第3話 幽霊部員。
翌朝、カーテンを開けると昨日の様な雨はどこへやら。
私はベッドから身を起こすと、ぐいーっと背伸びをする。そして、いつもの様に登校準備を整え、部屋から出るといつもは見たくもない鏡の前に立ち、前を向く。
一応これでも洗顔などはしているので、普段から鏡を見てはいるのだけれど、今まではすぐに顔を下ろしてしまっていた。
「よし、今日こそは……!」
私は一体何にそんなに気合を入れているのか、自分でもよく分からなかったけれど、自分の顔をまじまじと見つめ、ドラッグストアで買った安物の洗顔料を手の平に付けた。
水を少量かけてよく手のひらで泡立てて、顔にまんべんなく塗りたくる。
正直、今まで洗顔の仕方もロクに分からないくらい、適当に洗っていた。
そして、洗顔方法が容器に書いてあるのを知ったのは、顔をジャバジャバと雑に洗い流してからだった。
「こんなところに書いてあったなんて……全然気付かなかった」
これまでクラスメイト達と話す事が無かった自分にとって、田原君と初めて会話できたことが、こんなにも自分の気持ちを高揚させているのだと気付いた。
私は顔をタオルで拭きながら、「もっと美容に気を付けていこうかな」なんて独り言を言い、洗濯機にタオルを放り込むと、自室に戻り学校に行くためカバンを手に取る。
「多分、今日は釣りには行けないな……」
昨日の雨の影響で海は増水し、とてもじゃないけど釣りができる状態ではないと容易に想像がついた。私は昨日押し入れの中から発掘したリールをカバンの中に入れ、階段をトントン、と軽快に下りた。
釣りには行けないけど、今日はリールの手入れでもしようかな、なんて考えながらいつも通りおばあちゃんの作ってくれたお弁当を持ち、リビングで仲良く
「あれまぁ、なんかいい事あったんかね? 今日はいつもより元気いいのね!」
おばあちゃんが上がり
————————————
普段は教室内で独りぼっちで、周りの目を気にしてビクビクしていた私だけれど、
今の私には一人、趣味の事で話せるクラスメイトが出来たのだ。
「おはよ—、西尾さん。今日は部活あんの?」
私の席の隣に座った田原君は、机の上にドカッとカバンを乗せると教科書を取り出し、ノールックで机の中に押し込んでいた。
結構雑なんだなぁ、なんて思いつつ「部活自体はあるけど、釣りには行けないかも」と私が言うと、なぁんだ。と大きくため息をついていた。
「じゃあ今日はまっすぐ帰ろうかな。勉強もしなきゃいけないしなぁ」
田原君はカバンを机横のフックにかけ、ちょっとばかり不満そうな顔つきで椅子に腰掛けた。
雨が降った翌日は、川も海もとてもじゃあないけど釣りなんてできない。けれど何となく田原君の気持ちもわかる。
「え、何、田原君って、西尾さんと友達だったん?」
不意に掛けられた女性の声。田原君の席に横に立っていたその子はクラスメイトの『豊田 志保』さんだった。
彼女はこのクラスでカースト上位に立っているギャル。サラサラで艶のあるキラキラした金髪のロングヘアーで、顔もとてつもなく小顔、目はくりんとしていて大きな瞳、長いまつげに二重。誰しもが羨みそうなモデル体型で、身長も170センチ近くある。
膝上何センチだろうか、ギリギリまで詰めた短いスカート。少し前屈みになっただけで下着が見えてしまうだろう。
彼女のようなきれいな女性に憧れて、一時期は高いシャンプーや化粧品なんかも買って試しては見たものの、やはり土台が違い過ぎるのだ。すぐに凄惨な現実を突き付けられ、私は『自分磨き』を早々に諦めた過去がある。
「あぁ、西尾さんは部活仲間。昨日話したばっかりだよ」
「そうなんだぁ! 西尾さん、そういう訳だから、宜しくね」
そう言って彼女は去って行った。
恋愛経験に乏しくて誰とも話した事が無いような私でも、今の豊田さんが発した言葉の意味くらいは分かる。
おそらく、豊田さんは田原君の事が好きで、私を牽制してきたのだろう。明らかに田原君と私に対しての声のトーンが違っていたのもそのせいだろう。
安心して、私は田原君とはそういうんじゃないから……。
そう、私は別に田原君の事が好きという訳では無い。『部活仲間』ができて嬉しいだけ。
あの後、私の心の中で豊田さんのトーンの低い言葉が私の心を
結局、放課後まで気持ちが落ち着かなかった私は「今日は家に帰るわー」と言った田原君と教室で別れ、一人で部室に向かう。
今朝方までウキウキしていた私はもう消え失せて、今までの様に黒子に徹するが如く背を丸め、廊下の端を歩きながら部室まで向かった。
「おお、来たか。おや、昨日一緒に来た田原君はいないのかい?」
「彼なら今日は来ないですよ。元々見学しに来ただけですし」
「なんだ、随分とご機嫌斜めの様だね」
部長の言葉に、私は「そんな事無いですよ」とだけ言い、席に着く。自分でもぶっきらぼうだったという自覚はある。
私は自分のカバンから父親のリールを取り出すと、リールのフォルムを優しく指でなぞる。はぁ、せっかく気分よくリールのメンテナンスが出来ると思っていたのに、さっきの教室での出来事で私のテンションはだだ下がりだった。
「ほう、これまた随分年季の入ったリールだな。もう廃盤になってるやつじゃないかね」
「分かるんですか?」
いつの間にか私の隣にいた部長は、私が持っていたリールを覗き込むようにまじまじと見つめている。
「あぁ、もちろん分かる。でも見た限り、おそらく塩噛みしているな」
塩噛みとは、海釣りなどでリールの中に海水が入り込んで、乾燥した後に塩分が結晶化してリールの動きが鈍くなってしまう状態の事を言う。
小さな頃に父親からこのリールを貰って、何度か使って、ろくに手入れも行わずに押し入れにしまったまま忘れてたんだ。
しかし、見た目的にはそれほどまでに塩噛みしているようにも見えない。
ちなみに、入部してから部活用に購入した釣具はこの部室に置いてあり、釣りから帰ってきたらすぐに真水で洗って、しっかりと乾燥させ、必要に応じてリール用のオイルを注入している。塩噛み防止用のスプレーもたまに使用している。
「このリールは、私がまだ小さな頃に父親から貰ったリールで、手入れの仕方も知らなかったから、そのままにしてあったんです」
小さな頃に貰ったものとはいえ、父親から貰った数少ない思い出の品を駄目にしてしまったという罪悪感に苛まれて、胸がきゅっと締め付けられる。
「お、ブラックウォーターX2000じゃん、懐かしい」
不意に私の後ろから聞き覚えのある男性の声が聞こえてくる。その瞬間、私の耳は異常なまでに敏感になってしまい、彼のその声が耳を伝い、そして背中全体に静電気が流れたかの様に、ピリピリっとくすぐるように突き抜けた。
「————————————!!!」
自分でも耳だけでなく、顔が真っ赤になって、明らかにさっきより体温が上がっているのが分かる。心臓がバクバクと激しく脈を打ち、その音が後ろにいる彼にまで聞こえてしまっているのではないかと考えると、その心音は更に鼓動を速めた。
額から顔、背中、手とあらゆる場所から汗が噴き出してくる。嬉しくて仕方ない、でも恥ずかしくて仕方が無い。身動きすら取れない私をよそにその彼が後ろから手を伸ばしてくる。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「あ、あぁごめん、つい懐かしくて」
彼の手がリールを持っている私の手にわずかに当たる。それだけで過敏に反応してしまう恥ずかしい私。
「ど、どどどどうぞ!!」
私はもはや錯乱状態に陥ってしまい、自分でも何をしてるのか分からない状態で、気が付けば彼にリールを渡していた。
「あ、ありがとう。うーん、塩噛みしているね……。一回パーツばらしてメンテナンスした方がいいかも。場合によっては持ち込みになるかもだけど」
「……秋野君。相変わらず君は神出鬼没だね。一体いつ部室に入って来たんだい?」
呆れたように彼の方を見ながら問いかける部長。「大丈夫かい?」と、私の異変に気付いた部長が優しく声を掛けてくれる。
「だ、大丈夫です。で、でででもビックリしちゃいました」
平静を装ったつもりではいるけれど、声は裏返り、どもってしまう。だめだ、意識すればするほど緊張して空回りしてしまう……!!
そう、私は彼『秋野
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