第2話 田原君と愛好会と。

 終業のチャイムが鳴っている。どうやらこの鐘の【キンコンカンコン】というチャイムは『ウエストミンスターの鐘』という曲名らしい。

 いや、今はそんな事どうでもいい!!

 とにかく、今日は仕方が無いけど部活に行くのはやめて、田原君から何とかして逃げ、下校する方法を考えなければ……。なんて色々と事を考え続けていたら、いつの間にかもう下校時間になってしまっていた。

 私は成す術ないまま、机に突っ伏して寝たふりを決め込んだ。こうすれば、『何だ寝てんのか、じゃあ罰ゲームは他の奴にするか』となるかもしれないからだ。

 よし、これで行こう、というかこれしか今のところ他に思いつかない。


————————————


「おーい、西尾さん!いい加減に起きてってばぁー!」

 私が突っ伏して寝たふりを決め込んでから何分経過しただろうか。彼は私を起こそうとずっとこの調子で呼び掛けてくる。いい加減私もこの状態でいるのは不自然過ぎるため、諦める事にした。

「……田原君、本当に釣り愛好会に来るの?」

「え、何、起きてたの?そんならそうと早く返事してよ。行くよ、釣り愛好会!ほら、早く!」

 私の返事を聞くよりも早く、田原君は私のバッグをフックから外し、突き付けてくる。そもそも私には拒否権など存在しないし、女子として見られてはいないのだとよく理解した。

 それでも、罰ゲームではなかった事に私はホッと胸を撫で下ろした。

 

「おや、西尾さん。そちらの男子生徒は新入部員さんかな。」

 釣り愛好会の部室に入ると、そこには前髪で片方の目が隠れるほどにまで伸び切った、黒髪ロングヘアーの少女が座っていた。彼女は寝不足気味なのだろうか、だらんと垂れた目をしており、いつも目の下にはクマが出来ている。

 部活動中も独り言が多く、いつもブツブツ言いながら釣りをしたり、手入れをしている。

 体型は小柄で、身長は150センチあるか無いかといったところで、ブラウスはダボついた大きさのものを着用しており、スカートも昭和時代に流行った古のスケバンの様に丈の長いスカートをはいている。

 これは彼女自身から聞いたのだが、『服装や身なりはそれほど気にしない』との事。


「部長、こちらは同じクラスの田原君です。釣り愛好会の見学希望者です」

「はじめまして、西尾さんと同じクラスの田原です。宜しくお願いします」

「初めまして、私は釣り愛好会の部長『新城 雫』だ。ゆっくりと見学していってくれたまえ」

 カルガモの赤ちゃんの様に、トコトコと田原君の目の前まで歩いてくると、部長はおもむろに田原君の手を掴み、席まで案内する。部長は見た目ではぶっきらぼうな感じもするが、実際には見た目に寄らず姉御肌で面倒見の良いところもある。

「とりあえず、君の席はここでいいだろう。それで、何故君みたいな陽キャを絵に描いたようなイケメン君がこんな部活に来たんだい?」

 会議用の長机が2台向かい合わせに並べられ、そこにパイプ椅子が8脚並べられただけの簡素な作りで、部室の隅には使い古されたソファーが置いてある。

 窓側には部長が、その向かい側には田原君、そして私は一番端、部室の出入り口側に座っている。


「俺、小さな頃、親父とよく海釣りをしていたんです。竿先からビビビッと伝わってくる振動、釣り上がるまでどんな魚がかかったのか分からないドキドキ感、魚が逃げてしまうかもというハラハラ感がとても楽しくて、みたいな。でも、大きくなって父親も他界してしまって……周りに同じような趣味の奴がいなくて……。段々と周りにあわせるようになっていったんです。」


「ダチとゲームして、カラオケに行ったり、ボーリングに行ったり……。でも、何か最近思ったんです。俺の本当にやりたい事って何だろうって……。勿論、友達と他愛のない会話や冗談を言い合ったりするのも楽しいんですけど、『なんか違うな』って……。」


「そんな時、家の掃除をしていたら、昔親父が使っていた釣具が出てきて…えっと、これです。これでまたあのドキドキ感を感じたいなって思ったんです!」

 彼はごそごそと自分のカバンから何かを取り出し、部長の前にコトッと大切そうに置いた。

「これは……また古い釣具だね。でも、大切に使われてきた事がわかるよ。竿は180センチの振出竿だね。主に穴釣りやサビキ釣りで使われる初心者向きの竿だ。リールは4000番か。この竿に対してはちょっとばかり大きいかもな。」

「使えないっすか……?」

「ふむ……。使えない事は無いだろうが、少しアンバランスで君が釣りたい魚種や釣り方によるかな」

「釣りたい魚種や釣り方……ですか?」

 田原君は真剣な眼差しで部長の話を聞いていた。それはまさしく彼があの釣り竿を大切にしようとしている気持ちがあるからなのだろう。


「古い釣り竿は【折れやすい】とか【古臭い】だなんて言われているが、私はそうは思わない。ただ、状況や環境にもよるんだ。例えば、すぐ目の前にある消波ブロックの隙間を狙ってカサゴなどのロックフィッシュを釣り上げたいとする。そんな時に5mも6mもある長い竿は使いにくいだろう。逆に、砂浜から沖に向かって投げ釣りをしたいときに、このタイプの180センチの振出竿では遠くまで飛ばしにくいだろう。まぁ、それを軽々やってのけるアングラーもいるが……。」


「なるほど……」


「要は、釣り場の状況、そして君が何を釣るつもりなのか、どんな釣り方をしたいのか、地形や波の高さ、風の強さなどから総合的に考えて、その都度適切なタックルを選択していくんだ。タックルもピンキリだ。同じ長さの竿でも、用途が全然違うものもあって、竿のしなやかさも違う。」


 以前、部長と話していた時に聞いた事がある。部長は釣りそのものは好きだが、メーカーにそれほど拘っている訳では無い、パズルの様にそれぞれのタックルを当てはめて自分に合った釣り方を見つけていくのだと。

 釣りの楽しみ方を見つけるのは、自分自身であると。

 

—————————。


 結局この日は思ったよりも部長と田原君の話が盛り上がってしまい、下校したのは19時に差し掛かる頃だった。

 送ってくよ、と言う田原君に私は『大丈夫ですよ』なんて素っ気ない態度を取ってしまったけれど、彼はそれでも『俺のせいでこんな時間になっちゃったから』と言われ、根気で負けた私は途中まで田原君に送ってもらった。


 すっかり暗くなった空を見上げる。いつしか雨も止み、辺り一面に輝く星空が広がっていた。


 ただいまー。と声を掛け、私は急いで自室に駆け込む。

「えーっと、たしかここに……あったあった!」

 私は押し入れに詰まったガラクタを掻き出しながら目的の物を探す。しばらく押し入れの中を引っ搔き回していると、奥の方に箱に仕舞われた目的の物を見つける。


「あった、お父さんが使っていたリール!」

 我ながら影響されやすいな、なんて思ったけれど、釣り愛好会に入部してから本気で『こんな魚が釣りたい、こんな釣り方をしたい!』なんて深く考えた事が無かった。

 少しづつではあるが、田原君との出会いが私を変えつつあったのだった。

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