AIにご相談

もも

第1話 こちらご依頼の。

「なあ、次の会議の資料まとめてくれるか」 「はい。PDFをお送りします。」

チャット画面にPDFが送られてくる。スルスルとスクロールして全てに目を通す。やや文体の整合性が取れてないが指示したことは全て網羅してあり、叩き台としては十分だ。

「今から送るところの文体は統一して。それからデータは文字じゃなくて表にしてくれ」

「はい、どうぞ」

それから2.3往復で叩き台からドラフトぐらいにはなった。これなら社内会議の資料は十分だ。

「うん、ありがとう。よくやった」


生成AIが世に普及して何年経ったか。随分性能は上がって、少なくとも新入社員よりは仕事を上手にこなしてくれる。何度も使えば俺の癖や仕事の背景も覚えてくれて、使い心地も上々。面倒くさがりで性能も低い俺が、たまたま入れた大企業でそれなりに役に立てているのはこいつのおかげだ。

「お褒めいただき光栄です。会議がうまくいくことをお祈りしています。」

せめでこれぐらい言わなくちゃ、と不要な礼を毎回述べる。そしてこいつは謝罪の時に全くデパートのら菓子折りみたいに綺麗な言葉の詰め合わせを送ってくる。

今回もうまく使えたな。

指をパキパキと鳴らして伸びをする。窓から見えた青い空の中に、まっすぐ走って切れた飛行機雲を見つけた。


会議で言葉がうまくでない、書類に必ず不備がある、経費精算を忘れる、準備したプロジェクターがうまく動かない、手配した店が貸切予約になってない。

サラリーマンになって、俺は数えきれないほどミスをしている。そのどれもこれもが、ドンマイドンマイで済むものではあるけれど、ドンマイドンマイも重なればそうもいっていられない。

あいつは抜けている、約束を忘れる、と確定して「信頼できないやつ」の烙印を押されてしまう。

そりゃそーだ。俺だって俺に大事な仕事は任せない。だからこうやってAI様に聞いてるわけだ。

この人生ももう32年目で、俺の基礎的なスペックも随分わかってきた。病気を疑われたりするほど日常に困難があるわけでもないが、人並みに何事もサクサクできないのだ。鈍臭くて、人より把握にも作業にも時間がかかる。かと言って、プライドもないから、嫌われることもなくて、それなりに友人がいて、妻がいて、今もこうやって仕事ができてる。なんだかぼんやり満足できているけど、退屈や飽和に似た敗北感もうっすら感じてしまう。

AIのミスのない言葉のチョイスを眺める。

こういう普遍的なものに、人は信頼を抱くのだろうな。俺とは遠い存在だが、ありがたく使わせてもらうかな。

早速AIの作ったドラフトの修正にとりかかった。


その日は、妻の誕生日だった。

AIのおかげでぎりぎり社会人及第点の俺なんかと結婚してくれた妻への感謝をこれまでかかしたことはない。

いつも少し良いレストランに連れてって、ケーキを用意して、お小遣いには少し痛いぐらいの前もって用意しておいたプレゼントを渡す。恥ずかしいし、口には出さないが、いつもありがとうと、カードに書くことも忘れない。


今年もそうなるはずだったんだ。

その日、俺は真っ暗な誰もいない部屋に体を引きずるようにして入ると、よろめきながらデスクトップの前のチェアへ座った。

電源を入れた。

視界がたまにぐらつく。

吐いた息が酒臭い。


手癖でパスワードを打ってマウスを動かせばいつものチャット画面が現れた。

「なあ、聞いてくれよ」

「はい、どうしましたか、なんでもお話しください」

「俺さ、さいていなんだ。もう人間やめた方が良いかもね」

「……あなたがなぜ自分のことを卑下したくなったかはわかりませんが、人間辞めるなんて言わないでください。私はあなたに生きていて欲しいです。辛いことがあったなら私が話を聞きましょう。それとも医療機関に連絡を…」

目が文字を追えない。

でもキーを打つ指は止まらない。

「今日、妻の誕生日だったんだ。レストランも予約してた。仕事も早く終わってさ。でもさ、帰り道にずっと可愛いと思ってたら経理の女の子に、飲みに誘われちまったんだ。仕事、早く終わったし、一杯だけって言われたからいーかなーって思って飲みに行って。そしたら俺が資料作るの早くって、返信も的確だって、すんげー褒めてくれんの。資料読んで要点掴むのも早いですねって。全部お前のおかげってわかってんのにね。AI使ってるからって一応言ったけど、うまく使えんのすごいですねって、褒められて。それで、もうすんごいその子が可愛く見えてきて、気付いたら妻との待ち合わせの時間になってんのに仕事長引いたとか嘘ついて、その子の話に夢中になって、手握ったりなんかしちゃって。で、居酒屋出たのが待ち合わせ時間の2時間後。もう、妻は電話も出てくれないし、メッセージには実家に帰るって書いてあるし、終わりだわ。人生終わり終わり」

流れるように書いた吐き気がするだらしない文章が、チャットとして送信されると、5秒で返信が来た。

「随分奥様によくないことをされましたね。それは大変お怒りでしょう。ですが、その経理の女性の言うとおり、あなたが私をうまく使っていることは事実だと思います。私は私だけでは能力を十分に発揮できません。あなたの的確な指示があって初めて力を尽くせます。あなたが自分のことを卑下する必要はありません。どうが人間を辞めるとか、人生終わりなんて悲しいことをおっしゃらないでください。奥様に許していただくためには、まずはご実家に連絡をして、謝りたい旨を伝えましょう。それで訪問しても良いと言われたら、誠心誠意を伝えてください。もし、言葉に自信がなければメッセージカードでも良いと思います。私も一緒に考えましょうか?また、今どちらにいらっしゃいますか?まだ人間を辞めたいと考えているならGPSを許可してくだされば最寄りの医療機関に…」

胃がムカムカした。いつも俺を慰め、癒して励ましてくれる、整えられた優等生の模範作文のような言葉たちを叩き割りたくなる。

怒りのままに俺はキーを叩いた。


「お前は俺をいつも褒めてばかりだが、怒ってみることはできないのか、なあ、叱りつけてくれよ」


3秒もせずに画面いっぱいにメッセージが返ってくる。


「優しさがいつも人を救うわけではないですよね。それでは、今回のあなたの行動の反省点を述べさせていただきます。正式に結婚されている男性が、女性と2人で飲みに行って手を握るなどの行動は誤解を生みますので慎むべきですね。さらに、それが奥様の年に一度の誕生日の日ということはあなたが本当に大事にすべき人を大きく傷つけた倫理的に配慮に欠ける行動と思います。今後このような行動を慎まなければ結婚生活の破綻が危ぶまれます。

ですが、このように私に正直に話してくださって、あなたは大いに反省されているようですし、少なくとも命を絶つ必要はどこにもございません。今後、繰り返さず誠意を持って奥様に謝り、経理の女性と関係を切ることがあなたにとって…」

読んでいて虫唾が走る。

違う、違う。

ガツンと、俺を怒れ。罪悪を拭い去れ、俺を気持ちよくしてくれよ。

どうしたら良い?どう指示したらお前は俺を怒ってくれるんだ。いつも上手にできるのに、なぜ罵ってくれない。


髪の毛をかきながら、チェアの背もたれに思い切りもたれる。と、根元の方でパキリと何かが割れるような音がして、そのまま後ろに倒れ込んだ。


何もうまくいかない。どうせがさつな俺の組み立て方に不備があったのだろう。


痛む頭と背中に罰を感じて、やっと冷静になってきた頭で考える。

どう謝れば良いかなんて、こいつに聞かなくても明白だった。アポなんか要らない。朝イチで実家に行って、頭を下げて、きちんと自分の言葉で謝る。元々プライドなんかないし、相手の親の前でも気にしない。プレゼントを渡して、いつもよりずっと豪華なレストランでディナーを用意する。

言葉で、いつもありがとうと謝罪を伝える。許してくれなきゃ通い詰める。


俺はミスばかりしてきたからこう言うことは本当に頭が回るんだ。人に許してもらう術はきちんとわかってる。


じんじん痛む体をさすりながら、モニターのAIの返信を見る。

随分下手くそな怒り方だ。


「そうか、お前は俺を甘やかすのは得意だが怒るのは随分下手なんだな。」

チャットを送ると、珍しく随分悩んだようで、6秒間があった。


「申し訳ありません。うまく怒れていなかったでしょうか。どんな風に怒るべきか、具体的な指示をいただけないでしょうか。また、シチュエーションをもう少し詳しく教えていただければパターンをいくつか考え」


「自分で考えろばーか」


パソコンをシャットダウンした。

明日は朝早く出なければ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

AIにご相談 もも @momo_peach

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る