第13話 身元判明
遺体発見から10日を経て、ようやく捜査本部に目ぼしい情報が寄せられた。1週間以上連絡の取れない女性がいるという。山梨県在住のアルバイト従業員22歳。会社は出勤してこないことを不審に思っていたが家族とも連絡が取れず、警察への届け出をためらっていたのがようやく届け出たという。
確認のため袴田が山梨に飛んだ。確証はないが予感はあった。年齢、日時、距離、全ての糸が被害者と絡みあっているように思えた。
甲府駅を降りると駅前に建つ巨大な武田信玄像に迎えられ、山梨県に来た実感を得た。東京生まれ東京育ちの袴田は、時折地方出身者の地元意識に驚かされる。地元の英雄は長い年月を経ても英雄であり続ける。春夏の甲子園に対する関心も東京とは比較にならず、逆に東京はなぜそんなに冷めているのかと不思議がられたことがあった。スポーツでも在京チームという理由だけでは応援の決め手にはならず、その辺りにも東京と地方の差を感じる。
信玄像の威圧感とは対照的に周囲は地方の主要駅特有ののんびりとした印象を受ける。しかしとにかく暑い。盆地だけあって東京に輪をかける猛暑にハンディファンを手にした人が多く、袴田も扇子で仰ぎながら歩いたが日傘の購入を検討した方がよさそうだ。
ほどなく左側に山梨県警本部が入る山梨県防災新館が見えて来た。山梨県庁に隣接されたこのビルの5階から9階に山梨県警本部が入っている。
対応してくれた生活安全企画課長の
笹本は履歴書の写真のコピー、仕事中に撮った写真、忘年会でのものと被害者が写った3枚の写真を差し出した。行方不明者届の提出者が用意したもので、袴田も動画からプリントアウトした写真を提示した。
「本人で間違いなさそうですね」
写真を見比べて笹本が言った。袴田も同感で顔や背格好だけでなく、服装や髪型もまるで同じ作者の作品のように似通ったもの。ただしファッションへの関心は低そうだ。女性は
「現在22歳です。でしたと言った方がいいですかね。職業は清掃員でした。『ハピネスタウン甲府』というここからクルマで15分ほどのところに建つショッピングモールに勤務していました。所属は『西山ビルサービス』という清掃なんかを請け負うビルメンテナンスの会社で、この石川さんもハピネスタウンの館内を巡回して清掃したりごみ箱を片づけたりといった業務に従事していました。高校卒業以来ずっとここで働いていたそうです」
「高校を卒業してからというと3、4年になりますね」
「物静かであまり人付き合いをしない子だったということです。同僚には高齢の人も多いらしくて、そういう環境だと若い子は嫌がりそうなものですけど、性に合っていたようです」
物静かというのは袴田が抱いていたイメージと一致する。
「その彼女が出勤日に出勤してこなかった。無断欠勤する子じゃないので不審に思ったものの本人とも家族とも連絡が取れず、しばらく様子を見ていたそうなんですが、やはりおかしいということで西山ビルサービスの方が相談に来られました」
「家族と連絡が取れないというのはどういうことですか?」
「石川さんは母親と二人暮らしで、お母さんは元々病気がちで入退院を繰り返していたのが、現在はかなり状態が悪くてもうあまり持たないだろうということです。会社から病院に連絡を入れたそうですが、そういった状況ですので尋ねたところで事情は分からないでしょうし、娘の不明を伝えるのはどうかと言われ報告を見合わせたとのことです。こちらからも病院に連絡したのですが、やはり同様の理由で接触は見合わせました」
「そんなに悪いんですか?」
娘の安否すら確認できないとはただごとではない。
「余命いくばくもないようです」
「母親と二人暮らしだったということは、その石川さんは清掃のアルバイトの収入で母親の面倒を見ていたということですか?」
「ひとりでしっかりやりくりして、滞ることなく入院費用を払っていたとのことです」
「やはり娘さんが亡くなったことを伝えるのも控えた方がいいでしょうかね?」
「どうでしょう。本来なら伝えるべきでしょうけどねぇ」
口ではそう言いながら否定的なニュアンスがこもっていた。
「西山ビルサービスの事務所もありますので、ハピネスタウン甲府に行って直接話を聞いてみてはいかがですか?亡くなったことを伝える役目をお任せすることになってしまいますが」
袴田はタクシーでハピネスタウン甲府へ向かった。徒歩で行ける距離ではないし、なにより歩くのすら躊躇われる暑さだ。
サービスカウンターで来店目的を告げると従業員入口を案内された。窓口の警備員に事情を話すと内線電話をかけてくれ、やがてあらわれた50代半ばと思しき女性は
動画からプリントアウトした写真を見せると、畠山は「石川さんで間違いないと思います」と言ったきり黙った。
「先週、都内で遺体で発見されました。事件に巻き込まれたものとみられます」と概略を告げると息をのんだ。覚悟はしていたようだが、それでも顔から血の気が引いて行くのが見て取れた。
「欠勤が続いたとのことですが、最後に出勤したのはいつですか?」
「6月30日です」そらで言ったのは何度も確認済みだからで、6月の最終日、IDOL SUMMER STAGEの前日だ。「翌日の日曜日は出勤のシフトでしたが、休暇届を出していました。日曜日は沢山のお客様が来館して忙しいので人数が多い方が助かるのですが」
「休暇の理由はご存じですか?」
「プライベートを詮索するのはご法度になりましたから、特に聞かずに許可しました」
何がパワハラ認定されるかわからない時代だ。
「石川さんは正社員ではなくアルバイトと伺っていますが」
「3年ほど前から弊社でアルバイトとして働いていました。朝9時から午後5時までの早番の担当です。週五日勤務で火曜と金曜が休みでした」
「正社員になりたいというような希望はなかったんですか?」
「長く勤務しているとそういう話が出ることもありますが、石川さんからは特にそういった希望は聞いておりません」
こういったところにも人間性が見て取れる。
「休暇を申請することはよくあったんですか?」
「記憶にありません。だから余計に理由を聞きにくかったんですよ。いつもきちんと働いてくれてますから。遅刻もしませんでしたし」
アイドルイベントは週末開催が多いが、土日出勤で休暇もろくにとらなかったとすると、日程のあう日だけ参加していたというより、アイドルイベント自体あまり経験がなかったのではないか。
「何か事件に巻き込まれるような心当たりなどはありますか」
畠山は迷わず首を振った。
「そういう子じゃありません。本当におとなしくて真面目な子でした」
誰にでも裏の顔はあるものだが、袴田の意志を察したように続けた。
「あの子はお母さんが病気で、そのお世話で大変でしたから遊ぶ暇もなかったと思いますし、余計なことに使うお金もなかったんじゃないでしょうか。着ているものや持ち物なんかにもお金をかけていない様子でした」
「お母さんはかなり危険な状況だと聞きましたが」
「ガンで、もう相当なところまで来ていると話していましたから、石川さんも覚悟していたのではないでしょうか」
しかしその母親より先に自分が命を落とした。彼女の身に一体何が起きたのか。
「石川さんはアイドルは好きでしたか?」
その問いに、きょとんとした顔を見れば答えを聞くまでもなかった。
「アイドル、ですか?彼女からそういう話は聞いたことはないですが」
しかしアイドル好きを公言することを恥ずかしがる人もいる。物静かな人なら殊更そうなる。
「休憩時間や通勤時に音楽を聴いていたりしませんでしたか?」
「イヤホンをしてってことですよね?そういう姿をみたことはありませんねぇ。彼女は本を読むのが好きなようで、文庫本を読んでるのは見たことがありますけど音楽好きの印象はありません」
「アイドルグッズ、例えばバッジやキーホルダーをカバンにつけていたりとかは」
「そういうのも見た記憶はないですねぇ。なんですか、そういうイケメン好きみたいな印象もありませんし」
ここで行き違いがあったことに気が付いた。女性に対してアイドルの話をすれば男性をイメージして当然だ。
「アイドルというのは女性の方です。石川さんは亡くなった当日女性アイドルが出演するイベントを訪れていたようです。そこで何らかのトラブルに巻きこまれたと思われます」
「女性のアイドル。石川さんが」と困惑気味に反芻した。畠山には的外れな質問でしかなかった。
「彼女の口からアイドルの話を聞いたことはありませんか」
「全く記憶にありません」と言い切った。
「石川さんが、自分がアイドルになりたいと思っていたということはありませんかね?」
畠山はとっさにテーブルに置かれた写真に視線を落とした。そこには手が加えられていない眉毛に目尻の下がった奥二重、顔全体に平面的な印象を抱かせる低い鼻筋、申し訳程度の薄いメイクの石川千紗がいた。畠山は緩みかけた頬を引き締め、言葉を選んだ。
「そういったことは聞いたことありませんねぇ。アイドルですか・・・。こういう言い方はよくないかもしれませんが、自分がアイドルになれるかどうか判断できない子ではないと思いますよ」
ぎこちない口ぶりでも言わんとしていることは伝わった。写真の女性は袴田の目にもアイドルとは縁遠く見えた。何らかのレッスンを受けていたか否かは聞くまでもなく、この話題を続けては彼女の名誉を傷つける。
「石川さんのSNSのアカウントなどはご存じないですか」
「わからないですねぇ。彼女とはよく話した方ですけど、年齢が離れてるんで私生活は詳しくは知りません。ですけど友達があまりいなかったようで、そういうのをするタイプじゃない気もします」
畠山は自分はやらないからだろうが、SNSをとっつきにくいものととらえているらしい。知らないのは分かった。
「石川さんはお母さん以外のご家族は?」
「警察でも話しましたが、幼い頃に両親が離婚して、それからはずっとお母さんと二人暮らしと聞いています」
「近くに頼れる親戚もいないような」
「そのような感じだと思います。親類の話は聞いたことありません」
「彼女が何かトラブルに巻き込まれていたとか、そういう話を聞いたり、変わった様子を見せるようなことはありませんでしたか」
さっき聞いたことを再確認した。
「警察へ伺った時も聞かれたんですが、最後に出勤した日も淡々と仕事をしていて、普段通りの印象しかなかったです」
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