6-3

女性は紅い桜の根元に座ると、幹を背もたれに本を読み始めた。

猛毒のガスが充満しているこの場所では、そう長くはいられないだろう。

「あの人がね、あなたの側で読む本が一番楽しかったって言ってたから。いつか絶対に同じことしてやろうと思っていたの」

眠そうに目をこすりながら、女性はふふっと品良く笑った。

「やっと本当に願いが叶ったわ」

『う・・・い』

「ありがとう。私とあの人を出会わせてくれて」

その言葉に紅い桜の何かが溢れ出した。

溢れ出した何かがなにか・・・紅い桜には分からない。

けれど、温かくて優しい何かに全てが満たされていくような感覚に紅い桜は枝を目一杯、月に向かって伸ばした。


みしり


ばき


からん


枝が折れ、落ちていくなか女性は動じることなく紅い桜を優しく見上げている。


『ありがとう』


紅い桜の最期の言葉。

その言葉と同時に紅い桜の花びらの色が白色に近い臼ピンク色へと姿を変えた。

月明かりに照らされて更に白色に見える花びらが、一斉に舞い上がり風が踊らせる。

その中心にいる女性と、全ての花びらを失い、枝が折れた紅い桜にはその光景が星空の中にいるようだった。

「おやすみなさい」

幹を抱き締め、小さく口づけると女性は本を胸に抱いて紅い桜の側に横たわった。

舞い踊った薄ピンク色の花びらがふわりふわりと女性の身体の上に降り下りていく。

黒色と灰色の世界に敷き詰められていく花びらの絨毯。

全ての花びらが絨毯となったとき、紅い桜の幹は音も無く静かに崩れ落ちていった。


後にこの景色を遠くから撮影していたメディアが桜の奇跡として写真を公開するのはもう少し先の話である。

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