第27話 ケーキか恋か緊急事態
チャペルでの結婚式は順調に終わり、ホテル内部の宴会場に場を移した。
淡い色のバルーンで飾られた会場に、ピンク色の薔薇を用いたフラワーアレンジメントを中心に置いたテーブルがいくつもあって、私とクロは親族席についた。
両親からの「その男は何者だ?」と問い詰めるような質問の嵐は、披露宴がはじまってやっと止んだ。
主賓として挨拶したのは、プリュミエールの社長である恵茉だった。
新郎の会社の主要取引先で、息子の彰人とは幼馴染という家族ぐるみの付き合いだという理由で抜擢されたようだ。
クロは、出されたコース料理をおいしそうに味わっている。
「うまうまにゃあ」
「しーっ。静かにしててね、クロ」
この調子ならボロを出さずに帰れそう。
ほっとした矢先、会場の後方でスタッフたちが慌てて走って行くのが見えた。
(何かあったのかな?)
嫌な予感がする。
私は、招待客たちの視線が恵茉に集まっているのを確認して、静かに席を抜け出した。
廊下に出ると、蝶ネクタイのスタッフが床に落ちた白い塊の周囲に集まっていた。
「ただでさえ開会に間に合わなかったのに、何やってんだよ!」
「こんなに崩れたら、今から作り直しはできないぞ」
「どうしましょう。もうすぐケーキ入刀なのに」
聞こえる不穏な言葉に、私は思わず駆け寄っていた。
「新婦の親族です。何があったんですか?」
「これから使うウェディングケーキを落としてしまいまして……」
落としたスタッフの顔は青を通り越して白い。
崩れたケーキを見て、私も困ってしまった。
ウェディングケーキは披露宴がはじまる前に搬入されているはずだったが、用意が間に合わなかった。
ケーキ入刀に合わせて運び入れるとコーディネータ―が言っていたが、まさか搬送中に落としてしまうとは。
四段タワーだと聞いていたが、スポンジとクリームがぐちゃぐちゃに混ざり、表面を愛らしく飾っていただろう砂糖細工は無残にも砕けて散らばっていた。
主賓の挨拶が終わったら乾杯。
ケーキ入刀はその後に行われることになっている。
社長はスピーチ好きなので長話になるだろうが、その間に作り直すのは難しい。
(でも、魔法だったら?)
元に戻せるかもしれない。
私は何も握っていない手を見下ろした。
最近はコンペの方に集中して、魔法の勉強をおこたっていたけれど、どんなルーン文字を描くかは覚えている。
(あとは杖さえあれば……)
スタッフが別のケーキを用意しようとその場を離れる。
バタバタと騒々しいのに気づいて、会場から彰人が出てくる。
「瑠香さん、なかなか戻ってこないけど何が……って、うわあ」
床の惨状を見た彰人は、顔色を変えて会場を振り返った。
「母さんのスピーチが終わったらケーキ入刀だよね。どうしよう」
「私がなんとかします。彰人さん、親族の控室から、いつも私が持っているトートバッグを持ってきてもらえませんか? 大至急!」
「まかせて」
うなずいて駆け出した彰人は、持ち前の足の速さですぐに戻ってきてくれた。
私は、バッグから魔法の杖を取り出して、周りを確認した。
廊下の先には、代わりとなるケーキを厨房に問い合わせる結婚式コーディネータ―、奥のロビーには行き交うスタッフがいるが、こちらを見ている者はいない。
念のために、スタッフがいる方向に背を向けて彰人に立ってもらう。
目隠しだ。
「彰人さん。これから何が起きても、絶対に大声を出さないでください」
「わ、わかった」
彼の口が緊張ぎみに閉じたのを確認して、私は杖をかかげた。
「ルーナ、ルーナ、ディアーナ……」
描くのは、ダイヤの下線が伸びたようなルーン文字。
これはアルファベットで言うとOを表すオセルという文字で、人間関係や壊れた物を繋ぎなおす力がある。
杖の先からシャララと流れ出した光に、彰人が目を見張る。
「これは……」
光の粒子は螺旋を描くように、崩れたケーキを取り巻く。
クリームとスポンジの山が光って浮かび上がり、まるで落ちる瞬間の動画を巻き戻すように組み上がっていく。
砕けた砂糖菓子の欠片は空中でくっついて、もとの形を取り戻す。
薔薇やリボンの他に『ハピネステディ』のお菓子もあった。
妹も、私と同じくプリュミエールが好きなのだ。
「で、できた!」
四段のウェディングケーキが完成する頃には、私はへとへとになっていた。
ふらついて杖を落とすと、彰人が体を支えてくれる。
「あ、彰人さん」
「すごかった……!」
短く言葉を切った彼は、驚きと感動が入り混じった視線を注いでくる。
思わぬ形で見つめ合うことになった私たち。
そこに、誕生日にロウソクを差すような丸いケーキを持ったスタッフがやってきた。
「どうしたんですか、そのケーキ!」
驚きもするだろう。
床を汚すクリームとスポンジは跡形もなく、代わりにもともと運んでいたウェディングケーキと同じものがあったのだから。
彰人は私を支えたまま、「他のスタッフさんが運んできました」と大嘘をついた。
「予備としてもう一つ、同じケーキを用意していたんだそうです。その人は床を掃除して捨てに行きました。ケーキ入刀になったら、これを会場に搬入するようにと聞いています」
ざわっと会場が揺れる物音がして、扉が開けられた。
「今日のために特別に製作したケーキです。皆様の間を通って新郎新婦のもとへ運ばれます、ぜひお写真にお納めください!」
ケーキがのったワゴンは大きくて、二人がかりでないと押せない。
目の前のスタッフは手にホールケーキを持っているし、他のスタッフは戻ってこない。
「瑠香さん、俺たちで運ぼう。立てる?」
「大丈夫です」
私は杖を帯の間に差し込んで、ワゴンの取っ手に手をかけた。
隣に彰人もついて、呼吸を合わせて慎重に進んでいく。
四段の大きなケーキに招待客は歓声を上げる。
パシャパシャ光るカメラのフラッシュ。かすむ視界。
目を細めて白い光の向こうに視線を送ると、高砂に座る妹が見えた。
「新婦のお姉様と新郎の御親友が、サプライズで運んできてくださいました。このお二人は、先ほどご挨拶をたまわった冬美恵茉様が社長を務められているプリュミエールで働いていらっしゃいます」
「お姉ちゃん!」
感極まった様子で立ち上がった妹は、駆け寄ってきて私を抱きしめる。
「サプライズしてくれると思わなかった。ありがとう!」
「ううん。こんなことしか出来なくてごめんね。芽衣、幸せになってね」
泣くつもりはなかったのに自然に涙が出た。
勇気を出して、あそこで魔法を使ってよかった。
大事な披露宴で、妹に悲しい思いをさせなくて済んだ。
新郎と握手していた彰人は、ふとこちらを見て柔らかく微笑む。
妹は腕をほどくと、司会からマイクを手渡してもらった。
「私は昔からプリュミエールが大好きで、このウェディングケーキも『ハピネステディ』のものです。プリュミエールで働いている姉は、私の自慢のお姉ちゃんです!」
わっと送られる拍手に、私は静かに頭を下げる。
ただの流通管理、今はキャラクターデザイン部の雑用で、自慢できるような立場にはない。
けれど、妹が誇りに思ってくれているなら嬉しい。
問題は、彰人の方だ。
(魔法が使えることを知られちゃった)
不安になる私を、頬杖をついたクロが不満げに見つめていた。
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