第3話 やりたいことリスト
朝の光がカーテン越しに差し込む。
ベッドの上で目を開けた僕は、ほんの少しだけ息を吐いた。
昨日、僕は初めて「生きたい」と言った。
その言葉を口にしてから、心の奥に小さな灯りがともっている気がする。
不思議だ。
昨日まで、どうせ何も変わらないと思っていた世界が、少しだけ色を変えて見えた。
看護師の桐野まどかさんが病室に入ってきた。
彼女は柔らかな声で「おはよう」と挨拶する。
「昨日はありがとう。……あのあと、ちゃんと先生に伝えたからね。
"綾瀬さんはまだ生きたいって言ってる”って」
「……うん、ありがとう」
それだけの会話なのに、胸の奥にじんわり温かさが広がった。
「それでね、綾瀬さん。
これからどうするか、少しずつでも考えていけたらいいと思うの。
もし“やりたいこと”とか“行ってみたい場所”があるなら、聞かせてくれない?」
"やりたいこと”。
その言葉が、頭の中に静かに降りてきた。
病室の天井をぼんやり見上げながら、今まで自分ができなかったこと、置いてきてしまったものを思い返す。
「学校に行ってみたい」
ふいに、口からこぼれた。
「前に通っていた学校。ずっと病院にいたから、もう校舎がどうなってるかも分からなくて……。
できれば、自分の机とか、ロッカーとか、見てみたいなって」
桐野さんは、優しく微笑んだ。
「それ、いいね。きっと懐かしいと思うよ」
少しだけ勇気が出て、もう一つ言葉を重ねる。
これは家族に頼んだ方がいいとは思ったけど、でも自分で見てみたいこと。
「……家に帰ってみたい。
自分の部屋もだし、昔のアルバムとか、家族で撮った写真も見たい。
あの……家に置いたままの端末、写真も音も残せるやつを取りに行きたい」
思い出すのは、家の廊下、薄暗い自分の部屋、棚の奥にしまい込まれたアルバムの手触り――
それを開いて、自分が確かに生きていた日々をもう一度手繰り寄せたかった。
「それ、全部……とても素敵なことだと思う」
桐野さんが、そっと僕の手に触れてくる。
「“やりたい”って思うことがあるなら、それがきっと――今のあなたの未来だよ」
少し照れくさくて、でも嬉しかった。
僕はうなずいて、机の上に置かれた紙切れの裏側に、ボールペンで文字を書いた。
“やりたいことリスト”
1. 学校に行く
2. 家に帰ってみる(アルバム・端末を探す)
たった二つだけれど、それがこの場所で、僕がもう一度「生きてみたい」と思った理由になった。
父さんと母さんの言葉、先生の言葉、桐野さんの言葉。
全部が、今この小さな紙の上に重なっている気がした。
それでいいんだ、と思った。
それだけで、今日を過ごす理由になる。
やりたいことができた。
もう一度、前を向く理由ができた。
「……ありがとう、 桐野さん」
桐野さんは微笑んでうなずく。
病室の窓から見える空は、昨日よりも少しだけ明るかった。
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