第14話 母一人子ひとり

 一通り話を聞いた袴田は礼を言い、再訪問の断りを入れて西山ビルサービスを後にした。平日のハピネスタウンはさほど混雑していないが、午後をすぎて学生の姿が散見された。


 畠山と同じスカイブルーのつなぎを着た清掃員の姿を見掛けた。畠山より一回り若いが中年には達していそうな女性が大きなカートを押して館内を巡回している。ゴミ箱の前まで来ると中身をチェックし、溜まっていればゴミ袋ごと回収してカートに積み、新しい袋を装着する。スカイブルーのつなぎはまるで擬態しているかのようにハピネスタウンと調和し、注意しなければ視覚に入らない。


 いまは畠山の言っていた「早番」の時間で、彼女も石川千紗と同僚だったことになる。年は離れてはいても親しくしていたのか、大人しい性格の石川とは距離があったのか。死を知ったら何を思うだろう。


 石川はアイドルになりたかったという仮説を畠山は否定した。そういう素振が見えなかったのもあるが、石川の容姿が畠山の描くアイドルの基準に達していないせいだ。しかし今はアイドルグループが乱立し、容姿のレベルにもバラつきがある。石川もメイク次第で変わる可能性もあり、必ずしも不適格とは言い切れない。


 母親がもう長くはもたないと聞かされていたにもかかわらず、わざわざ休暇を取ってまでアイドルを観に行った理由はなんだったのだろう。アイドルへの憧れからではないのか。なぜ殺されたのか。IDOL SUMMER STAGEが初めてのライブだとすると、いつどこで殺害されるほどのトラブルが起きたのか。


 学生服の集団とすれ違った。男3人に女2人で手を叩いて笑いながら歩いている。クラスの1軍といった陽気さといくらかはみ出した空気をまとい、青春真っただ中の放課後と言った様子。

 石川千紗もまだ22歳、進学していれば大学4年生だった。母親の看病のために犠牲にしたものも多く、遊びにかける金も時間もなかっただろう。


 母親の死は辛くもあるが、自分の人生を再スタートする転機ととらえていたとは考えられないだろうか。ようやく母親から解放される。自分に時間やお金を遣えるとこれからの人生に希望を抱くのはおかしいか。


 館内の案内板を確認すると3階にレストラン街、1階にフードコートがある。甲府の名物で思い浮かぶのはほうとうでもその手の店は見当たらない。袴田はフードコートのうどんを選んだ。館内はエアコンがよく効いていて汗はとっくに引いていた。


 平日の午後は閑散とまではいかなくても空席が目立ち、袴田は壁際の席に座ってうどんをすすった。母親の入院費を工面しながら生活費もまかなった石川は、節約した生活を送っていたのだろう。これと言った趣味もなく生きてきたのが、ようやく出会ったのがアイドルだったのか。


 芸能人にしてあげると騙して金品を巻き上げたり、レッスンを受ければデビューできると唆され肉体関係を迫られたケースは枚挙に暇がない。石川も同様の手口に引っかかり、どうにかやりくりして金を支払ったものの連絡が取れなくなり、その相手とアイサマで遭遇して問い詰めたところ逆上した相手に殺害された、との想定も成り立つが、母親の看病と仕事に追われていた石川にそういう相手と出会う機会があったとは考えにくい。

 しかしアイドルに対して少なからず興味を抱いていたはずだ。見る側か、やる側か。それともアイドルは関係なく、殺人現場に選ばれたのがたまたまあの公園だっただけだろうか。



 翌日、石川千紗の母親が死去したとの一報が捜査本部にもたらされた。余命僅かな母親に娘が何者かに殺害された事実を伝えればショックを受け、状態が悪化するからと袴田は母親との面会を回避したが、そのかいもなく死去した。


 IDOL SUMMER STAGEが開催された7月1日時点でかなり危険な状況だったという。にも関わらず、なぜ石川千紗はアイドルを見に行ったのか。これまでの情報を鑑みると熱心なファンとは言い難い。休暇を取ってまでいった動機は何だったのか。


 マテリアドールの所属事務所、スクラブルはインターネット上で新人アイドルを募集していた。石川千紗はそれを知って下見でアイサマに来場し、マテリアドールのメンバー、日野ゆいかの特典会に参加したのではないか。よそよそしい様子だったと日野はその時の様子を話したが、長身小顔のモデル並みのスタイルを誇る本物のアイドルを前に己の力量不足を知った。アイドルへの憧れはあったが、あくまでも夢で、手の届かない存在と理解したのか。それとも初めからただのファンに過ぎなかったのか。

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