養えなくなる」


 声には怒りと疲弊が混じっていた。


「討伐の証としてゴブリンの耳はいるか?」


 アルディオは短く頷き、冷ややかな声で問う。

 モンスター退治依頼には証拠が必要だ。



「ああ、役人に証拠として渡さねばならん」

「退治するだけでいいのか」


 バルドは一瞬、剣士の鋭い視線に気圧された。


「ど………どういうことだ?」

「群れを追い払うのは簡単だ。だがここのゴブリンはクランを形成している。ただ追い払うだけじゃまた戻ってくる。おそらく近くに巣がある。群れにはシャーマンがいて、トーテムを祀っている。それを壊し、頭を討てばクランは崩壊する」


 アルディオは指を二本立てて示した。


「根本から片づけるなら骨が折れる。その代わりに、一夜の宿と食事を寄越せ」

「……わかった。銀貨と宿と飯で手を打とう。耳とトーテムの破片を見せてくれれば、それで十分だ。だが、失敗したらこの農場は終わりだぞ」


 バルドは肩を落とし、苦笑した。


 アルディオは無言で頷き、背を向けた。夕陽が丘を赤く染め、遠くでカラスの鳴き声が響いた。彼の背中には、孤独と決意が滲んでいた。




 夜が更け、月は厚い雲に隠れていた。畑を覆う暗闇は深い墨のようで、静寂が重く垂れ込める。


 倒れた案山子の影に正座し、アルディオは瞑想していた。黒曜隊で鍛えられた集中力は、戦場での感覚を研ぎ澄ます。彼の呼吸は深く、ゆっくりと整えられていた。心の奥では、かつての任務の記憶がちらつく。血と炎、裏切りと死。だが、彼はそれを振り払い、今に集中した。


 小さな足音が土を踏む音が近づいてきた。ゴブリンたちは連夜の襲撃に気を大きくし、物音を隠すことも忘れていた。


 アルディオは懐から小さな試験管を取り出し、中の苦い液体を一息に飲み干す。


 それは黒曜隊時代に調合を学んだ薬草の秘薬。瞳が細く尖り、猫のように夜目を得た。


 闇の中で、ゴブリンの緑色の体、粗末な棍棒や短剣、牙を剥き鼻を鳴らす姿が浮かび上がる。数は二十体近く。烏合の衆だが、油断すれば危険な相手だ。


 アルディオは背から大剣を引き抜いた。刃は黒く、帝国の鍛冶師が魔力を込めて鍛えたものだ。


 一息で地を蹴り、黒衣の剣士は影のように畑を駆けた。一太刀で二体の首が飛び、返す刀でさらに一体が倒れる。ゴブリンたちは呻きもせず土に崩れ、血が作物を濡らした。


「巣分けしたばかりの若いクランか」


 アルディオは浮足立ち、逃げたり、仲間に当たってもお構い無しに武器を振り回すゴブリン達みて呟く。


 戦闘は一瞬の出来事だった。剣士の動きは無駄がなく、まるで闇そのものが刃を振るうようだった。

 本来なら数が多いほうが有利なはずなのに、ゴブリン達は数に邪魔されて壊滅した。


 呼吸を整え、大剣を土に突き立てると、腰から短いナイフを抜く。冷たい刃でゴブリンの耳を切り取り、革袋に収めていく。


 そして比較的損傷の少ないゴブリンの死体に膝をつき、腹を裂いて血でルーン文字を描いた。


 黒曜隊で禁忌とされた死霊術──「アニメイト・デッド」。彼にとってはただの道具だった。


死体は白目を剥き、痙攣しながら立ち上がる。


「巣を案内しろ」


 アルディオが低く命じると、ゾンビはよろよろと闇の中を歩き出した。




 ゴブリンゾンビが導いたのは、丘の裏手に隠れた洞窟だった。


 入り口には二体のゴブリンが見張りに立ち、松明の明かりが揺れている。


 ゾンビが死体と見紛う姿で近づくと、見張りは仲間だと勘違いし、声を上げて笑った。だが、ゾンビが一定の距離まで詰めると、ルーンが赤く閃き、腹部が膨れ上がり血肉を撒き散らしながら爆ぜた。爆発は見張りを吹き飛ばし、洞窟の奥からは叫び声と恐慌の音が響く。


 アルディオは剣を構え、一気に洞窟へ突入した。狭い通路をゴブリンたちが群がってくるが、剣士の歩みは止まらない。


 大剣が闇を裂き、小鬼たちを血と肉の塊に変えていく。刃の重さと速さは、まるで嵐のようだった。


 ゴブリンの短剣が鎧をかすめ、火花を散らすが、帝国の鎧には傷一つつかず、アルディオの動きは揺らがない。彼の戦いは冷徹で、感情の欠片もない。


 最奥には小さな祠。骨と皮で飾られた粗末なトーテムが祀られ、その前にゴブリンのシャーマンが立っていた。


 獣の牙を首にかけ、魔力を帯びた杖を握り、震える声で呪文を唱えかける。


 アルディオは左手で素早くルーンを描き、魔を断つ結界を張った。シャーマンの呪文は途切れ、恐怖に目を見開く。その瞬間、大剣が振り下ろされ、シャーマンの首が岩壁に跳ね、血がトーテムを汚した。


 アルディオはトーテムを一撃で砕くと、残ったゴブリンたちは金切り声を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。


 洞窟には血と煙の匂いが立ち込め、剣士は小さく息を吐いた。シャーマンの首と砕けたトーテムの破片を革袋に収め、彼は洞窟を後にした。背後で、崩れた岩がゴロゴロと音を立てた。




 翌朝、街の広場でアルディオは農場の地主バルドに証を見せた。血に汚れた革袋からゴブリンの耳とトーテムの破片を取り出すと、バルドは目を丸くし、言葉少なに銀貨を渡した。


「……これで終わったんだな。よくやってくれた」


 アルディオは無言で頷き、農場の粗末な離れに腰を下ろした。約束通り、バルドの妻が用意した朝食が運ばれてきた。


 焼きたてのパンは外はカリッと香ばしく、中は温かく柔らかい。シカ肉のステーキはローズマリーとタイムの香りが濃く、肉汁が舌を満たす。泡立つ麦酒の冷たさが喉を潤し、戦いの疲れを癒やしていく。


 アルディオは黙々と食べ、皿の隅に残った油まで指で拭い取った。戦場を離れた今、こんな瞬間が彼にとって唯一の休息だった。


「剣士様、どこから来たんです? これからどこへ行くんですか?」


 バルドの妻が遠慮がちに話しかけてきた。アルディオは一瞬、彼女を見たが、答えなかった。彼の過去は語る価値のないものだったし、未来はただの闇だった。彼女は気まずそうに笑い、厨房に戻った。




 それは一つの戦の終わりであり、また次の旅の始まりだった。


 アルディオは銀貨を懐にしまい、農場を後にした。丘の向こうには新たな道が続き、彼の足音だけが静かに響く。


 黒衣の剣士、アルディオ。誰の旗も掲げず、ただ剣と魔法で糧を得る放浪の傭兵。帝国の内乱も、王家の陰謀も彼には関係ない。それでも、彼の刃は確かに世界の小さな一片を変えた。




 ……とまあ、私が知る限りの話はここまでだ。


 黒衣の剣士、アルディオ。

 誰の旗も掲げず、ただ剣と魔法で糧を得る放浪の傭兵。


 帝国の内乱も、王家の陰謀も関わりなく、それでも確かに世界を変えた名もなき戦いの記憶。


 さあ、旅人よ。杯を空にしてくれ。

 次に語るのはまた別の夜の話としよう──

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