第8話:仮面の裂け目、告げられぬ素顔

――あなたは、どうしてそんな目で私を見るのですか。


イレーヌ嬢襲撃未遂事件の翌朝。

王宮は、どこか張り詰めた空気に包まれていた。


表向きは「誤報」として処理されたものの、内部では動揺が走っている。

騎士団の巡回は増やされ、宰相派の関係者は“聴取”という名の監視下に置かれていた。


だが――王太子だけは、妙に静かだった。


「……昨夜の件、ありがとう。ミレイユ嬢」


ルキウス殿下は、朝の控え室で、あえて二人きりの場を作っていた。


「礼には及びません。わたくしは、王妃候補の教育係として――」


「いや、教育係が命を張る必要はない。

それでも君は、あのとき“戦った”。……それが何者であれ、僕は感謝している」


私は言葉を失う。

彼の声は静かで、優しい――だが、それだけではない。


何かを、見抜こうとする目だ。


「君は、《ナイチンゲール》だろう?」


その名が、また口にされた。


今度は――王太子本人の口から。


「……なぜ、そのような結論に?」


「確信はない。ただ、僕の身を守ったのは、“殺す技術”を知っている者だった。

そして、イレーヌが生き残った。――君以外に説明がつかない」


彼の目は、強く、真っ直ぐだった。


「正体は問わない。君が何者でも構わない。

でも――教えてほしい。“君自身の言葉”で、君は何者なんだ?」


その言葉に、私の中で何かが揺れた。


“君自身の言葉”で――

それは、かつて一度も求められたことのなかった問いだった。


私は、仮面をつけたまま答える。


「わたくしは、ミレイユ・クローデル。王妃候補の教育係にございます」


「それだけじゃないだろう?」


「それ以上を答える義務は、わたくしにはありません」


「……なら、信じてくれ。僕は、君を利用しない」


一瞬、私は彼の言葉を疑いかけた。

けれど、その瞳は、私が知る“闇”のどれとも違っていた。


そのとき、不意に風が吹き、私の仮面の紐が緩んだ。


「っ――」


ぱたりと、仮面が片方だけ外れ、頬の上半分が露わになる。

私は慌てて手で覆おうとするが、遅かった。


ルキウスは、その一瞬の“素顔”を、見ていた。


「……ああ」


彼は、何かに気づいたような顔をして、そっと目を細めた。


「君は、“ただの仮面”なんかじゃないんだな」


「……見るべきでは、ございません」


「でも、見てしまった。……そして、もう戻れない」


彼の言葉に、私はかすかに震えながらも、仮面をかけ直した。


「殿下。どうかこれ以上、わたくしの中に踏み込まないでください」


「それは、命令かい?」


「お願いでございます」


ルキウスは、静かに頷いた。


「なら、ひとまず聞こう。……でも、僕は忘れない。

君のあの目が、“生きていた”ことだけは」


その夜。

私は仮面を外し、鏡の前でしばらく自分の顔を見つめていた。


今まで、この顔に何の意味も見出してこなかった。

ただの“暗殺者”の器、任務をこなすための顔。


けれど――

ルキウス殿下に見られた“わたくし”は、果たしてそれだけだったのだろうか。


胸の奥に、言いようのないざわめきが残っていた。


それは恐れか。

それとも、ほんの少しの期待か。

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