第14話 だいきらいとだいすき
広げた手のひらに乗せられる五枚の硬貨はピカピカしていた。
「私もやっていいんですか?」
「もちろん。みんなで遊ばないと楽しくないでしょ」
「瑠香ちゃんがやるところ、見ていてもいい?」
颯太にキラキラした目で見られる。
ゲーム下手で、クレーンゲームで景品を取れたことのない私だけど、今回は覚悟を決めた。
(上手に取って颯太君を楽しませよう!)
「プリュミエール本社の近くだから、うちのキャラクターがたくさん入ってるよ」
何度も来ているという彰人の案内で、一通りのクレーンを見て回った私は、特大サイズのぬいぐるみが鎮座する台に目をとめた。
「可愛い……」
半透明のカッパを着た『ハピネステディ』のぬいぐるみだ。
季節限定品らしく、ボンボンはカエル柄になっている。
ゲームは一回五百円。他の台より少し高めだ。
持ち上げるアームの角度から考えるに、ぬいぐるみの真ん中をねらってアームを下ろし、胴を挟めば勝算はある。
「これにします!」
意を決して、有り金をすべて投入する。
颯太は台の横にぴったりと張り付いて、私の挑戦を見守っている。
アームは1のボタンで横に、2で奥に移動する。
台のなかをのぞき込みながら位置を調節して、慎重にアームを下ろした。
「やった! 掴んだ」
見事アームはぬいぐるみの胴体をキャッチした。
そのまま上に持ち上がり、これはイケるぞと確信した、その時。
アームが頂上についた反動で、ぬいぐるみがボタッと落ちた。
「な、なんでー!?」
悲鳴を上げると、颯太も残念そうに眉を下げた。彰人だけが余裕そうだ。
「そういうものなんだよ、真城さん。アームの強さが絶妙に調整されているから、持ち上がりはするけれど運ぶのに回数がかかる。このぬいぐるみの原価を考えると、よほどの奇跡が起きないと五百円じゃ手に入らないってわかるよね?」
「わかります。わかるけど……なけなしの五百円がぁ」
さっそくゲームセンターの洗礼を浴びてしまった。
颯太は、なげく私と自分の百円玉を交互に見て、そっと包みを差し出してきた。
「瑠香ちゃん、ぼくのお金を使ってもいいよ」
「だめだよ。それは颯太君の分なんだから! 欲しかったら自分のお金でやるよ。彰人お兄さんも、ほら。勝手にやってる」
背後にある台では、彰人は二回で赤いラジコンカーの箱を取っていた。
狙った物は必ず取るという信念は、社会人になった今も変わらないようだ。
「よっしゃ。これ後で颯太君にあげるね」
「颯太君は何をやりたい? 『きょうりゅうバンビーノ』の景品もあるみたいだよ」
よかれと思って彼の母親の出世作を出したが、颯太はきゅっと唇を噛んだ。
「ぼく、『きょうりゅうバンビーノ』きらい」
びっくりして彰人と顔を見合わせる。
颯太は、クレーンゲームのなかで光を浴びている『ゆるゆるトリケラ』に悲しそうな目を向けていた。
「ママは『きょうりゅうバンビーノ』のために生きてるんだ。ぼくはいつもパパとご飯を食べて、パパとお風呂に入って、パパと寝るよ。休みの日もママは仕事ばっかりで、ぼくに勉強しなさいとは言うけど話してくれない……」
だから、きらい。
颯太は噛みしめるように繰り返した。
麻理恵は激務だ。
ヒットキャラクターの担当イラストレーターとして、描画に監修に打ち合わせにと仕事に
その分、家事や育児をすべて夫に任せて、休日も子どもの相手をしなかったら、子どもが寂しがって当然だ。
(でも麻理恵は、颯太君より仕事が大事なわけじゃない)
颯太は知らないのだ。
麻理恵がどうしてこんなに熱心に仕事に打ち込んでいるのか。
「……もしかして颯太君、お母さんが颯太君よりも仕事の方が好きだと思ってる?」
問いかけると、言うんじゃなかったという顔で颯太が俯いた。
震える小さな手は、『きょうりゅうバンビーノ』のカードケースを掴んでいる。二年前くらいに発売された商品だ。
麻理恵が小学生になる息子に持たせたいからと、商品開発部にリクエストして自ら監修したものである。
「瑠香ちゃんも知ってるでしょ。ママが仕事人間だって」
「うん。でも、仕事よりも颯太君を大事に想っていることも知ってるよ。颯太君は知ってた? 『きょうりゅうバンビーノ』ってね、颯太君のために作られたデザインだったの」
颯太は小さい時から可愛い色や優しいデザインの、ともすれば女の子用と間違えられるような服を好んだ。
クマの大きなアップリケがついた水色のトレーナーやセーラーカラーのブラウス。
折り返しがチェックになったズボンに、クマ耳がついた帽子。
キャンバス風の靴。
そういう服を着た颯太はまるで天使のようで、写真を見せられた私も幸せな気持ちになった。
しかし、ベビーサイズである100より大きくなると、途端に男の子用の衣服はシンプルになる。
イラストは荒々しいテイストの恐竜や働く車ばかり。
迷彩柄やアメカジ風のかすれた英字のプリントが乱用され、スニーカーのデザインは大人と変わらない。
色もグリーン、ネイビー、レッドなど、濃く強い印象だ。
颯太はそれを嫌がって、なかなか着てくれる服が見つからなかった。
「可愛いもの好きの颯太君が気に入ってくれる服や靴を作るために、颯太君のお母さんは『きょうりゅうバンビーノ』を描いたの。それが商品化されて、颯太君が手に取ってくれて、涙が出るくらい嬉しいって言ってたよ」
「で、でも今は、お仕事の方が大事になっちゃったんじゃない?」
涙目になる颯太に、私はゆっくり首を振る。
「違うよ。颯太君のお母さんは、頑張ってお仕事に打ち込んでいる間も、颯太君のことが思い浮かぶって言ってたよ。今もきっと颯太君のことを考えてる。ぜったいに」
これだけは自信があったので、語尾を強めて宣言する。
颯太は、噛みしめるように唇を引いて、こくんと頷いた。
「……ぼく、ママのことを信じる。ありがとう、瑠香ちゃん」
その時、遠くから聞き覚えのある声がした。
「颯ちゃん―っ!」
ゲームセンターに駆け込んできたのは麻理恵だった。
傘も差さずに走ってきたのだろう、頭からずぶ濡れだ。
彼女はクレーンゲームの前に颯太を見つけると、ハイブランドの鞄をぽいっと放り投げて抱きしめた。
「迎えに行ってあげられなくてごめんね。さっき瑠香のメッセージを見たの! パパからの『どうしても仕事が抜けられない』ってメールが来てたのも気づかなくて!」
「大丈夫だよ、ママ。瑠香ちゃんと彰人さんが一緒にハンバーガーを食べて、遊んでくれたから……」
おどおどと応じる颯太は、ちらりとこちらをうかがってから、そろりと麻理恵の背中に腕を回した。
「ママ、お仕事とっても大変なんでしょう。疲れてない?」
「颯ちゃんの顔を見たら疲れも吹き飛んじゃったよ」
息子の頭をぐりぐり撫でた麻理恵は、保護者の顔で立ち上がった。
「颯太を見ていてくれてありがとう。おかげで助かったわ」
「私は別に大したことはしてないよ。ハンバーガー食べて、ここでぬいぐるみを取り損なっただけ」
五百円を一度に失った衝撃を思い出してげんなりした。
その横で、彰人は颯太にラジコンの箱を渡している。
「進藤さん、これからは少し仕事を分担することを考えてみませんか? 今の状態では颯太君が寂しそうだ。メインイラストの担当は進藤さんのままでもいいから、細部の調整と確認はチームに任せてはどうでしょう?」
彰人の提案はもっともだった。
元より、麻理恵一人ではこなせない作業量だったのだ。
彼女もそれには気づいていたらしく、しょんぼりと背を丸めた。
「いつかはそうしなきゃと思ってたのよ……。でも、『きょうりゅうバンビーノ』はママが描いてるんだよって、颯太に言えるようにしておきたかったの。小さかった頃、それで颯太が喜んでいた姿が忘れられなくて……」
「ママ。ぼく、わかってるよ。ママがぼくのために『きょうりゅうバンビーノ』を作ってくれたこと。それは、他の人が代わりに描いても変わらないよ」
颯太は麻理恵の手を握って、にっこり笑った。
「ぼく、『きょうりゅうバンビーノ』だいすき」
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