第2話 「まだ、生きたいって思ってるのに」

 それは、両親がここを去るまであと2日のことだった。


 朝の検温も終わって、廊下のざわめきが少しづつ落ち着いてきた頃。

 いつも通りベッドの上で、ゆっくりと身体を横にしていた僕の元に、一人の足音が近づいてきた。


 ガタンッと勢いよく扉が開く。



「……っ、綾瀬さん!」




 ドアの音と呼ばれた声に思わず顔を向けると、そこには息を切らした様子の桐野まどかさんが立っていた。

 看護師の制服の襟元が少し乱れていて、手には何も持っていたない。

 急いできたからか、ドアに少しだけ持たれかかるようにまだドアノブを握っている。


 いつもなら笑って接してきてくれる看護師さん。

 それがいつもと違うだけでこんなにも胸騒ぎがするものだろうか?


 息を切らしていた桐野さんは呼吸を整えて、もう一度一呼吸すると真っ直ぐこちらを見つめて聞いてきた。




「綾瀬さん、あなた……安楽死を受け入れるって本当なの?」




 ガツンッと頭を殴られたかのような衝撃が走った。

 言葉の意味が理解できるまでに時間がかかる。


「え……?」


 情けない声だと思う。けど、それしか言葉がでなかった。

 けれど、桐野さんの顔は本気だった。ただの早とちりできたわけでもない。

 確信か、何かがあるようなそんな雰囲気と表情。



「待って……僕、そんなこと言ってない。そんなのッ選んでない!」



 ようやく言葉にできたのに気持ちは整理はつかず、少し声を荒げてしまった。

 震える口元から全身に伝わるように体が強張っていく。


 なんで、そんなことになっているのか。

 僕はいつそんなことを言ったのか、と頭の中でこれまでの事を思い出そうとする。


 桐野さんはそんな僕の様子をみて、少し安堵した。が、すぐに気を持ち直した表情になった。



「やっぱり……でも、じゃあ、どういうことなの。」



 彼女はゆっくりと病室に入ってきた。

 そして僕のベッド近くにあるパイプ椅子を手に取り、広げてなるべく近くによって座った。



「さっきね、先生と……どれからご両親と私は一緒に居たの。体調の経過だったりを話されると思っていたら、目の前で話し出したのはあなたの安楽死のことだった。

先生が渡した同意書に、サインもしていたのよ。ふたりとも、決めてたことだったって当然のような流れみたいに。」



 息が詰まる。


 そんなまさか。昨日も一昨日も、家族とそんな話を一言もしていなかった。

 先生だって初日に説明をしてきてくれたキリで……。



「僕……何も聞いてないよ、桐野さん」



 そう答えると、桐野さんはベッドサイドに置いておいた冊子を手に取る。

 それは先生が渡したくれた『終末選択支援制度』が書かれたものだ。



「この冊子でどこまで聞かされてる?同意書であなたのサインは……まだないのね」


「聞かされたのは冊子の……少しお借りします。」



 桐野さんから冊子を受け取り、先生が開いてくれたページの端が折ってある場所を開く。

 【対象者について】【選択肢について】が書かれているこのページで間違いない。


 その場所を指で刺して口頭でも伝えると、桐野さんは顔をしかめる。



「あの先生やっぱり言ってないじゃない……!」



 少し怒りの滲んだ声から僕の知らないことがどうやらあったらしい。

 もう一度僕と目が合ったあと、冊子の小さく書かれた場所を教えてくれた。




「この、小さく色々書かれてる場所に紛れてるの。この6行目。未成年の患者が安楽死を選択する場合、本人の意思に加えて、法定代理人__つまり親の同意が必要だって。」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


*本人が未成年または判断力に著しい制限がある場合、代理人(保護者など)による確認・同意が必要となります。

 本制度は論理指針に基づき、国際人道支援ガイドラインに準拠しています


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 確かに小さくはあるものの、親の同意が必要だと書かれている。

 先生は伝え忘れていたかもしれないけれど、何故僕の両親は聞いてくれなかったんだろう。


 疑問と困惑、そして両親への静かな怒りがでてきた。


 まどかさんは一泊置いて、静かに続けた。



「このままだと君自身の意思確認がないまま、同意したものとみなされる可能性の。ガイドラインに書いてあるって言っても今の日本はてんやわんや。それにこれを確認してない先生じゃどうなるか。」



「……嘘、でしょ。」



 こんなの勝手すぎる。僕が知らなかったままなら、両親が出ていくその日に僕は安楽死を迎えるということだ。


 鼓動が早くなる。

 喉も乾いていく。

 父さんはともかく、母さんは罪悪感でも背負って接してきているのは感じていた。それは僕が生きていくことに希望がないと、すでに結論を出していたから。


―――自分ではなく、周りが”死ぬ日”を決める。


 こんなにひどい話は今まであったことがない。




「綾瀬くんは、どうしたい?それを先生にもはっきり伝えるべきだと思うの。私じゃ止められない、本人じゃないから。間違ったまま手続きが進んでしまったら……もう、取り返しがつかないの。」



 そうだ。こんな風に、勝手に決められてたまるもんか。

 


「僕、死にたいなんて思ってない。」


「僕はまだ、生きたいって思ってる。」



 ようやく口からこぼれた本音。

 これから生きていくのは大変だ。なんせこの身体なのだから。

 それでも僕はこの地球で最後まで生きていたい。



 桐野さんは優しく微笑んだ。



「うん。ありがとう、教えてくれて」



 彼女はそう言うと、椅子から立ち上がる。


「私も先生に伝える。言ってるのと言ってないのじゃ変わるからね。

だから……大丈夫。一人で抱え込まないでね」



 僕は小さくうなずいて、すぐに顔が歪むのがわかった。

 目の奥が熱くなって頬を涙が伝う。


 ああ、まだ生きたいと思えていたんだ。

 それがこんなにも、苦しくて、でも少しだけ……救われた。

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